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ビルゲイツは悪い人?アーリマンと戦うルシファーのこと【悪魔vs悪魔】

昔のブログが検索から完全に弾かれてしまったのでw

少し手直ししたうえでこちらに全文再掲します。

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ビルおじさんは以前から陰謀論界隈で人気者でしたが、567の件でその人気が爆発しましたね。

人口は少ない方がいいって公式に主張してるとか、

武漢アウトブレイク直前に訓練的なものを施行していたとか、

彼の出資したワクチンによってインドやアフリカで大量に犠牲者が出たとか、

悪魔崇拝だとか、子供の血を飲んでるとか、

とにかくヤバい噂には事欠かない、最近の老け具合と慈善事業家という肩書もまたそそりますよね。

今回はそんなビルおじさんをはじめとする、いわゆる陰謀論についてのわたしの思いを書いてみます。

まず、みなさんの概念がちょっと違っているんじゃないかなーと思っていますw

人が陰謀論っていうとき、そこには
「人類の背後には支配勢力がいて…」ってところから始まりますよね。

まぁね、それはそうだと思いますよ。

でも必ずそれとセットで
「その悪の勢力に抗おう!」みたいな雰囲気があって。。

ライトワーカー団結せよ!みたいな。。。

たぶん、それではレプティリアンとは戦えません、残念ながら。

そもそも、「人類に危害を加えているのは限られた一部の支配勢力である」という出発点がおかしいのです。

わたしたち1人1人の中に、“それ”は存在します。
“それ”=悪魔。

(↓の記事では原罪と言い換えています。よかったら。)


悪魔ってきくと、なんかすごい悪そうで、尻尾とか牙とか生えてて、人を殺したり監禁したり誘惑したり、そんなイメージがありますが。。

実はそれが最大のミスリード。

悪魔はサタン、ルシファー、ルシフェルなどと言いますが、ルシフェルって堕天使ですよね。


まあこの辺りは魑魅魍魎レベルで説が分かれてるので深く突っ込みたくないのですが、
とにかくルシフェル兄さんは何がしたかったのかを考えてみます。


唐突ですが、
みなさん、幸せですか?

幸せってどんな状態でしょうか?

健康で、平和で、穏やかで、
快適な家、楽しい出来事、愛する人、

まあだいたいそんな感じでしょうか。

幸せを妨害するものは、、
死、病気、老い、争い、労役、不快な出来事はみんななるべく無くしたい。

理不尽に愛する人を奪われるなんてもってのほか。

理不尽は最も許せない。

違いますか?

どうしたらいいでしょうか?

もしあなたに無限に力があったら、世界中を幸せにするためにどうしたらいいと思いますか?


ある人はこう考えたのです。

死や病気や老いを概念ごと完全に消し去るためには、人間がまるごと機械になれば良いんじゃないか。

機械になって、マトリックスみたいに、VRでずーっと夢の世界にいれば、不快な出来事も起こらない、労役も争いもない。

すべてプログラム通り、みんなが合理的な機械になれば、理不尽もない。

これね、幼い頃のわたしも似たようなことを考えてましたw

わたしなりの理解では、おそらく支配勢力と呼ばれる方々の一部は、
上記の考えに従って人類総機械化を目指しているのではないかなと。

実際バイオハッキングはかなり進んでいます。

それに加えて昨今のマイクロチップ、ハイドロジェル、ワクチン、5G。。


また、かつて科学では太刀打ち不可能とされてきたアストラル体(人間の感情などが存在する霊的世界)も、科学技術で分離することが試みられているようですね。もう成功してるのかも。

いつかそれが一般的になった場合、
わたしたちは死ぬことがなくなり、ずっと自意識を持ち続け、快楽だけを感じる主体になることができます!
(なってしまう、という方が良いですかねw)

この考えは、巷で言われるような
「彼ら支配層は人類をゴミのように思っている」
というのとは全く反対です。

むしろ

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「人類を幸せにできるのは俺らしかいない!」

くらいの使命感をもってるんじゃないかな、と推測します。

彼らは頭が良すぎて、幸せとはなにかと問われたとき、それは不幸を排除することだと信じて疑わないのです。

そして、不幸を嫌うというのは理不尽を嫌うということ。


理不尽を嫌うというのは、ある意味で神に逆らうこと。


つまり、悪魔と同じ心。


幸せになりたい心は悪魔と同じ心。

つまり、人類は全員ルシフェル兄さんと友達なわけです。


1人1人に悪魔がいる。全員悪魔崇拝者なのです。
悪魔崇拝って実はおどろおどろしいものでもなんでもなくて、みんなやってるんですよ。

まあ学問の神様の菅原道真だって怨霊ですから。
みんなが合格祈願してる対象、悪霊ですからね。

スサノオだってオオクニヌシだって蛇神っぽいですしね。(蛇神が悪いわけじゃないですけど、レプティリアンかもって思ったら違う見方になるでしょ。)

なので、

フリーメイソンが〜
イルミナティが〜
ディープステートが〜
ジョージソロスが〜
エリザベス女王が〜
というのはナンセンスです。

少なくともビルおじさんは、間違いなく人類の幸せを願っているとわたしは確信していますwwww

「かわいそうな羊たちよ…不毛なことはもうやめるのだ…みんなで幸せになろう…」
と言ってワクチンを打ちまくります。

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余計なお世話ですね!

ヤンデレにもほどがありますね!

でも憎めないし、親愛さえ感じるのは、わたしが元レプティリアンだからでしょうね。

ところで
幸せを志向するのは悪魔と言いましたが、


「じゃあ幸せを望んだらいけないの?」

という話が出てきそうですね。

さて、ここで問題です。

とても凄惨な殺人事件があったとします。
犯人は自らの娯楽のためだけに、無関係な人を殺しました。

それは果たして、人類の身のうちに巣食う「悪魔」の仕業なのでしょうか?

悪魔=ルシフェル兄さんの仕業か?
答えはNO。当たり前です。


兄さんは人類を幸せにしたいと思ってるんですから。

そんな無秩序なことはしません。

じゃあそういう犯罪はなぜ起こるのでしょう?

それを起こしてるのが、もう1人のアンラマンユ=アンリマンユ=アーリマンさんです。


(名前はどうでもいいんですが、
神秘主義者シュタイナーの名付けにならってます。)

アーリマンさんは邪、破壊、混沌、欲などの象徴。

一般的に「悪魔」と聞いたときのイメージはこちらに近いんじゃないでしょうか?

地獄が下にあるイメージの通り、人を引き摺り下ろす力をもっています。

3次元に縛り付けておく重力のようです。

つまり、ルシフェル兄さんの嫌いなものそのものです。

ちなみにルシフェル兄さんは反対に人を天に上昇させる力をもっています。


だからたぶん人類の自殺の多くは兄さんのせい。


特に恋人同士の心中なんかは兄さんの力が働いてそうですね。


「2人だけの儚くも美しいこの幸せを、死を以て永遠に保存したい…」みたいな(知らんがな)。

人類1人1人の内にいるこの2人の悪魔の戦いが、現実世界での出来事に反映されていきます。


部屋の中に虫が飛んでいる、
その虫によってもたらされる不快感、ざわつきがアーリマン。


殺虫剤を手に「死ねーッ!」とやるのがルシファー。


お分かりいただけるでしょうかww

もちろん1人1人の内にいるだけでなく、この宇宙にそれぞれが存在していて、綱引きをしています。

わたしたちが「善と悪の戦い」と認識しているものの多くは、実は「悪魔と悪魔の戦い」でしかないのです。。

シュタイナーも「天地の未来」にて以下のように言っています。

キリスト教において父なる神と名づけられる神性が、鉱物・植物・動物、そして外的な動物的・物質的人間に、
太古に平和を贈りました。鉱物・植物・動物、
そして心魂のなかには受け取られなかった人間の動物的本性に、
父なる神によって太古に平和が与えられたのです。そこでは、
人間は衝動、欲望、情動に感染しませんでした。人体が心魂に浸透される瞬間に注目すると、
ルシファー的存在が、アーリマン的存在に、「われわれは鉱物・植物・動物、そして、
まだ熟考せずに、動物のように生きていた
太古の無意識的な人間のことでは争わない、
と父なる神に約束した。しかし、自己意識
を獲得した人間をめぐっては、われわれは
血みどろになって戦おう」と言っているのが見えます。人間をめぐって、空気、火存在と土・水存在のあいだで
恐ろしい戦いが行われます。それを人間は見なくてはなりません。


幼い頃わたしはキリスト教系の幼稚園に通っていて、お話をきくのが好きでした。


でもどうしても腑に落ちないのが、
「なんで神さまはそんなに力が強いのに、悪いことがなくならないの?」
ということでした。


「なんで一生懸命生きてる善い人に悲しいことが起きるの?」と。


結局納得がいかず、そのまま「神さま」のことは嫌いになってしまったのです。

でもそういうことじゃなかったんですね。

最初から神様と悪魔は戦ってなんかいないのです。

同じ土俵になど立っていません!!


さてさて、
ここまで話すと「ルシファー兄さんの何がいけないの?どこが悪魔なの?」となる人が出てきそうなので、念のためそこまで説明しておきましょう。

この疑問に答えるにはまず、アーリマンさんについて知らないといけません。

アーリマンさんは邪悪そのものだから、愛着をもつ余地なんかなさそうにも思えますが、

実はアーリマンさんも兄さんに負けないくらい憎めないやつです。

10代の頃のわたしの口癖は「闇の中でこそ光は輝く」…中二病すぎますね(^^;)

でも今思うとこれは意外と真髄なんですねw

アーリマンさんって要は引き立て役なんです。

映画における悪役。ヒール。

悪役に味のある映画はだいたい面白いでしょ。

光しかなかったら光っていう概念はないわけです。

汚れという概念があるから清潔という概念もあります。

さらに言えば、破壊や死がなかったら発展はないです。

生花の美しさは、それが枯れてゆくからこそ。

そこをなんとか保存したいと兄さんが抗い、ドライフラワーにしてみたり押し花にしてみたり、写真を撮ったり精巧な造花を作ったりするって感じになります。

そんな兄さんのよろしくない例としてわかりやすいのは遺伝子操作とかですね。


病気や奇形を起こすのはアーリマンさんの仕業で、
それに兄さんが抗ってコントロールしようとする。


でも、だいたい失敗しますw
(デング熱撲滅を目指して蚊の遺伝子操作をしたらむしろ増えたとかいろいろありますね)

気象コントロールってのも今普通にされてますけど、
それに対する「神の怒り」と思われる異常気象は、神というよりアーリマン=悪魔の怒りなんですね。


時代とともに二人の戦いは激しさを増していってます。。

あるいは、薬物もそうです。

痛み苦しみがアーリマンさんの持分、
それを薬で抑えるのが兄さんですが、
どんな薬にも濫用の危険はあります。


喘息の薬は覚醒剤の原料になるし、
痛み止めのオピオイド(モルヒネとか)はアヘンから出来てるしね。

ルシフェル兄さんの仕事のうち、
もっとも簡単でかつ重要な仕事は、
人類に薬物を与えること
な気もします。

兄さんなりに人々を幸せにしてくれようとしてるんですよね。。

酒や薬でラリラリしてればつらいこと忘れられますからね。。


そんなわけで、2人とも文字通りの悪魔とはちょっと違うんです。


どっちかが偉いとか正しいとかでもない。
そもそも悪魔って、人間のように自由意志を持ってる存在じゃないんですね。

むしろ法則そのもの。道具。

ということは、使う方に問題があります!!w

先程のシュタイナーは、

両者の間に均衡をとり、2人の悪魔でさえ善にしてしまおう!

っていうようなことを言っています。

私見ですが、

フロイトの言うイド(タナトス)と超自我は、
ちょうどシュタイナーの言うアーリマンとルシファーに対応すると思っています。


イドと超自我を真ん中でコントロールするのが自我で、その確立が大事だと。

やっぱり中庸、バランス。

わたしたちは2人の血みどろの戦いに参戦するのではなく、
もっと高次元から仲裁しなきゃいけないってことになります。


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