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原稿とごみと淡々と(ごみ拾い日記6)

晴耕雨読みたいな晴拾雨書。昨日は朝から校正と原稿書きで、午後になってスマホの歩数を見たら58歩。いつもだと15,000歩は軽く超えている頃なので、あまりの差に笑う。

公園でごみを拾う人と会って、逆方向へ分かれて行くとき、ごみはもう落ちていなさそうなものだけれど、これが落ちている。わたしも絶対、見逃している。まるで、校正していて見つかるちょっとした半角アキとか統一表記の乱れのように。

そういえば、署名原稿なのに、よかれと思ってなのか、締め切り寸前に間違ったものに書き換えてしまう人が過去にいて、あるいは、訂正を願い出ているのにうっかり反映しないままにされてしまう場合があって、それに気がついたときなど、怒ったり嘆いたりしている間に、急いでなんとか直してもらうよう努めないと、印刷されて取り返しがつかないことになる。それで、心拍数はかなり上がっていると思うけれど、淡々と作業する。
そういうことを、ごみ拾いの最中にふと、思い出した。ごみ拾いは切羽詰まったものではないが、ごみを見て怒ったり嘆いたりしている間に、自分で拾えばいい、という方にいつのまにかシフトしていた。

今朝は、公園に入ってすぐの植え込みに、粗大ごみがまとめて捨てられているのを見つけた。放置してもいいものを、拾ってしまう。それは拾いたいという欲かもしれない。どんな欲なんだろう。完璧主義か。

川向こうにごみを発見して、盛大な荷物をこちらに置いたまま、飛び石を歩いて取りに行った。それは悪くない遊びだった。






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