物語とはアルコールである

最近寂しい。学生の僕はゴールデンウィーク中、アニメ観てゲームしてラノベ読んで小説読んで漫画読んでます。これはこれで充実していて楽しいんですけど、そろそろ寂しさが募り始めた連休5日目、ふとこう思いました。

「寂しさ」という「飢え」を満たす「人との関わり」というものが「水」だとするならば、自分の介在しない「物語」というのは「アルコール」である、と。

物語は、人との関わりから得ることのできる活力を少なからず与えてくれます。しかもそれは1人の人間が作り出したある種恣意的なものなので、現実に存在する煩わしさを気にする必要がなく、心地よい部分だけを享受することも可能です。こういった点はアルコールの、酩酊感という形の幸福感に似ています。

しかし物語にはなまじ自分自身が介在する余地がないために、心の奥深くの寂しさが埋められないという側面があります。僕は映画にしろアニメにしろ漫画にしろ小説にしろラノベにしろ物語は大好きですが、誰もいない世界で物語だけを与えられても、生きることはできないでしょう。恋愛小説をいくら読んでも自分が恋愛しなくてよいとはなりません。アルコールも、飲む際は喉が潤ったように感じますが、実際には喉の渇きを増大させるらしいです。いくらアルコールを口にしても、水を飲まなければ。アルコールだけでは人は渇いて死んでしまうのです。

物語は極上の味を持ったアルコールです。物語でしか味わえない人生の喜びがあるのは事実です。僕は未成年ですが、おそらくそれはお酒に関しても言えるのでしょう。しかし、真に渇きを癒すためには水が必要です。物語の享受ではなく、人間との交わりあっての生活であるのだなと、1人思い知らされた連休でした。

あと追記すると、風俗などの「お金やモノで買った、人との繋がり」は海水です。あれは真水が手に入れられない人間が仕方なく手を出すものです。しかし僕が将来的に海水を口にしなければならない側になる可能性も十分にあります。

許されるならば、たくさんの透き通った水と、少しのおいしいお酒だけで生きていく大人になりたいものです。

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