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もうどこへも行かなくていいと思った

かつては自分の町にも魅力的な個人店があった。今は大型チェーン店ができて、昔からの商店街にはシャッターがおりて閑散としている。若い人たちは出て行ってしまった。「居てくれてありがとう」「つくってくれてありがとう」「買ってくれてありがとう」というような感謝の連鎖は絶たれてしまった。町に活気を取り戻したい。そんなふうに考えている人がいたら、西荻窪周辺の小商いのことを考えてほしい。

今日は「西荻窪Good Neighbors」のプロジェクトを始めた背景を書きたいと思います。

「もうどこにも行かなくていいと思った」というのは、ステイホームの日常の負け惜しみではなくて、自分の暮らしのなかに、この店があってよかったとか、この人がいてよかったと日々思う、ということです。それがなぜなのか、それをこれからどうしたいのかを書いてみたいと思います。

小商いの始まり

昔。30年ほど前、私も夫も企業に勤めていて、休暇といえば海外の町にいた。古いものが好きで、美術館やアンティークギャラリーを巡った。近郊農家の果物を買い、公園を散歩し、小さなカフェや書店にも立ち寄った。働いたお金で買った、束の間の憧れの暮らしだった。いつかそんな町で暮らしたいと夢見ていた。退職してからは、自宅の一部を改装して、その町にあったような、小さな雑貨店を開いていたこともある。

昔。20年ほど前、バブル崩壊の余波で、夫が会社を辞めることになり、住むところと新しい仕事を急いで探さなければならなかった。犬一匹を連れて、西荻窪のアパートに転がりこんだ。一からのやり直し。私はパソコンを買って、ホームページとオンラインショップを立ち上げた。インターネットの黎明期で、実店舗がないと信用されないと思ったため、文章を書いて毎日のように発信した。

話せば長くなるので端折るけれど、それがきっかけでライターの仕事を得て、小売店や職人の仕事を取材して書いている。その縁で、夫は店舗のデザインや施工をするようになった。そして今日に至る。

21世紀になってからの私は、海外の町に自分の暮らしを求めることはできなくなった。

けれど、西荻窪の暮らしも悪くなかった。アンティークショップがあり、センスのある書店や古書店があった。おいしいコーヒーを淹れてくれる人がいて、ニューヨークスタイルのマフィンをつくってくれる人がいた。ビッグバンドのレコードをかけてくれる店があり、オーセンティックなバーがあった。日々の暮らしに欠かせない豆腐店があり、飲食店御用達の青果店や精肉店があった。そして私はもう旅人ではなかった。町じゅうに隣人たちがいて、「まいど」だったり「こんにちは」だったり、「お元気でしたか」だったり、日々の挨拶が交わされた。彼らと話すことは、小さいけれど確かな幸せだった。小さな商いをする彼らは、日々の暮らしのなかの、灯のような存在だから。

そして2020年以降、パンデミックの現在。私は、彼らのことを書こうと思った。暗い世の中を照らす灯の明るさ、温かさを。同じ個人事業主として、隣人の視点で。

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