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「SUNNY 強い気持ち・強い愛」で振り返る学生時代


感想:エモいを通り越して、瀕死。

ネタバレあり。もはやレビューではなくただのエッセイ


TOHO日本橋で鑑賞。アントマン&ワスプと二本立てでした。韓国版が結構お気に入りだったので当初リメイクのニュースを聞いた際、日本に置き換えて?政治問題も絡めず?どうやってリメイクするの?しかも大根仁?とハテナマークてんこ盛りだったのですが、とかく90年代カルチャーの再現率はすんばらしいので美術部門に★5点。ラブボート、アルバローズ、ヒステリックグラマー、ミジェーン、ジャイロジャイロ、チェキ、使い捨てカメラ、テレクラ遊び、ポスカデコ、ストニュー、egg、Cawaii!!、紺ハイソにルーズソックス、ラルフローレンのベスト、無印良品のフォトブック、アルミの手帳、プリクラ、花のヘアピン、カーディガンにつけたバレッタ、チュッパチャプス、ワイルドブルーヨコハマ。1982年生まれ、90年後半に女子高生やってた身としてはドストライクでした。でも、つらい。こんなに直視できない映画は「銀魂1」以来だ


多分これを鑑賞した99%の人は楽しめていると思う。学生時代のノスタルジックな思い出に身を任せて、旧友に連絡するかもしれない。サニーみた?ちょーなつかしい!うちらもあんなだったよね。今度ごはんいこうよ!なんてな。初日満席だったのに途中退席される方が数人おり、私も危なかった。韓国版は人情話で見られるのに、日本版はいたたまれない。学生の集団ヒステリーなところもなじめなかった。見捨てた青春の仕返しだと思って、ふんばって最後までみた。

韓国版感想はこちらを参照。ナイトウミノワさん

キム・シフ インタビュー(韓国版のジュノ役) 

三角締めでつかまえて カミヤマさん


脚本は韓国版と同じく、大人と子どもの役者をうまく寄せており、このあたりは感心した。みんなに騒がれるとすぐ声がちいさくなってしまう専業主婦の篠原涼子も、ともさかりえの場末スナックママっぷりも板についていた。病室の板谷由夏、ぶん殴っても死にそうにない美しさだったのに、「いたいよぉーなみぃー」と叫ぶ姿はみてらんなかった。たぶん誰よりも気が優しくて力持ちな渡辺直美に、元貧乳設定が皮肉な小池栄子(小池は八日目の蝉がよかったです)が病室のベッドでわちゃわちゃしているところはよかったです。小池栄子が浮気した旦那はこうしてやる!ってとこ、いいんですよね。バナナじゃなくてとうもろこし折ってたな。女性は「浮気した男」より「浮気相手」を憎むひとが多いから、胸のつかえがとれた。「もし夫が私を裏切っても、私はきっとかれを責められない。愛した男ならなおさら」こんなセリフがヤマシタトモコの漫画にも出てくる、オンナゴコロの摩訶不思議。


大根仁監督のインタビュー。


女子高生パートはぼんやりとしか覚えてないけど、広瀬すずの食卓場面、海辺でキスするスーパー高校生三浦春馬(ロンゲ!)と池田エライザがよかった。ああいう、全身アムロファッションでスタイル抜群のクール女子は学年に1人はいた。ふたりにほのかな恋心を寄せていた広瀬すずは爆死するわけで。なんで春馬のヘッドフォンからCHARAが流れるんじゃーいとツッコミだったけど、あれはすずちゃんの心境だったのかな。篠原涼子が三浦春馬の店に行って当時のフライヤーと写真(写ルンです!!)を渡すとこは韓国版ノスタルジー抜群で切なかったのに、いざ自国民にやられるとストーカー行為すぎて引いた。イ・ギョンヨン演じたパパのほうがかっこよかったな…


90年代後半、渋谷センター街はいかがわしさにあふれていて、偽造テレカや改造携帯のバイト募集したり、アクセサリーショップではLUSHやマジックマッシュルーム、フリスクにしかみえない薬も買えた。IDチェックなんて言葉はなく、サニーに出てきたラリってる子もクラスに普通にいた。ホストやテレクラのバイトしたり、援助交際や窃盗(教師や同級生の財布を盗んでお金おろしたり)で補導される子も多かったし、クラブ通いでドラッグに手を出す学生も出始めたため、高校2年のときには警察庁がきて「薬物講座」をひらいた(これでも都内の有名私立だったんですよ…)中学校は優しい動物園だったのに、高校はちょっと違っていた。大学受験組とエスカレーター狙いにわかれて、前者は内申書気にして一心不乱に勉強、後者は成績5段階で2.5とりゃ行けるし、みたいな、すました顔で遊んでる奴ばかり。同調圧力が強くじんわり精神をやられていく場所だった。


私は大学行くか迷ってたので後者だったけれど、授業サボるわ勉強しないわ服装規定やぶるわで一部の教師に嫌われてしまい、登校しづらいときもあった。なので同級生とつるまない遊び方を模索していた。気分転換に隣の男子校に遊びに行って殴り合いをみにいったり(さながら鬼邪高校のファイトクラブ)Sugar SoulのAICOが出入りするミニバーに潜入したり、HMVのJ-Wave公録に毎週いってアーティスト発掘に励んだり、中谷美紀みたさに新宿2丁目にいってみたり、ずる休みして鈍行乗り継いで日光東照宮いって野宿したり。学校の外では青春時代を満喫していたと思う。


小池みきさんのブログの感想で「SUNNYは悪くないけど、ポリティカル・コレクトネスについては言及したい」とあるように本作品には非常にイケてない表現が散見される。あの当時、女子高生はブランドとして「商品化」「記号化」されて非常に生きにくかった。映画の中でもコギャルはクズみたいな言い方されてたし(それをリリ・フランキーに言わせるあたりがゲスい)それを跳ね返すだけのパワーが私達にあったのは事実だけれど、「ガキには何してもいい」という大人からの圧力に負けない、精一杯の強がりだったところも否めない。


私はあそこにいたけれど、花のヘアピンつけて写真にポスカでいたずら描きしたりジャイロやアルバの服買ってダンス大会でてカラオケ行ってたけど、サニーたちみたいに心の底から笑えてなくて、結局外の大人たちと遊んで背伸びしてた。学校は早く卒業したかった。卒業式もバックレたかった。当時の「何もないを消費する」姿勢や「端が転がってもおかしい」という無為な生き方が苦手で、学校と外でキャラを変えて二重人格みたいになっていた。中高時代の友人たちから離れてしまったのは、成人してから生きるベクトル違うなと思ってしまったから。サニーの体育館はパラレルワールドでした。もう交わらない人たちなんだな、と思って最後ちょっとしんみりしたよ。逢いたいひとに逢う、今年の抱負はそう決めた。たぶん、私のサニーはそうじゃない。あらためて思い知らされた映画です。大根仁監督、ありがとう。やっぱりあなたとは気が合わねぇ!!


以上です。

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