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子どもってなんだろね

ご無沙汰しています。

だめだね、しばらく記事を書いていないというのは。
何となく書きたいことがあるような気がしたけれど、きちんと言葉にしないということは、真に書くべきことがないということなんだろね。
逆に言えば、それまで今は切羽詰まっていないということか。

で、今日は、子どもってなんだろね。
いきなり難しい話からすれば、成人年齢が18歳に引き下げられ、選挙権も18歳からになった。それでも、未成年には保護者という概念がつきまとうし、契約には一定の効力が制限されるし、性交同意年齢は18歳ではないし。
子どもは、存在そのものだけれど、概念でもあって、一体どこまでが子どもなんだろね。

昔昔、アリエスっていう人が言っていたね。
子どもっていうのは、小さな大人、だって。
つまりは、子どもという概念が生まれる以前は、大体の人間が大人の一部として扱われていて、「子ども」として何かを見たり、考えたりすることがなかったと。
で、上記の契約や保護者や性交同意年齢や児童ポルノやらなんやら、「子ども」として、守られるべきものとしての法整備がされてきたのであって。

いやいや、今日はこんな話をしたいわけじゃなくて。
はい、皆さんは音楽って聴きますか?
以前も何個か記事を書いてきたから、何となく知られていると思うけど、自分は音楽を聴きます。
通勤が車なので、行き帰りは好きな音楽をランダムで流している。

この間、音楽の特番がテレビでやっていて、好きなバンドであるMONGOL800が「琉球愛歌」を歌っていた。
MONGOL800って、「小さな恋のうた」とか「あなたに」が有名で、大事な「あなた」と共に生きることを基本的なテーマに据えている気がするんだ。
でも、大事な「あなた」というのは、その取り巻く環境も含めて大事にしたいっていうことをMONGOL800は歌っていることが多くて。
それが「琉球愛歌」だったり、他にも「矛盾の上に咲く花」でも歌っていたりするんだ。

で、特番で聴いていいなと思ったから、MONGOL800のアルバムを聴いていたある通勤の時。
「神様」っていう歌の詞であることを思い出させられたのね。
その歌詞が

「みんな誰かの子供です」

っていうの。

この考え方、そう、詩を書いている自分が昔昔ネットで知り合った方がブログで紹介していた言葉とほとんど一緒でさ。
誰の何ていう小説か忘れたんだけど、そこから引用してあってさ。

「人は誰しもが誰かの子である」って。

それ以来、この概念、というか、真理に取りつかれて、ことあるごとに、この言葉をテーマにした詩を何個も書いてきた。
で、MONGOL800もこのことに気づいていたんだって。

人が生まれるということは、必ずその親がいるということ。
両親が別れているかもしれない。今は人工授精とか体外受精とかもある。けれど、人が生まれれば、広義の意における親というのは、必ずいるんだよね。

子は親を選べないし、親もまた子を選べない。
だから、その両親のもとに生まれたというのは、偶然であって、奇跡とか運命とかって言葉と相性がいいような気がするんだけど、でも、人は生まれた以上、誰かの子であるということは必然なんだね。


今日は土用の丑の日。
実家から親が冷凍のウナギとちょっとした差し入れを持ってきた。
そう、自分はいまだに子どもなんだよね。
生まれてから、これからも、ずっとずっと、子どもなんだ。

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