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7. おわりに

さて、長くなりましたが、ここまでで「まとめ」的な記事は終わりです。

「おひとりさまでもあきらめないで!」
これは、この文章を書くにあたって、最初に考えたタイトルです。ただ……なんかこのタイトルだと、思いは伝わるけど、伝えたいことがあまり伝わらない気がして、止めました。
あきらめないで! が主眼ではなく「あきらめなくて大丈夫!」が主眼だからです。

正直、造血幹細胞移植というのは、予後もあんまりよくないものが多いし、移植自体も安全安心な治療法なんて、口が裂けても言えなくて、命を天秤にかけた、丁々発止の病気との戦いだと思っています。
そんなもの、しなくて済むなら、しない方がいい。絶対に。でも、この選択肢を示された患者というのは「その方がいい」から「挑戦」するのだと思っています。

すれば、可能性がある。しなければ、可能性がない。もちろん、どちらも絶対、100%、というものではない。ただ、した方が良いと思う、というお医者様の話を「自分はひとりだから」という理由で諦めて欲しくないというのが、私の考えです。
なぜなら、私は大丈夫だったから。

このことを書くことは、正直悩むところではありました。だって、移植って「大丈夫じゃない」こともたくさんある。多くの人が、そこで命を落としたことは、誰もが知っている。自分がそれに向かう時に、不安がない、なんてわけがない。

私は、運が良かった。それは大きいです。でも、運が良ければ、こんな風に、元気に笑って過ごすことが出来るようになった。たとえおひとりさまでも。
もし、そのことが「不安の種」になって、ためらっている人がいるのなら、自分の経験、思ったこと、考えたこと、それらを「先に行った人」として、公開することは、次の人の勇気につながるんじゃないか、と思います。

世の中には、結構たくさん「移植をした人」の話はあるように思います。本になっているものも少なくないし、ブログや、サイトなどでもあるでしょう。でも、「ひとりで生きている」人のそういった体験というものが、ないな、と思ったのです。

それから、一人で生活している人が、移植……ということになったとき「そうまでして生き延びてもな」とか思うことがあると思うんです。というか、ごめんなさい、今までの私の目に触れてきた「ひとりじゃない人の移植の話」は、まずそこの、大きな、大きなハードルを「家族」が越えさせてくれていることが、とても多いと思ったんですよ。
妻が、夫が、子が、親が……「この人たちのためにも、頑張らないといけない、とおもわせてくれました」という話がほとんどなんじゃないかと思います。

じゃぁ、そういう存在のいない自分は? って。あ、母も弟もいますが、それぞれ独立し、それぞれに生きているので「この人のためにも」ということにはならなかったんです。そうすると私って、なんのために「この、むつかしくて、厳しい治療を受けないといけないんだろう」って……思いません? 私は、思いましたよ。

でも、今思うのは「死にたくない」からでいいじゃん。っていうことです。「私なんか生きててもしょうがない」? 死んだら何かあるの? 
生きてるってことは、何かあるんでしょう。多分。他の誰かに担保してもらわないと、いやですか? 自分で、自分の担保は、出来ませんか?

それから、当時本当にまわりが見えてなかったな~と思うんですが(病気が分かって、移植の話が出た当時です)全然自分は周りの人から必要とされてないって思っていても、それは自分がそう思ってるだけなんですよ。
だって、他人の心なんて、分からないから。
もし本当に必要でないと思われてるんだ、と思うなら「必要だと思わせてやる」っていうのも一つだし、実際、移植してみたら、想像以上に「あれ?」ってなる……と思います。

少なくとも、あなたが移植を受ける時。あなたのために(身内だとしても、バンクのドナーさんだったとしても)無償で、それこそ本当に「骨身を削って」造血幹細胞を提供してくれた方がいます。その方は絶対に、まちがいなく「あなたに生きていて欲しい」と思っています。だから、提供してくださってるんです。
移植中は、多くの輸血を必要とします。どこかの、見えない誰かのために、自信の血液を無償で提供してくれた、その人も、その「見えない誰か」が無事であって欲しい、生きてほしいと思うから、提供してくださっているんです。

あなたの主治医を始めとして、担当してくれる看護師さん、看護助手さん、薬剤師さん、栄養士さん、理学療法士さん、他科の検査してくれたり、往診してくださってる先生方、研修医の先生方、歯科助手さん、美容師さん、エコーの技師さん、心電図の技師さん、レントゲンの技師さん、CTの技師さん、看護師さん、内視鏡の看護師さん、薬局のスタッフさん、売店のスタッフさん、回診に参加されてた医学部の学生さん、……これで全部かな。間違いなく、あなたが「無事にこの戦いに勝って、笑顔で『ありがとうございました』と退院していく日」を願っています。本当です。
それに対して、あなたがやることは、勝って「ありがとうございました」ということだけです。それが、一番の「意味」なんです。

お仕事や学校へ行っておられますか? そこで、病気のことを話したことはありますか? あまりのことに、それを聞いたあなたの周りの人は絶句したかも知れません。でもそれは「どうでもいい」からじゃないんです。なんと声をかけていいか分からないくらい、ショックを受けていたんです。私は、それにも気づけていなかった。
その人たちも、あなたが帰ってくるのを待っています。あなたは「待たせてごめん」と言って、元に戻ればいいんです。本当です。

そして今、これを書いている私は、まだ見ぬあなたが、この文章を読んで、造血幹細胞移植という大きな大きな波に飲み込まれることなく、病気と闘って欲しいな、と思い、これを書いています。私もあなたに生きていてほしい。

私は医師ではないのであなたの病気についてのことは分かりません。でも、もしためらっているのが「ひとりであるがゆえの不安」であるとしたなら、それは「大丈夫だよ」と言ってあげたい。
移植をすると、人が変わった、と言われるらしいです。私も、多分少し変わりました。それは、その前まで気づけなかった、多くのことに気づいたからだと思います。

今、順調で、これを書いている明日からは、仕事にも復帰する予定です。
移植にかかわってくださった、前述したすべての方に。そして待っていてくれた職場の同僚、上司、先輩、後輩たちに感謝して、この文章を一区切りしたいと思います。
本当に、本当にありがとうございました。

次の章からは、第二部、実際の日記部分となります。

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おひとりさまが増えている現在ですが、病気をして、闘病、ということになるとまだまだ社会は対応できていないことが多いと思います。 血液疾患で造血幹細胞移植を行った私が体験したことを、そんな方の参考になれば、という思いで、まとめることに致しました。

※こちらの記事は、決して「おひとりさま」での移植をおすすめるものではありません。家族の手助けがあるのなら、それに越したことはありません。 …

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。お役に立ちましたら幸いです。 *家飲みを、もっと美味しく簡単に*