4月の東京旅行の話。(移行記事)

地方民である私にとって、東京へ遊びに行くというのは何年経っても特別なことのように思う。

とはいえ子供の頃の私の中では『東京』という大都会は、あくまで有名なテーマパークの途中であり、「けいよーせん(京葉線)」という夢の国行きの電車に乗ることが出来る日常と非日常の境目の場所のように認識していた。
経由地でしか無かった『東京』という地名に私が特別感を持ち出したのは、テーマパークのキャラクターではなく。
好きな芸能人という存在が生まれ、自分と同じ生身の人間を愛する気持ちがはっきりと湧いていると意識しだした10代後半に差し掛かった頃からだ。

東京は私の愛する推したちが日々生活を送っている街である。
言うなれば、推したちのお膝元。
毎回、電車に乗り東京都の地名を聞くと「私は今推しの生活圏内に入った」という思いがドッと頭から心へと流れ溢れて気持ちが昂り、ドキドキと胸が高鳴る。
電車の窓から私の生きている場所では見られることの無いものを見る。
下から見上げれば、きっとその高さに目眩がしてしまうような建造物が所狭しと立ち並んでいる。
高い建物たちは陽の光が当たるとガラス窓がキラキラときらめき、どれだけ前から建っていたとしても何十年も先の未来の世界の建築物のようだと思う。

私が周りを見渡せば、面白みのない住宅地と多少の緑がある土地に住んでいるからそう思うのだろうか。
この場所に長く住み、見慣れているであろう推したちはただの高い建造物にしか思わないのだろうか。
もしかしたら、もう建造物の存在すら目に止めることも無く生活しているのかもしれない。


今日は渋谷へ。
ライブなどのしっかりしたイベントもなく東京都内に来るのは随分久しぶりだ。
何度来てもこの街の情報量は多い。
少し見ないうちに街の形がどんどん変わっていくし、気のせいかもしれないけど広告を流すビジョンが増えているように思う。
何らかの宣伝をしているラッピングカーが次々に通る。
私の地元で外に聞こえるほどの音楽を流しながら走っているのは、なんとも言葉にしにくいような人々ばかりで少なくともこんなに明るい車はいない。



推しの芸人は以前よく渋谷で待ち合わせをしていたとnoteで読んだ。(今もしてるのかな?)
時は流れているとはいえ、推しと同じ場所で同じ風景を見ている。
普段推しが吸っている空気を私は吸っている。
自然の多い地元の方が空気は美味しいかもしれないけれど、この街には推しの思い出や積み重ねてきた生き様が溶け込んでいる。
私には、渋谷の方が心を満たしてくれる空気のように感じた。

今日はラジオの宣伝を兼ねて芸人さんがティッシュ配りをするらしいとSNSで見た。
予告されていたところを覗くと、『怪奇!YesどんぐりRPG』という3人のピン芸人が組むユニットのどんぐりたけしさんがお決まりの緑の衣装でそこにいた。
通行人のフリをしてその周りにいたスタッフからティッシュを受け取り少し近くで様子を伺っていると、なにやら数人が彼のもとへ寄っていった。
その中に見慣れた顔の男性がいた、パンサーの向井さんだった。
柔和なベビーフェイスのイメージだったが、実物はテレビで見るよりも年相応さも兼ね備えていた。

場所を変えて上野へ。
ブラブラ食事をできるところを探しているとロケ隊とすれ違った。
カメラを向けられていたのは、またもお笑い芸人。レインボーのジャンボたかおさんだった。
少し歩けば仕事中の芸能人に出会えてしまう、本当に東京都内はすごいと改めて思う。
気づかないだけで、一般人としてプライベートを過ごしている芸能人もたくさんいるのだろうなと思った。
推したちもそのように、今日を生きることを毎日続けてきたのだろう。
そして、きっとこれからも東京という場所でそれは続いていくのだ。


帰りの電車、最後の東京の地名が付く停車駅を発車した時「また私は推したちの生活圏から離れてしまった」と思う。
物理的にも心理的にも離れていくような物悲しさがモヤとなって心を覆う。
推しと少しでも近い場所で、近い空気を吸って生きていけたら幸せだ。
だけど、東京で暮らすというのは今の私にはなんだか現実的では無い。
これからも多分『東京』は、私にときめきをもたらす特別な場所としてあり続けるのだと思う。


窓の外は未来のような背の高い建造物が少しずつ減っていく。
いつの間にか地元の見慣れた風景が目に入る。
行く時は面白みを感じられなかった住宅地と多少の緑が広がっているのを見て、結局私はいつも安心してしまうのだった。

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