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過去の自分 4年 井上怜

まず初めにこのブログを開いていただきありがとうございます。
自分自身強気の性格のため、あまり自分のネガティブな感情とかを曝け出すのは好きではありません。
でも今回このブログを書くにあたり、最初で最後になるかもしれないありのままの自分を曝け出してみました。
是非最後まで読んで頂けたら光栄です。





思い返せば約3年半前。

東洋大学の門を叩き、サッカー部に所属した自分は1年生から試合に出てプロになる。そんな未来しか見ていませんでした。
でも現実は…


全くそんなことはなかった。

1年生の時試合に出さしてもらえて、肉離れ。
怪我が治ればすぐ試合に出れる。そう思いリハビリもしていたが、公式戦への出場は3年の後期までなかった。

今まで順風満帆に進んできたサッカー人生。
過去の栄光に浸り、プライドだけが先走っていく。
見栄を張って、自分にベクトルを向けれず人のせい。
自分の心はもはや崩壊寸前。


こんな人間自分でも嫌いになるくらい嫌だったし、苦しかった。
3年の夏までBチームに居た。
特に3年の始まりから夏まで。この期間は地獄のような毎日だった。

サッカーがなければこんなに苦しむことはない。
サッカーを辞めた方が幸せに暮らせる。

サッカーが無くなったら生き甲斐なんてないってことは自分が1番分かっていたのに、そんな事まで思っていた。

毎日憂鬱だったし、寝ようと目を瞑っても毎日うなされ、3時・4時。
そんな時間まで寝れない日々がほぼ毎日。
電車でも涙をこらえることもあったし、家に帰って夜ご飯を食べている時でさえ涙をこらえていた。
そして1日の最後にシャワーと一緒に涙を流すのがほぼ毎日だった。
地元の友達たちも本当に自分のサッカーには期待をしてくれて応援してくれていた。
それを言葉で伝えてくれていた。
でもそれも辛かった。何してんだろ俺は。いっつもそう思っていた。
帰り道に、もう辞めたい。そうLINEして心配をかけた家族もいつも通り毎日美味しいご飯を出してくれた。
自分の苦しさが隠しきれなかった分、家族にも本当に苦しい想いをさせてしまっている。それが一番辛かった。申し訳なかった。
できることならあまり会いたくなかったし会話もしたくなかった。
目を瞑るたび家族友人の顔が頭に出てくる。


本当に苦しかった。


そして、とにかく監督が憎かった。

そんな事を思っている時点でBチームにいるのは当たり前だったけど、その時の自分はそう思わなければ生きていけなかったのかもしれない。


でもある日監督になぜAチームに上がれないか、何が足りないのかを聞きにいった。

答えてもらった事を真剣に改善しようと取り組んだ。
今思えば、自分のサッカーが監督に気に入られるためのサッカーになっていた。
それが良くないのは気付いていたけど、そうする以外自分の中では無かった。
人からこんなにも評価をしてもらえないことはサッカー人生でなかったから、どうしていいのか分からず、もがいていたんだと思う。

ようやくAチームに上がれた夏。
最初の数日は毎日楽しかった。
練習で結果を出せば試合に出れる。
やる気で満ち溢れていた。
でもそんなうまくはいかなかった。
毎試合メンバー発表を期待するけど自分の名前は呼ばれない。
悔しかったし、辛かった。
練習を帰ったり、監督になんで出れないんだって聞きにいくこともあった。
気持ちの表現の仕方を間違えていたけど、そんな表現しか出来なかった。

本当に子どもだった。

でも今思えば順風満帆に進んでいたら今の自分はいなかった。謙虚さのかけらもなく完全に調子に乗ってプロになる事も出来なかったと思う。
なってはいけない人間になっていたと思う。


こんなに苦しい想いはしたくない。それと同時にこんなに苦しい思いをしていて、でもサッカーが好きでサッカーをやってる人は周りにも沢山いること。
だからこそチームを代表して出る試合には他の人より熱い気持ちを持ってる。
しかし、試合に出ることが当たり前だとは思ってない。



この経験をしたから同じ経験をしている人に伝えられることがある。
そして自分がまた同じ経験をした時に、同じ感情と同じ行動をしないこと。
これが1番大事なことだと思う。

・ベクトルを向ける方向は自分のみ
苦しい時、うまくいかない時こそ自分にベクトルを向けることが大きく成長できるということ。
人に目を向けても何も始まらないし何も自分の成長には繋がらない。

・目標を見失わないこと
どんな状況でも自分は絶対プロになるって思ってたし、プロになった後の未来も見てた。
目標を見失ってしまったら、成長はないし苦しいことから乗り越えられることはない。
目標を見失わなければ乗り越えられるし乗り越えた先に大きな成長があること。

・自分への期待をやめないこと
最終的に自分を本当に信じてあげられるのは自分しかいない。自分への期待をやめて諦めてしまったら終わってしまうからせめて自分だけは自分に期待を持ち続けること。

この3つは本当に大事だと思います。
自分もこの3つが完璧にできるわけじゃないけど、どんな壁にぶつかっても真面目に謙虚に直向きに頑張りたい。また同じサイクルで長い間苦しみたくない。
でも必ずプロに行って競争があってうまくいかない時も絶対ある。

その時にどう自分と向き合うか、どう頑張り続けるか。
自分が大学サッカーでどれ程成長出来たのか。
上手く行ってる時こそ足元すくわれないように謙虚さを持ち続けられるか。
楽しみです。

とは言ってもその競争に負ける気はさらさら無いし、勝ちに行きますよ。

そして最後にここまで頑張れた大きな理由は仲間です。
東洋大学は少人数制だから、自分達の代は14人しかいません。
でもそれだから良いんです。
みんな個性があって練習前後では沢山会話してこの仲間だったから苦しくても練習は行けたしサッカーを続けられたと思います。
本当に大好きで家族みたいな存在。
大学卒業しても、沢山会いたいと思える人達。
本当に大事でこんなに良い出会いをできたことは感謝してもしきれない。
みんなとくだらない話をする時間が大好きで、なんでも話したくなっちゃう人達。それぞれ色んな思いがあるけど人の気持ちを考えられる人達。
1人1人を尊敬してて、自分にないものを持っている人達。
これからの人生でも必要な存在になってくれてありがとう。
一生よろしくね🫡


そして家族。
家族にも頭が上がらない程感謝してます。
ここでは簡単にしか書きません。


一緒にどん底まで落ちてくれて、一緒に這い上がってくれてありがとう。


いつどんな時も、扉を開ければ毎日変わらない景色と変わらない雰囲気。
その扉を開けた時の落ち着きは家族にしか作れない。
その扉を開けることがあの時の自分が1番求めていたことだったかもしれないと、今思う。

これから一生かけて恩返ししていきます。



長々とありのままの自分を曝け出してみました。
少しでも多くの人に伝われば良いなと心を込めて書きました。
これからもサッカー人生は続きます。
上を目指し続けて生きていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




次は大宮アルディージャの申し子高柳郁弥です。
是非読んでみてください。

東洋大学体育会サッカー部 4年 井上怜

井上怜(いのうえ・れん)2001年1月18日生まれ
vivaio船橋→市立船橋高校

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