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HSP気質は環境によって悪化する!?

HSP=生まれつき感受性が強く敏感な気質を持った人

HSPは先天的に生まれ持った気質とされている。

自分自身、幼少期から物事に敏感で、些細な事でも必要以上に深く考えたり、情報処理が複雑な人間である。


しかし最近思うのだ。

私は「先天的にHSPだが、後天的にその気質を強めてしまったのではないか」と。

※HSP気質は悪いものではありません。
活かし方によって素敵な能力となります。

今回は、HSP気質を理解出来ない、してもらえないまま成長した事により、大人になってからその傾向に苦しんだ自身の経験を書くので、あえて「HSP気質が悪化する」と表現しています。


幼少期の環境が及ぼす影響

幼少期、私は周囲の大人達からHSC(highly sensirive child)だと思われていなかっただろう。

そもそもHSPという言葉が世に広まりだしたのが、つい最近である。

HSPなど当時の両親や教師は知りもしなかった。


些細な事を異常に気にする私は、「心配性」「ビビり」「小心者」「引っ込み思案」「内気」という認識をされていた。

私の気質は、全てマイナスな印象を受ける言葉で括られ、「改善すべき悪い点」として捉えられていた。

両親からの言葉の影響


小学生の頃、夜になると不安で不安でよく泣いていた。

学校であった嫌な出来事、困った事を思い出しては、明日それが起きてしまうのではないか、また嫌な思いをするのではないかと繰り返して考えてしまうからだ。

頭の中は、明日会うであろう苦手なあの子や怖い先生の事でいっぱいだったのだ。

子供だった私は、頭の中を永遠に駆け巡る情報を処理しきらず、混乱し、夜泣きしていた。


他に強く記憶に残っている事といえば、

学校の教師がクラスでふざける男子を大声で怒鳴りつける時間が苦痛だった。

別に私が怒られているわけではない。
そんな事は分かっていた。

だがなぜか自分が怒られている当事者であるかのような強い恐怖感が襲ってくる。

足はすくみ心臓がバクバクした。

大きな音全般苦手だったが、特に怒りを感じる大声が嫌いだった。

そんな事があった日の下校時には、よく頭痛と吐き気に見舞われ、帰ったら寝込む事が多かった。


そして親や教師から自分がどう思われているのか、気になって仕方なかった。

「これをやったら嫌われるのではないか?」「これが出来なかったらダメな子だと思われないだろうか?」と常に大人の顔色を伺って過ごしていた。

ある日の夕方、学校が終わって帰宅すると、母親の「おかえり」の声がいつもより元気がなく感じた。

その後は母親が自分に何か怒っているのではないか?何かダメな事をしてしまったか?と機嫌が気になって仕方ない。

夕飯の時耐えかねて、「なんで怒っているの?」と恐る恐る尋ねた。

すると母親は、「え??なんで??怒ってないよ」とキョトンとしていた。

その日は偏頭痛で少し体調が悪かったそうだ。

小学生だった私は母親の「おかえり」の元気がなかったのは、自分が怒らせたからだと思い込んでいたのだ。


とまぁ私の子供の頃はこんな感じで、根拠のない不安や恐怖で常に満たされているようだった。

そんな私をみて両親はいつもこう言っていた。

「何にそんなに怯えてるの?心配しすぎだ。もう少し大きく構えて強くなりなさい」

「気にしすぎ、マイナス思考をやめなさい」

「何故そんなに怒られるのが怖いの?そもそも、そんな小さな事で怒る人いないし、怒られたとしても気にしなければいいじゃない」

と。


今の私なら、それが私を思って強く元気に生きてほしいという思いから出る言葉だと理解できる。

でも当時の私からしたら、人格を180度変えろという指示に過ぎず、到底実現する方法も分からず、途方に暮れていたのだ。

自分の敏感な気質に対応する方法が分からないのに、周囲の大人からはひたすら「心配性を治せ」と言われる。

「今の性格のままではダメなんだ」「周りの子達と同じように、ビクビクせず、なんでも平気にこなさきゃ」という思いが私の頭を占めるようになった。  


子供の頃に凝り固めたこの価値観が、大人になった今、私の自己肯定感を下げ、

欠けている自尊心を補うように、他人からの承認を得るための言動を必死にとるようになった。


恐ろしい事に、子供の頃と大人になった今の自分は何も変わらない。

私は今も変わらず、職場で人が怒られているのを見るのがとても苦手で、緊張すると気分が悪くなる。

今も変わらず他人の機嫌を気にして、自分が誰かを怒らせたり嫌われていないかと気にしている。

恐怖感と1人で戦う経験


HSPである私は幼少期から、強い恐怖感に1人で戦っている事が多かった。

家族や周囲の大人、クラスメイト。
私を取り囲む人間は大勢いたが、HSCだった私の気質を、HSP気質」と理解する者はいなかったからだ。

私はただの、「気にしすぎな子」「気弱な子」でしかなかったのだ。

小さな私も、自分でその状況を理解していた。

だから人に助けを求めても、基本的に救われない事を、幼いながら知っていた。

生活する上で出てくる不安や恐怖と、孤独に向き合うしかなかったのだ。


大人になった私は、人からこう言われる事が多い。

「何考えてるか分からない」
「メンタル強いよね」

メンタルが強いなんて、自分でも笑えてしまう。

人に本音や弱みを話しても、理解されない経験の方が多かった事で、「人に本性を見せない癖」がついてしまったのだろう。

そこには幼少期の「どうせ話しても分かってもらえない」という気持ちが根底にあるように思う。

傷付いた時、悲しい時、不安な時、怖い時、

そのどのシーンでも1人で戦うしかなかった経験が、大人になった私を、「よく分からない人間」にしてしまったようだ。


とはいえ、人にそう思われるだけなら特段害はない。

だがもし、私がもっと人に頼ったり相談したりする事ができたら、もうちょっとほがらかに、素直に、生きられたのではないかと、そう思うと少し寂しい。


今は幸運なことに、HSPという言葉がだいぶ浸透している。

確かにHSP気質を甘えだと、良しとしない人間もいる。

大人になってから公にHSPを理解して貰おうとしても難しいかもしれない。

だがHSCの子達にはせめて、自分の気質を嫌いにならないでほしい。

大切な自分の一部として、受け入れて、健やかに生きてほしい。

その家族や周囲の大人達に、ありのままの、HSCのままの子供達が受け入れられて欲しい。

その子達にあった環境を守ってあげて欲しい。

大人になって、強く羽ばたくために、そのために、

HSCの子供達に伝えて欲しいのだ。

HSP気質は、きちんと理解して適応させれば素晴らしい能力となる事を。












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