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蛇が知恵の実を食べさせたのは人間を愛していたから!?不思議な悪魔の世界

前回の記事の続きです(が、単体でも読めます)。

キリスト教に限らず、人間が蛇っぽい存在と出会う説話はたくさんあります。

でも、それら蛇的な方々は必ずしも悪魔とは限らず、人類に知識を授けた良い存在として描かれることもしばしば。

たとえば伏羲と女媧、ケツァルコアトル、デンゲイなどなど。

興味ある人はウィキペディアで「蛇」を調べて、文化の中のところとか読んでみると面白いと思います。(まあ、既にレプティリアンに都合の良いように書き換えられてる可能性が否めないので全部うのみにしないようにね。)


そこで、今回のテーマは、頭が良い、賢い、知識が豊富、というのは果たして良いことなのだろうか、という話です。

あなたの目の前に線香花火で遊んでいる子供がいます。

子供が言います、「きれい~!大変、落っこちちゃう!」、そして手を出して、火花をつかもうとします・・・・・

どうしますか? 「危ない!!」って止めますよねたぶん。

それはなぜですか? 花火触ったらケガするからですね。それは知識・知恵です。

子供にはない知識・知恵を、子供のことを思うから、授けようとするわけです。


これと同じことをレプティリアンは人類にやりましたw

人間が「腹減ったわ~無理、死ぬ」って言ってるのを見てられなくて、

「しょうがねえ、農耕を教えてやろう」と。

人間が「病気つらい~超痛い~」って言ってるのを見てられなくて、

「この薬草を食べなさい」と。

めちゃめちゃ良いヤツですね。

・・・本当に???


そもそも、おおもとのところに遡ってみる必要があります。一番最初です。

「腹減ったわ~無理、死ぬ」「病気つらい~超痛い~」っていう感覚って、本当に人間(原初人型地球人)は持っていたのでしょうか?

心地よいものを心地よいと思う。不快なものを不快と感じる。

陰陽分かつ。ゲシュタルト(概念)の生成。

知恵を授けるというのは、陰陽分ける能力を授けることにほかならないのです。

何言ってるかわからないかもしれませんが・・・そうなのです。(笑)

この世界の全ては、頭の中でルール設定をしない限りひとつ=ワンネスです。

脳みそがルールを決めるから、光があり、闇がある。これはOK、これはNGといろんなことを決めるわけです。

(それをなくすのがゲシュタルト崩壊で、完全なゲシュタルト崩壊はワンネスという理解があります。)

脳みそのルール設定能力を人間に与えちゃったのが、レプティリアンなんじゃないの?という考えが成り立ちます。

その能力を与えたことを良いと考えれば、レプティリアンはほぼ創造神であり、そういう意味でも人は「神の子」ですね。人も神のように光と闇の創造ができるようになったと言えます。

一方、その能力を与えたことを悪いと考えると、よくあるキリスト教の、アダムとイブの蛇の話になりますね。

蛇が知恵の実あげたから、裸だったアダムとイブが恥じらい始めるんでしたよね?

恥じらうって要するに、陰陽=雌雄の別を認識したっていうことでしょ。


さっきの線香花火の子供の話に戻りましょう。

「火花は熱くて危険だよ」という知恵を授けることは、恐怖を教えることにほかなりません。

出ましたね、レプティリアンのキーワード。恐怖です。

一足飛びになってしまいますが、わたしが言いたいのは、陰陽分かつことは、すなわち恐怖を感じることと一緒だよ、ということです。

知恵の実は恐怖の実なのです。

でも、子供のことを思いやるからこそ教えるわけでしょ?

だからやっぱり、レプティリアンは人間が好きなんですよww

おわかりいただけたでしょうか?


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