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されど、ホワイト企業 / 幕間 「黄昏」

時の流れは早いもので、約1ヶ月にわたり職場を離れて心を休めた日々から、もう5ヶ月が経とうとしている。

復帰間もない頃は、些細な心的ダメージを受けただけで空き部屋に隠れて号泣…なんてこともあったが、今となってはこのように取り乱すこともなくなった。
効いているのかどうか分からない精神安定剤も、徐々に切る形で、今となっては要らなくなった。

あと問題があるとすれば、「如何にして強い心を持ち、この“今”を乗り切るか」なのかもしれない。

気力を失った前科者に向けられる、冷ややかな眼差しを。

…いや。
自分自身への批判的な視線を脳内生成してしまう、思考そのものを。


昨年12月中盤、復帰直後のこと。
本来であれば11月中にするはずだった人事面談は、結果的に休職を願い出る場と化した(中編で言及)ため、このタイミングで仕切り直しとなった。

自分は、もはや面談シートの項目を美しく書き上げることはしなかった。
気力が起きなかったのではなく、明確に、その意思がなかった。

『仕事のやりがい:ない
『取り組んでみたい業務:わからない
『希望する勤務地:ない
『興味のある分野:その他

見る人によっては破り捨てられそうな面談シートを上司に手渡し、小さな会議室で二人向かい合った。
緊張のあまり、まばたきと呼吸が少し荒ぶった。


この面談シートは、平静を取り戻した今の心をもって記入したものです。
至る所に空欄が目立ちますが…
意図としては、“次年度の夏をもって退職させて頂きたい”、ということになります。
これは、両親とも真剣に相談した上で出した結論です。
次年度の夏としたのは、半端な時期に穴を空けて周囲の人に皺寄せが来るのは心苦しく、願わくば“後任に引き継ぐ”形を取りたいと、人事異動の集中期を意識したものです。


齢二十八にして「おとうさんとおかあさんのおゆるしをもらいました」は失笑モノにも思えたが、独身かつパートナーも居ない身となれば、この決断に説得力を持たせる後ろ盾は他に思いつかなかった。

そうか…了解。
夏までは続ける意思がある、と捉えて大丈夫やんな?
はい、その意思は確実です。
だったら…有休消化の期間も考えて、8月末までってことになるかな…。

申し出はあまりにあっさりと受け入れられることになり、こちらが面食らった。
てっきり、執拗な引き留めにでも遭うものかと思っていた。
さては、自分という人材は、失ってもあまり痛手にはならないということだろうか?

…それでもいい。
むしろ、要らない子ぐらいに思ってくれる方が、心が痛まないから。


あとは、今までの業務で耐え難いと感じた内容や、今後の生計を立てる目処が立っていないことを一通り伝えた。
結果として、退職の意思を明記したその面談シートを、人事まで上げることになった。

見事これにて、退職は確定事項となった。

以降、半年以上にわたる、長い長い消化試合の日々が始まった。


いざ「終わりが見えている」立場になってみれば、驚くほど立ち回りが変わった気がする。

面倒そうな業務の話題が聞こえてきたところで、その稼働時期が今年の夏より後ともなれば、我関せず。
残り寿命が短い身で、別に成長する必要もない。
だから、振られた仕事しか関わらない。頼まれない限り、他の人を手伝うこともしない。
堂々たる定時退社の日々。すっかり残業を受け付けない体になった。

以前に増して、周囲から浮いていく。
業務上必要な時以外、誰も話しかけてこなくなる。
自分のいない所で、一体どんな陰口を叩かれているのだろう。
それとも、自分はもはや、周囲の人の意識に存在してすらいないのだろうか。

ある意味地獄にも感じられるこの有り様は、もしかすると、勝手に脳内生成された妄想に過ぎないのかもしれない。
…そう思おうとしても、えも言われぬ居づらさが、時に胸を締めつける。

本心では、黄昏どきをもう少し心穏やかに過ごしたい。
だから、無理やりでも念じて、強がってみることにした。

『どうせ過去になるんやし、肩の力なんて抜いてなんぼや!』


これまでは、偉い人たちが「仕事を“自分ごと化”しましょう」などと豪語するたび、仕事など人生の二の次でしかない自分は、ただ重圧を感じて心を蝕まれていた。
今やそんな喝入れも、悠然と聞き流せる。

残業をしなくなってから、お財布事情は確実に厳しくなった。
それでも、1秒も長居したくない空間で神経を擦り減らすぐらいなら、空いた時間で立ち飲み屋に寄ったり読書に耽ったりしている今の方が、よほど人生の潤いになっているように思える。

退職を切り出した頃は、あと半年以上の期間があることにうんざりしたが、今や4月前半。
厚かましく有休を全消化することを考えれば、ここで働くのは残り3ヶ月ほどになる。
思った以上に時が経つのが早かった。現職場の一員として残された時間も、そう長くはなさそうだ。


ここ最近は、職場にそっぽを向いている一方で、よく行く飲み屋に心の拠り所を見出すようになった。
店主さんやよく居合わせる常連さんたちに顔を覚えてもらえて、先日は“夜桜の下で酒を囲む会に誘ってもらう”なんていう、異例の出来事(当社比)まで発生した。

早く夏になってほしいと思いつつ、せっかく仲良くなれた人々と残り数ヶ月でお別れだと思うと、とても寂しい。

でも…
今後しばらく貯金を崩しながら旅人として彷徨うこと、
先行きが全く定まっていないこと、
そんな自分の立場を考えれば…

後ろばかり振り返るのではなく、その場その場で経験する“今”を、流れるように楽しむ気持ちが大切なのかもしれない。


5月、もしくは6月頃になるだろうか。

退職願を提出する時期あたりから、夏以降の行動計画をもう少し具体化していこうと思う。
無職として羽を延ばす日々を、一日たりとも無駄にしたくないから。

…こういう完璧主義じみた思考が、実は精神衛生上よくないのかな。

ああ、もう少し器用に生きたいなぁ。

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