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遊戯王とお金

「今はまっているものはなに?」と聞かれれば、「遊戯王 マスターデュエル」と答えるだろう。
前回に引き続き、ゲームの話。
このゲームは、現在もあるカードゲームの遊戯王のソシャゲ版。(ソシャゲって、なんでソシャゲって言うんだろう。ソーシャルって、社会?)
だから、実際のカードを持っていなくても、ゲーム内の通貨でガチャを回すことで、ゲーム内のカードを集めて、デッキを作り、オンライン対戦ができる。
やり始めたきっかけは、友人に誘われたから。でも、誘われただけでやるはずがない。かつて、カードゲームとしての遊戯王をやっていた経験があるという要因もやり始めたきっかけにあるだろう。
先ずは、遊戯王にまつわる思い出。

公園で遊戯王

遊戯王はもともと漫画が元ネタになっており、文字通り「遊戯王」という漫画がある。遊戯王=カードゲームという立ち位置が印象づけられているが、当初の漫画ではカードゲームを行うものではなかった。それこそ文字通りの「遊戯王」であり、遊戯の王として、中学生だか高校生だかの遊戯という主人公が様々な遊びをによって悪を成敗する、という漫画だった。
その中の一つとして、カードゲームが展開されていったのだが、もはや遊戯王のメインはこのカードゲームのみとなって、約20年間も続き、現在に至る。
自分が遊戯王に出会ったのは小学生の時。このカードゲームが出始めた頃のことで、いわゆる遊戯王用語で言えば、第一期のことだ。
小学校内でも遊戯王はそこそこのブームをもたらし、実際にカードを集めて、放課後は近所の公園や友人宅で遊戯王をやっていた。
(余談だが、小学校高学年になるとその位置には「大乱闘 スマッシュブラザーズ」が君臨することとなる)
近所の玩具屋でカードのパックを買い、その当たり外れに一喜一憂しつつ、友人と勝負をするのが大きな楽しみであった。
当時、強かったのは、5つのカードに分かれたエクゾディアというカードをクリッターや黒き森のウイッチというカードを利用して手札に集めて勝つ、というやり方で、これらのカードを揃えている友人は学年でも1人ぐらいだった。このデッキにいかにして勝てるか、それを考えることに脳みその大部分を使っていた、気がする。
(これまた余談だが、遊戯王はプログラミングに似ていると思う。いかなるテーマやコンボにおいても、アルゴリズム、とほぼ同義であり、このアルゴリズムは著作権がないから、他のデッキを真似することが容易にできる。こうした環境の中、デッキに少しでも差異をつけ、いかに頭一つ抜け出ることができるか、もしくは、運、プレイングスキルで勝てるかというところもまた魅力である)
この1~2年の間だけ遊戯王をやっていただけだったが、約20年経って、今や、ルールやカードもすっかり変わった遊戯王を一から勉強してプレイしている。そのうち、マスターデュエルで使っているデッキやコンボについても紹介したい。

で、今になって当時のことを振り返って、何を思うか。

遊戯王とお金

ソシャゲ化された遊戯王はもちろんのこと、当時の遊戯王もまた、遊ぶためにはお金がかかるということ。
カードは玩具屋でパックを買うことで集められるが、目当てのカードがすぐに全部手に入るわけではない。数少ないレアカードを集めるためには、それなりの運とお金が必要であった。
そもそも小学生が自由に使えるお金は限られており、それだけでなく、家庭環境によってそもそもカードを買えず、遊べることすらできなかっただろう。
自分が楽しく遊べるということは、それだけ不自由がなかったということだ。

公園で遊んでいたせいで当時のカードは砂利などによって傷だらけになっており、こうした傷のあるカードは価値が落ちると言われている。カード自体は、紙に印刷されただけのものなのだが、それらに別々の価値がつけられている。まるで、カード自体がお金のようだ。お金もまた、ただの紙に特殊な印刷方法がされているだけのものであって、これが物を手に入れるための手段となっている。紙に印刷されたもの、かつ、その印刷方法によって価値が異なる、というところの共通点。

だからなんだってわけでもなく、当時のことを振り返って今どうにかできるわけではないが、カードゲームしかりソシャゲにおける強さは実に資本主義的だと思う。言ってしまえば、お金さえあれば、いろんなカードを手にすることができる。そうして楽しみ、快楽を手にする人もいるだろう。そのこと自体は全くもって否定しない。
ただ、自分の楽しみ方が違うというだけであって。

「遊戯王 マスターデュエル」ももちろんのこと、約4年ぐらい続けている「CARAVAN STORIES」というゲームもそうなのだが、ずっと無課金でやってきている。単なる自分のこだわり。
無課金でやることのもどかしさは正直あるが、それでも十分に楽しめる。強いカードを課金で効率よく集めて、強く勝って脳汁(快楽)が出る人もいれば、自分は、こつこつ集めたカードで、独自のコンボを考えて、そうしたデッキに勝って脳汁(快楽)を出すという違いなだけ。

「遊戯王 マスターデュエル」を遊ぶためには、最低限のハード(PCもしくはスマホ)とネットワーク環境が必要なため、真に全員が遊べるゲームであるというわけではないが、当時、遊びたくても遊べなかった人たちへ。
「今の時代、無課金でも遊戯王できるよ」って。


何となく書きたいことが浮かんで、遊戯王とお金、ってタイトルをつけたうえで書き連ねたけど、話が散らかっていて、上手くつながらず、まとまりのないものになってしまった自覚が大いにある。
まあ、でも、好きなものを好きなように語るための場所だからいいかって。こうしたことを続けていけば、もう少しうまく語れるようになるだろうという一縷の望みをかけて、ターンエンドして、次はあなたのターンです。

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