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マイノリティー in マイノリティー / 六

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どうもこんにちわ。メイプル楓でございます。

「君の事は忘れないよ」ってどういう意味?愛されているのか、愛されていないのか。はたまは愛し続けていいのか、忘れるべきか。伝えたいならハッキリ言って欲しい♡

連載しているから、是非、始めから記事を読んで堪能して頂きたい。

始めから読む
マイノリティー in マイノリティー/壱

前号はこちらから
マイノリティー in マイノリティー/五


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基本的にマジョリティーに実体はない。だた共依存性だけが存在している。その共依存性を渇望しながら、足並みを揃えて自在に動いている。

「普通」や「常識」ってヤツだ。


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「普通」や「常識」といった概念を渇望せず、共有する事を選ばなかった時点でハミ出してしまう。そして一度ハミ出してしまうと、果てしない時間と犠牲を強いられる。


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もしハミ出した意見が認知された場合は、実体のないマジョリティーの正当化が始まり、
もしハミ出した意見が認知されない場合は、実体のないマジョリティーのカテゴライズが始まる。


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カテゴライズが始まれば、

これは「差別じゃない」と言いながら、
これは「いじめじゃない」と言いながら、
これが「普通」と言いながら、
未来では「そう言う時代だった」と言いながら、

今をカテゴライズする。


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これが「実体のないマジョリティーの在り方」だ。

そして「実体のないマジョリティーの在り方」は「実体のないマジョリティーの在り方」を傍観している。

これは「仕方が無い」と言いながら。


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理由は簡単だ。「実体のないマジョリティーの在り方」は、一人になるのが恐い。

確かに一人になるのは恐い。だけど一人になるのを恐れて、「実体のないマジョリティーの在り方」に留まれば、マジョリティーは拍車をかけて増幅するだけだ。

まさに悪循環だ。


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「実体のないマジョリティーの在り方」が正しくなるのであれば、人間性を問われる事無く、「普通」と「常識」を口にしている「実体のないマジョリティーの在り方」が、常に正しくなる。

「みんな」ってヤツだ。実体もないのに見たことあんのかよ…。


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「実体のないマジョリティーの在り方」はセクシャルマイノリティーや国籍だけをカテゴライズしているワケではない。

共依存性を共有しない者を排他的に扱うのが「実体のないマジョリティーの在り方」だ。


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「実体のないマジョリティーの在り方」は「ヒエラルキー」や対峙する「力関係」にとても敏感だ。これを共依存しない限りハミ出してしまう。

「協調」ってヤツだ。


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「実体のないマジョリティーの在り方」は卑怯にもこの「協調」といった都合のいい言葉を、まるで平等や差異がないような捉え方をして、排他的な考えや行為を正当化している。


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しかし実際は「実体のないマジョリティーの在り方」を確立して、優位性を確保したいだけだ。

本当に「協調」と言うのなら、出る杭が打たれる事はない。


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「実体のないマジョリティーの在り方」が優位性を確保したいというだけで、マイノリティーはどれほどの時間を奪われ、どれほどの犠牲をはらう必要があるのだろうか?

「実体のないマジョリティーの在り方」がマイノリティーに対し否定的・排他的に費やした時間を、同じ熱量のまま、未来でその時間を補うだろうか?


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そして「仕方が無い」と言って終わるだけだろう。

このまま未来でも新たなマイノリティーに対し同じ事を繰り返すのであれば、過去と現在のマイノリティーは一体何のために時間と犠牲をはらったのだろうか。


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もしこれ以上「実体のないマジョリティーの在り方」にこの疑問を投げかければ、

人間とはそう言うものだと言って「結局、お前も同じだ」と、

自分自身が「実体のないマジョリティーの在り方」に巻き込まれるだろう。

なぜなら「実体のないマジョリティーの在り方」は一人(マイノリティー側)になるのが恐い…。


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社会不適応者の私には、これに全く対応できない。

ただただ辛いだけだ。ものすごく辛い。息もデキないから、私はその場から走って逃げてしまう。そして一人になり、社会不適応者となる。


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どうやっても私はマイノリティーの中のマイノリティーにしかならない。そしてやっぱり卑怯者だ。

ではまた!次号で!

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