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米原万里(1950.4.29-2006.5.25)『打ちのめされるようなすごい本』文藝春秋 2006.10  「『源氏物語』そのものより面白い  大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』他


米原万里(1950.4.29-2006.5.25)
『打ちのめされるようなすごい本』
文藝春秋 2006年10月刊
2009年6月21日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/416368400X
https://www.amazon.co.jp/dp/4167671042


「『源氏物語』そのものより面白い
大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』
マガジンハウス[1997.11]/ちくま文庫[2004.6]

十代半ばに『源氏物語』を与謝野晶子訳で読んだきり一度も読み返していない。もう少し率直に言うと、読み返す気が起らなかった。語彙や表現の多様さには舌を巻いた。でも、肝心の主人公に魅力がないのが致命的なのだ。
……
こんなくだらない男に女たちが翻弄されるのが、どうにも不愉快で馬鹿馬鹿しくて白けてしまい、登場人物の誰にも感情移入できないのだった。
……
カサノバの『回想録』や、西鶴の『好色一代男』にしても、いまだに読み継がれ、繰り返し舞台や映画になっている。どれも。基本的には多くの女と交わりたいという男の手前勝手な夢を描いているみたいで、女としてはムチャクチャ不愉快になるばかりなのだが、不思議なことに、『源氏物語』の作者は女だし、その現代語訳を成し遂げているのも、日本を代表する錚々たる女流たちなのだ。与謝野晶子に円地文子に瀬戸内寂聴に田辺聖子、それに未だに多くの日本の女たちが『源氏物語』に惹かれ続けていることも、ず~っとず~っと不思議でならなかった。
……
なるべく多くのメスとセックスして己の遺伝子を残すことを至上命題とするオスという「産めない性」と、なるべく優秀なオスとセックスして質の高い子孫を残したいメスという「産む性」のあいだの本質的相違からくるものなのではないか。
……
そんな具合に、私自身はさして魅力を感じない『源氏物語』に、世の人々が惹かれる不思議を非文学的に理屈付けして何とか心の安定を得ていた。それでも気になって仕方なかったのだろう。源氏物語論はずいぶん読んだ。『源氏』に反発しながらも、心の奥底で、その魅力を十全に語ってくれる説得力ある『源氏』論を待ち望んでいたのかもしれない。

そんな私にとって、本書のタイトルはまさにわが意を得たりで即購入、読み終えたとき、私の『源氏』観は一八〇度の転換を遂げていた。
大塚ひかりは、源氏のおとこたちが、いかにマザコンで女にも人生にもだらしなくて無責任で薄情であるかを、これでもかこれでもかと示しながら、男たちがサイテ~にならざるを得ないリアリティをも読み解いていく。
……
もう一度『源氏』を読み返してみようという気にさせてくれた。ただ、できれば、それが大塚ひかり訳『源氏物語』であって欲しいと夢見ている。」p.517 (ちくま文庫解説 2004.6)


米原万里さんがもう少し長生きできれば、
大塚ひかり訳源氏物語(ちくま文庫 2008-2010)
を読めたのになぁ。
米原万里による大塚ひかり訳源氏の書評が読みたかったです。

米原万里さんは2006年5月25日に亡くなられました。
亡くなる直前の『週刊文春』、最後の連載(2006年5月)の表題は
「癌治療本を我が身を以て検証」でした。

本書には、2001年から2006年、『週刊文春』に掲載された「私の読書日記」と、1995年から2005年までに発表されたすべての書評が収録されています。巻末に書名・著者名の索引付きで535ページもあって、読み応え十分です。

「モスクワの空港に到着後、夜行列車でペテルブルグへ直行した。アストリア・ホテルに落ち着く。列車で読みかけたリリアン・ヘルマンの自伝
『未完の女』稲葉明雄/本間千枝子訳 平凡社ライブラリー[1993.6]
を読み終える。幼年期から劇作家としてデビューするまでは回想記、市民戦争時のスペイン訪問と第二次大戦中のソ連滞在は日記、それに30年間同棲していた作家ダシール・ハメットなど最も身近だった三人の人物のポートレイトという構成である。しかし、まるで芝居を観ているような錯覚を覚える。描かれる人々、いずれもアクの強い曲者な上、ヘルマンが常に会う人々に対して超攻撃的なので、対話が劇のセリフのようになる。自己に対しても嘲笑的で終始辛口の文体が心地よい。ヘルマンは、大戦末期、五ケ月間もソ連に滞在している。……」
p.45「一年半ぶりのロシアにて」


リリアン・ヘルマンは
映画『噂の二人』1961
監督 ウィリアム・ワイラー
出演 オードリー・ヘプバーン シャーリー・マクレーン
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2644

『ジュリア』1977
監督 フレッド・ジンネマン
出演 ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレーヴ ジェイソン・ロバーズ
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10661


の原作者です。

「旅の途中で読み終えた本は、現地に長期滞在中の日本人に全部恵んでくる。彼らは例外なく日本語の活字に飢えており、非常に感謝してくれる。……「うまい鰻重や理想的なラーメン屋の話、このモスクワで読まされるのは、あまりにもあまりにも酷です」 なんで本を恵んだ相手に厭味を言われなければならんのだ!『タクアンの丸かじり』だ。あれを置いてきたのがいけなかった。教訓。丸かじりシリーズの本は、間違っても、長期間外地に在留する邦人に手渡してはいけない。ただし、この教訓のバリエーションとして、虐めたいヤツ、復讐したいヤツが長期外地に滞在している場合は、極めて有効な方法となる。」p.423


「…… 友人で小説家のH[姫野カオルコ 1958.8.27- ]からメールが届いた。
「トマス・H・クック『夜の記憶』村松潔訳 文春文庫[2000.5]
をお読みになりましたか? …… アゴタ・クリストフの『悪童日記』以来、これではもう私が書く意味はない、と思ったほどすごい本でした」 
いやが上にも、そそられるではないか。それにHが断筆したら人生の楽しみが減るので、早速近くの本屋に注文した。
……
軽い気持ちで頁を捲るや、恐怖で身体が強ばり、読み終えずに寝たら悪夢にうなされそうな気がして最終頁まで突き進んだ。
……
重層的な構成といい、緻密な細部といい、たしかにHが感心するだけのことはある。しかし「もう書く意味はない」ほどの傑作かというと、いや同じように現在と過去を絶え間なく往復する構造ながら、もっと打ちのめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを読んだことがあるような、それが何だったのか思い出せないもどかしさを抱えたまま、同じトマス・H・クックの最新作『心の砕ける音』村松潔訳 文春文庫[2001.9] を手に取る。……物語が佳境にさしかかったところで、アッと叫びそうになった。例の日本人作家とその作品を思い出したのだ。そう、丸谷才一の『笹まくら』(新潮文庫)[初版は 河出書房新社 1966.7]だった。36年も前に、最近のミステリーで斬新と讃えられる手法を自在に駆使して書かれていることに改めて驚き、早速Hに電話する。
「クックで書く気無くす前に『笹まくら』で打ちのめされなさい!」
p.85「打ちのめされるようなすごい小説」


「… 米原真理の書評がどういふ具合いにいいか、これから具体的に述べるわけですが、それがどうも書きづらい。この書評集でわたしの本が何度も取り上げられ、賞賛されてゐるからです。

殊に『笹まくら』論が大変なことになつてゐる。評価も並みはづれて高いし、それにふさわしく書き方も趣向があつて、力がこもつてゐる。

実を言ふと、わたしはこの「打ちのめされるようなすごい小説」といふ書評は、この解説を引き受けてはじめて読んだ。『週刊文春』は毎週届くし、書評欄はもちろん熱心に読むのに、自分の作品がこれだけ好評を博してゐるのを読みのがして、評者の没後に読む。

ひとこと何か言ひたかつたのに。人生といふのはまことにままならないものだ。残念だなあ。」
p.567「文庫版のための解説 わたしは彼女を狙つてゐた」

毎日新聞の書評欄を統括していた丸谷才一は、米原万里を書評の執筆者として起用しようとしたけれども実現しなかったと、この解説に書いています。

「福岡伸一 この書評本[『打ちのめされるようなすごい本』]は非常によくできていて、ちゃんと著者別の索引と本別の索引がついている。だからこの索引を見ると、米原さんがどんな著者を好きだったのかっていうのがわかる。丸谷才一に言及した箇所っていうのはものすごくたくさんあるんです。12か所もページが引用されていて、これはトルストイよりも多いぐらいなんです。「ま」のあとに「む」があるんですけど、村上春樹は一つもないんです。」
『文藝別冊 米原万里 真夜中の太陽は輝き続ける KAWADE夢ムック』
河出書房新社 2017.8 p.76
福岡伸一・河野通和「米原万里、言葉をめぐる愛と闘い」
https://www.amazon.co.jp/dp/4309979254

https://note.com/fe1955/n/nd8f3acdc8bc1
大塚ひかり(1961- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第二回 はじめに嫉妬による死があった」


https://note.com/fe1955/n/n333db0b1fcbd
大塚ひかり(1961- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第三回 紫式部の隠された欲望」
『新潮』2023年3月号


https://note.com/fe1955/n/n2b8658079955
林望(1949.2.20- )
『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』
祥伝社 2020.12
『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』
祥伝社 2014.4
『謹訳 源氏物語 四』
祥伝社 2010.11
『謹訳 源氏物語 五』
祥伝社 2011.2
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「舟のかよひ路」
『梨のつぶて 文芸評論集』
晶文社 1966.10


https://note.com/fe1955/n/na3ae02ec7a01
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「昭和が発見したもの」
『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』
伊井春樹編  思文閣出版 2008.6
「むらさきの色こき時」
『樹液そして果実』集英社  2011.7


https://note.com/fe1955/n/nf22b8c134b29
三田村雅子(1948.11.6- )
『源氏物語 天皇になれなかった皇子のものがたり(とんぼの本)』
新潮社 2008.9
『記憶の中の源氏物語』
新潮社 2008.10

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