製品完成

出来る事をやろう。

廃業増えていますね。先日もNHKスペシャルでも大廃業時代と題したドキュメンタリーやってました。皆さんはどう思いますか。私はモノを作る事しか出来ないのでそれを止めようとは思いません。周りの賢い友人はモノが余ってるのに作ってどうすると言います。モノよりコトだよと。

今の日本は白物家電はほとんど作られていません。情報通信機器も部品は別にして製品の多くは国内で製造されていない様に思います。頭の良い人が考えた結果なのでしょう。生産設備は日本製だと言う人もいますが気休めにもなりません。人件費が高いから本当にそう思っているのでしょうか。モノを作るのは例えば農業を見ても大変です。大変な事から逃げて誰かに押し付けて立派な理論を振りかざしている様にしか思えません。

今日雑談で聞いた話ですが漬物屋さんが廃業したそうです。美味しい漬物を作る会社で後継者もいたのだそうですが廃業を決めたとか。理由の一つが漬物の材料になる野菜が手に入り難くなったそうで、材料費が上がりコスト転換が出来なかったとか。材料の野菜が上がった理由の一つが、農家が直接流通をする様になったそうです。今まで売場が受付ない規格外の野菜を農家が上手に流通に乗せる事を学んだのでしょう。この様な例は工場でも起きています。

今まで売る事に関して人任せで、作る事だけには専念し情報収集をして来なかった経営がその様な結果を招くのでしょう。折角の強みで有る「作れる」事に価値を見出さない心がそうさせるのでしょう。以前なら効果を上げる「宣伝」には多額の費用が掛かりました。今は無料でそれが可能です。こうした経営はITに対して弱い事から起こります。折角の良い商品を作れても、昔の様にそれをビジネスにして広げてくれる誰かもうはいません。

「人件費が高いから海外で作れば良い」とか言っているうちに、日本では価格を度外視してもものづくりが出来なくなってしまいました。ポットは作れても電気ポットは作れません。そのうちポットも作れなくなるかもしれません。ものを作り続ける事にも意味は有るのです。

私がデザインしたコーヒードリップポットを使ってくれている、ユーチューバーの高橋ユウ太さんが最近の動画で中国製の良いポットを取り上げていました。彼が言う様に仕上げや質感に置いて非常に高いレベルのポットです。同じモノは燕でも作れないでしょう。彼は動画の中で1週間使い込んだ結果、やはり私のデザインしたポットの方が良いと言ってました。私も何となく間隔的に分かります。最新の設備が作った中国製の製品は勿論良いです。しかし、熟練した職人の技術で作る心地良さも有るのです。

工業製品では有るのですが、燕の製品には程よいいい加減さがあって心地よいのです。でもそれは強い意志で続けて行かなくては簡単になくなり、二度と再生される事はありません。昨日も三条の工場で70代の社長と打ち合わせでした。途中で社長がちょっとついて来いと建物の外へ案内されました。ついて行くとそこには昭和58年製の三菱jeepがありました。嬉しそうに「買ったてぇ、運転しても良いよ」とキーを差出されました。久々のマニュアルでステアリングもオモステで真っ直ぐ走るのも難しい車でした。でも嬉しそうな社長からものづくりのエネルギーを貰いました。

ITを活用して作るだけではなく、様々な違いを上手に伝えられるデザイナーが技術を持った工場と協力して流通を作る。下請けの工場が自社製品で続けられる事は日本の将来の大きな意味があると思います。あんまり賢い生き方をしなくても良いし自分にできることをこれからも続けていたい。

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