Interview#59 商品である前に文化であるという意識
食の仕事に携わる人々のパンとの関わり、その楽しみについて伺う企画、ついに60人に達した今回は、wagashiasobiの和菓子職人、阿吽の呼吸で話してくださった稲葉基大さんと浅野理生さんの二人にお話を伺いました。
商品である前に文化であるという意識
wagashiasobi 和菓子職人 稲葉基大さん 浅野理生さん
和菓子を作って遊んでいた
スライスしたバゲットにクリームチーズと1センチの厚さのドライフルーツの羊羹を乗せると、リッチなあんバターという感じで、おいしいです。近くに「ラ・モトピケ」というパン屋さんがあるんですが、そこのプチパンを買ってきて、自家製のあんを挟んで食べたりもしていますよ。
虎屋に勤めていたとき、仕事とは別にイベントをしたり、老人ホームにお菓子を教えに行ったり、茶道の稽古菓子を作ったりと、菓子を介して世の中と関わる仲間がいて、年間100ほどのイベントをしていました。販売はできないし、会社名も出せないので、「和菓子を作って遊んでいる稲葉です」と言っていたんですが、そのうちwagashi asobiという名前で活動するようになりました。
渋谷のギャラリーで、うつわに合わせた和菓子を作ったとき、ふらりと立ち寄ったのがミュージシャンの佐藤奈々子さんで、友達になりました。友達になるのはぼく、得意なんです。
奈々子さんはよく家に呼んでくれて、趣味で焼いた古代小麦などのパンでもてなしてくれたんですが、彼女はフォトグラファーでもあって、自作のパンの写真をキャンバスに貼り、そこにフランス語の詩を書いた作品を作られていました。そして白金のギャラリーで個展をすることになったとき、オープニングパーティー用に、パンに合う和菓子を作ってほしいという依頼を受けたんです。(稲葉)
ドライフルーツの羊羹が生まれたわけ
まず、パンに合う和素材をノートに書き出してみて、あんバターを作ろうとか、金柑のペーストを作ろうとか、味噌あんは金柑と合うかな、など試しました。そのうち、くるみパンやレーズンパンというものがあるのだから、ナッツやフルーツはパンによく合うはずと思い、それらを羊羹でつないで、パテやテリーヌみたいにしたら、断面もきれいかもと思いついたのです。最初からパンに羊羹を合わせようと思っていたわけではなかったんですね。
イチジクは断面が小宇宙みたいで、クルミも雲みたいな形が面白くていいなとか、イチゴの赤は羊羹の黒に映えるなと思い、その三つを入れた羊羹の生地を、家にあったパウンド型に流しました。羊羹用の「舟」という型は当時の自分達には買えなかったので。
ギャラリーのオープニング当日は、奈々子さんのパンに、岡山の吉田牧場さんのバターとドライフルーツの羊羹を合わせて食べていただきました。それが始まりでした。そのときにご好評いただいて、いくらでもいいから買いたいと言ってくださる方がいたことも励みとなりました。のちに稲葉と独立してwagashi asobiを開業するにあたり、この羊羹を看板商品にしました。京都のお菓子屋さんみたいに代表銘菓があれば、覚えてもらえると思ったからです。店は自分たちの貯金だけで小さく始めました。(浅野)
商品である前に文化
独立したからにはちゃんとビジネスをやっていかなきゃとは思っているんですが、その前に「カルチャーをやっている」という意識があります。和菓子は商品である以前に文化なんです。本当は人が流通すればいいんだけれど、今はモノだけが動く現実があって、カルチャーの空洞化が起こっています。日本中どこでも買える、というのをやめて、ここ長原に買いに来てくれる人を大事にしたいなと思って、通販もやめました。大きな流通市場に巻き込まれると、「送料無料じゃないの?」と言われながら淘汰されていってしまうから。長原に来る目的になってくれたらいいし、来てくれなくても地元の人が支持してくれたら、ご飯くらいは食べていけるだろうと考えています。(稲葉)
主な商品はドライフルーツの羊羹とハーブのらくがんだけなので、革新的なことをやっていると見られがちですが、自分たちはそんなに新しいことをやっている意識はなくて、着色料を使いたくないからハーブや果物を使ったらくがんだったし、菓子の起源を突き詰めたら木の実や果物を使った羊羹になったということなんです。受験シーズンはモナカも作っていますが、モナカのように王道でシンプルな形も本当に、自分たちが、守破離(茶道などの修業の段階)の「守」にまた戻って来ているのを感じています。(浅野)
稲葉 基大・浅野理生 / wagashi asobi 和菓子職人
NKC Radar vol.92より転載
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