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何をつくれば良いのだろう?

産地でものづくりをしていると「何をつくればよいか」という漠然とした相談を受ける。何をすればよいのだろう?漠然とした不安感の様なものがある。情報が爆発的に増え、既存のメディアが信頼できなくなるように、既存の流通からの情報に信頼がおけないのだろう。百貨店や専門店や量販店といった実店舗に加え、カタログ通販も良くないらしい。ネット販売が広がったのだから当然のことなのだけれど、既存店の中でも売れるものもある。一方で新しい流通やクラウドファンドの様な話題性で売るマーケティング手法が成功しているように見えるのも仕方がない。情報に振り回され、考え過ぎて何をつくれば良いのか分からなくなるのだろう。

不安に感じて行動しなくなることで悪い方へ進む。周りを見渡すと確実に商品開発をを行い、販路を探す事を続けている工場が良い方向へ進んでいるように見えます。考え過ぎたって自分達に出来る事など限られます。頭悪そうだけど、何か作って世の中に問うから次の可能性が生まれると思っています。工場の強みは己を知る事からはじまると思います。そういう意味でも社外のクリエーターとの連携は重要だと思います。自分の魅力を当の本人は気づいていない事はよくあるのです。そして産地の生産者は同業他社の情報をほとんど持っていません。産地にネットワークを持つクリエーターなら自分を映す鏡の役割を果たしてもらう事も出来るでしょう。

新潟県十日町市は織物産地として知られています。先日の織物関係の友人に十日町の織物の事について聞いてみました。もちろん特徴を良く教えてくれたのだけど、一方で織物産地として後発だったことからマネする技術力が高いといったネガティブな言い方もしていました。後発である(新潟の産業はどれもそう)事は都から距離が有れば仕方のない事でしょう。進んでいるものを取り入れ、改良し進化させる努力は悪い事ではないと思います。燕や三条も安物やモノマネと言われていました。しかし実際に作れる産地が減っていく中で、今日の需要に応える事で評価は自然と変わっていきます。作り手が魅力を発信する上で自信を持つのは大切ですよね。

そもそも私が十日町の織物「明石チジミ」に興味を持ったのは、昭和初期にCMを使って人気を得たという話に興味を持ったからです。モノづくりを行う産地は「良いものさえ作ればそれは伝わる」と信じていてCMを使って伝えるという手法を取り入れる事は稀だと思います。古くから新潟では越後チジミと呼ばれる織物が有り、平織りは越後上布と縮織は小地谷チジミと区別されたそうです。これらは麻を素材とした織物です。その技術を絹糸で発展させたのが十日町の「明石チジミ」なのだと思います。絹織物としては後発な織物を、広く知らしめたのが当時人気作曲家「中山晋平」に作曲を依頼しつくったCMソング「十日町小唄」を使った宣伝だそうです。さらに人気画家「竹久夢二」に依頼し制作したポスターも効果が有ったようです。それにより爆発的に認知度が上がり十日町の「明石チジミ」は高い人気を誇ったそうです。作る事と並行し伝える努力の大切さを伝える例だと思います。

資源の乏しい日本は加工貿易で先進国と呼ばれるようになりました。第二次世界大戦で敗戦国となり、そこから7年で復興したそうです。こうした事実を私は燕の工場で働くベトナム人の友人から聞きました。彼女はベトナムを発展させるには時間をかけていられないので日本の大学に留学し、燕の工場で働いています。日本のものづくりはオワコンと言われますが、考え方一つです。リチュウム電池どころか電気ポットも作れずステンレスポットしか作れないけれど、つくれるものをより良く進化させていきたいと思います。ベトナムのホーチミン辺りは、今では新潟より進んでいるように思えますが、深層部では優れた部分が有るのだと思います。

暮らしを飛躍的に進化させる技術も生まれる。一方でほんの少し上質な生活に進化させる道具も生み出す事は出来ると思います。変わらない事が良い事ばかりだとは思いません。スペックに表せない進歩もあるでしょう。デザイナーはその為に存在します。若いデザイナー志望の人にも興味を持って貰えるともっと可能性は高まると思う。新潟には長岡造形大学が有るのにものづくのデザイナーが増えた感じ無いのは残念です。発信力も大切な事だと思います。自身の活動を世に知らしめる事も大切ですよね。

冒頭の「何をつくればよいか」に責任をもって答えられる人など居ないでしょう。地域の産業を知り情報発信を並行して行う事しかないと思います。実際にそれを実践している福井の「TSUGI」の新山直広さんは凄いと思う。新山さんは鯖江市役所の臨時職員をしながら友人らと「TSUGI」を始めて今日まで様々な活動を行っています。多種多様な活動をしながら、情報発信も含めて地域のものづくりに貢献しています。上手く行く事ばかりでは無いだろうと容易に推測できるけど、そんなそぶりは全く見せません。本当に頭が下がります。地域を変えるの「よそ者・若者・馬鹿者」と言われるが新山さんは正にである。新潟にも同じように活躍するデザイナーが増えると嬉しいのだけれど。

私はよそ者でも若者でもないのですが、自分に出来る事はまだまだ続けたいと思います。同時に自分の住む地域や歴史から発展してきた産業は当たり前にそこにあるわけではありません。昨今古くからあるお店が閉店すると情報が流れると行列になる事は珍しくありません。飲食店はある程度、新陳代謝をくり返すのでしょうが産業は簡単に次は生まれません。地域の産業を新しい生活者が時代に合わせて進化させていく事も大切だと感じています。

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