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軍はサザエの殻 『日本のいちばん長い日』

比喩ジャックマンvol.22 国体を護持せよ!

『日本のいちばん長い日』は、半藤一利のノンフィクション『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』を映画化した作品で、1967年に1度目の映画化、その約50年後の2015年にもリメイク版が作られています。

ポツダム宣言を受諾した1945年8月14日から、翌8月15日正午の玉音放送にいたるまでの長い長い一日における、陸軍軍人のメンタリティ、クーデター(宮城事件)にいたるまでの様子、陸相の自決、閣議のドタバタなとが丁寧に描かれています。


国体護持

両方の映画に共通して、やらたバズワードのように出てくるのが「国体護持」というワード。国体とは当然「国民体育大会」のことではないので、wikiってみると、

国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、八木秀次によれば“ある国の基礎的な政治の原則。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する語とされている。そのため、外国語においても固有名詞扱いで "Kokutai" と表記される。

とあります。これを護持するということは、「天皇を中心とした万世一系、一君万民の政治秩序をいかにして貫き通すか」ということで、国体護持、国体護持言っているということは、つまりもう誰も勝てるとは思ってはおらず、どう負けるかを考えていたということになります。

映画の中でも、クーデターを企てる陸軍省畑中少佐が繰り返し「成功するかどうかが問題ではなく、最後の努力をするかどうかが問題なのです!」と言っています。勝てる勝てないの議論はもはやナンセンスすぎて誰も口にはしないのです。

ではいつから国体護持が盛んに叫ばれるようになったかというと、1945年2月の近衛文麿元首相の天皇への上奏の中で「国体護持」というワードが登場しているようなので、その時点ではすでに容易に負けが想像できるような状態に陥っていたと想像できます。

随ッテ最悪ナル事態丈ナレバ国体上ハサマデ憂フル要ナシト存ズ。国体護持ノ立場ヨリ最モ憂フベキハ、最悪ナル事態ヨリモ之ニ伴フテ起ルコトアルベキ共産革命ナリ。

昭和16年夏の総力戦研究所模擬内閣の時点で必敗の結論が出ていたとはいえ、本当の意味で、もうどうやってもなんともならないとみんなが考えだしたのは1945年2月あたりからなのかもしれません。


サザエの殻

2015年版には東條英機元首相が昭和天皇に以下のように上奏するシーンがあります。

陛下のお好きな生物学に喩えれば、軍はサザエの殻と申し上げてもいいのであります。殻を失ったサザエはその中身も死なないわけにはまいりません。

これに対し昭和天皇は、

サザエは学名をTurbo cornutusといい、18世紀に英国のジョンフットソン氏が命名したが、お前はチャーチル首相がサザエを食す姿を想像できるか?スターリン元帥、トルーマン大統領もサザエは殻ごと捨てるだろう

と返します。これを要約すると、「国体護持のためには軍隊が必須やで!」「いやいや、軍隊ごとツブされるのが関の山。現実ちゃんと見なはれや」ってところでしょう。

うまく言ったつもりでドヤっていると、さらにうまいこと被せられるということは日常生活でもたまにあるので、ドヤりすぎないことが大切ですね。


1967年版 vs 2015年版

先ほどの昭和天皇と東條英機のやりとりのシーンは2015年版のみに存在しています。それだけではなく1967年版を見ていると昭和天皇がうつるシーンがほとんどないことに気づきます。御前会議のシーンでも、玉音放送録音のシーンでも天皇は後姿のみ。あまりに不自然すぎる仕上がりです。

これには映画が作られた1967年の時代背景が関係してそうです。1946年の人間宣言までの天皇は現人神として存在していました。そこから映画が公開されるまでの21年の月日では、フィクションとして天皇を描く、演じるのが不謹慎という空気を察してのこととうかがえます。

というより、2015年版においてモッくんが昭和天皇を演じたこと自体が当時話題になるくらいだったようなので、現代においてもまだまだタブー視されているといっていいですね。

今、漫画『昭和天皇物語』において、昭和天皇の成長が丁寧に描かれています。宮内庁昭和天皇実録が刊行された2014年以降徐々にタブーが解かれ始めています。さらに深いところに突っ込んだ今後の作品に期待大です。



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