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そのとき私は絶望していた。(2019/03/22)

これは読書感想文である。

そのとき、私は絶望していた。なので本棚の積読タワーにあった「絶望図書館」を手に旅先に向かった。絶望している自覚はなかったが、それを無意識に手に取ったと言うことは、そういうことなのだと思う。

本を読む人ならばわかってくれると思うが、人生の節目節目に“出会う”本がある。「絶望図書館」はアンソロジーだった。絶望に寄り添うアンソロジー。


冒頭の太宰治の引用が皮肉めいているが真実でグッときた。

“本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。”


その中で二編が引っかかった。
「車中のバナナ」と「鞄」だ。

車中のバナナ、は初めて読んだ。短編ながら深く頷いてしまった。私はバナナを拒否することは出来ず、受け取ってしまうだろう。しかし、その場ではおそらく言い訳をして決して食べる事はない。誰もいなくなってから、こっそり捨てるか、欲しいといった人にあげてしまう。そういう人間なのだ。最初から受け取らなければ良いのにね。そういう勇気もなくて。とりあえず、受け取っとく。そうしてどうしようか困り果てるのだ。結局、そういう人間のことはそういう人間にしかわからないことなのである、と早朝の喫茶店でひとり頷いた。

「鞄」、は私が良く好きな作品に挙げるひとつだ。なのでこのアンソロジーの中で再び出会って驚いた。これもまた、この時に出会うべくして出会ったのだと思う。この作品は高校生の時に教科書に載っていて、酷く感銘を受けた作品だった。当時の私が何を鞄だと思ったのかは、もう思い出せない。だけど、きっといまの私と同じなのだと思う。結局、鞄の導く方向に私は進むしかないのだ。それでよい。それが私の望んだ自由だったから。


私はそのとき確かに絶望していた、そして孤独だった。
なぜなら「本を手に取った」からだ。

しかし「出会った」から、それはもう全て過去のことになったのだろう。

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