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自分で自分の世話を焼く

2021年、幕開け。


新年あけましておめでとうございました。

無事に引っ越しが終わり
無事に妹の出産が終わり
今年もみんな無事に年を越しました。


歩いて数秒の家に住んでいる三女一家と
里帰り出産中の次女一家と

まだどっちが家なのかわからない長女の私。

近くにいるおかげで
今年もみんな一緒にお正月を迎えられました。


思い起こせば去年は一年

会いたい人に会えなかったり
会いに行かなかったことを後悔したり
その狭間で悩んだりした一年でした。


長らく介護や看護に青春を捧げ
家族の為に、親の為に生きてきた37年間

今年は
「自分の為の人生」を送ろうと決めた2020年

コロナ禍により婚活は停滞しましたが

職場を変えずに会社を乗り換える事と
一人暮らしをする事 という壮大な野望を
2つクリアできました。


いや、婚活が停滞した というのは
なんなら少し意味が違っていて

新たな出会いの場に出向くチャンスを
何度も棒に振ってきただけで


誰かに惚れてもらえるような自分になるために

その時に自信をもって
自分自身を勧められるように

できる限り努力はしてこれた、と思っているので

ある意味 成功 であるわけです。


胃下垂を直すための腹筋も
腹筋からエスカレートした諸々の筋トレも

いつか来るその時に、
少しでも(年の割に)イイ身体でいられるように


婦人科系の検査やそれに伴う治療も
日々の生活に気を付けて自らの身体を健康に保つ事も

いつか来るその時に、
子供が産める可能性を少しでもキープできるように


これは、立派な婚活だと、思うわけです。



何より「一人暮らし」を再開できたことは
一番大きな 婚活 の一環だと思っていて

これまで何もかも先回りして私の世話を焼いていた
心配性で過保護な母と
物理的に距離を置くことにより

まだ完全ではないものの、身の回りの家事をしながら
仕事に出るようになった。


少しずつ家具が揃っていく部屋の中で
何度無意識に微笑んでいたかわからないし

組み立てが必要なチェストを
一人笑みを浮かべながら着々と組み立てる自分に気付いては
なんだか複雑な気持ちにもなった。


心のどこかで私は

実家から その言葉通り目と鼻の距離しか離れていない
そう安くもないマンションを借りて

自立のためとは言いながらも

一通り家具を揃えて(頂き物も多数あるが)
実家とは別に光熱費を払って生活することを

味わうべきではない贅沢すぎる事だと 未だに感じている。


これは自立だけではなく
精神安定にも繋がる治療なんだと思えば

私にとってはもちろんの事
母にとっても

私がいつか完全に家を出るその時の為に
まずは一歩、たった一歩でも離れることが
お互いにとって大切な事なんだと思えば

「贅沢」という言葉では片付けられない
「意味」があるわけなんだけど。


ふと、この状況に幸せを感じてしまっていることを

まだ「親不孝者」だと思ってしまったり
とてつもない「罪悪感」を覚えてしまったり

情けないと感じてしまう自分が、いたりする。


それが正しいのか間違っているのかは
きっと今わかる事ではないのかもしれないし

もしかすると一生わからないかもしれない。



ただ、ひとつ

自分で自分の世話を焼く ということが
こんなに嬉しくて安心できる事だとは

思ってませんでした。


実家にいて母の手伝いをするのとは
全然違う。


明日のお弁当を仕込む為に
残業終わりに夜更かしになってしまったり

洗濯物を回す為に早起きしたり

天気が良ければ布団を干したり
早い時間に帰って来れた日に掃除機をかけたり


勿論、やらずに済めば楽な事なのかもしれないけど

今は自分で自分の生活の面倒を見ることが
とても楽しい。



母からすれば
私を助けるつもりで言っていたであろう

「やらなくていい」
「置いといて」
「触らんで」

の言葉も


私にとっては

自分でできる事は自分でやりたい という私の意思を
正面から否定される発言でしかなくて

それに甘んじるしかない自分が恥ずかしくて
そんな生活を未だにしていることを誰にも言いたくなくて

頼んでも辞めてくれない母の「私の世話」が
自分の中でいつしかどんどん苦痛になっていた。


私よりも早く起きて 朝ご飯を作る母の足音も
本音を言えば毎朝聞くのが苦しかった。


本来は有難いことなのに

有難いと思えない自分が、嫌いで仕方なかった。



母が嫌いなわけでも憎んでいるわけでもない。

だから毎晩、夜ご飯は一緒に食べています。

この距離でもし丸一日会わない日々を
当たり前にしてしまったら

きっと私は
自分からは用がない限り会いに行かなくなると思う。


近くに住むことを許した理由の中には
私も母を心配しているという事実があるからこそであり

母を捨てて家を出たい わけではないから。


この距離で、いかに「自立」を図れるか。

私にとっての精神的な「自立」が
どれだけ自己肯定感を取り戻せるか。



まだまだ身動き取れないご時世ですが

まずは自らの心身安定を重要視しつつ
大事な周りのみんなの幸せを
今年も祈りたいと思います。


本年もよろしくお願いいたします。

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