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八王子ヒモ連合の話その5

昨晩1:30、酔っ払った『しゅんすけ』が泣きながら電話をかけて来ました笑『やまちゃんの話泣けるよー』って。うるさいのでソッコーで切りました笑
でもどんな反応であれ、読んでいるよ!というサインは励みになります。引き続き宜しくお願いします。

 そしていよいよやまだ編最終話です。やっと自分語りが終わります。どんどんタイトルからかけ離れていくような気がしていますが、やっとやまだヒモになります。そして女々しいですが泣きながら書きました。マイコに対して戻りたいとか、そんな気持ちはもうないけれど、やはり僕の人生にとってマイコの存在は特別だったのだと、改めて認識しました。



 サッカー天皇杯の日に付き合い始めてマイコと順調に付き合っていたのはたった3ヶ月くらい。マイコは付き合った3ヶ月後、派遣会社の正社員で営業として京橋のオフィスで働き始め、八王子の部屋を引き払い、笹塚に部屋を借りた。職場に近い江東区や荒川区といった東京の東側エリアも検討したようだが、僕の生活拠点となる八王子界隈とのアクセスも考慮してくれた結果だった。マイコは朝の6:45に家を出て、夜の21:00から終電くらいの帰りになった。週7で会っていた2人が、週末金土の2泊に変わり、僕がマイコの家に泊まる事が増えた。大学時代からのカップルが社会人になると別れるパターンは多いだろうが、片や学生、片や社会人のパターンはそれ以上に時間的資源の差が大きかった。僕はマイコが学内にいなくなり、急に孤独感を感じ始めた。リナとその彼氏はまだ付き合っていて、たまに学内ですれ違うと、僕は胸に刺さったトゲがほっておけば痛くないのに、何かにぶつかってまた痛みだすような感覚に捉われた。マイコに日中は電話は出来ず、メールの返信もタイムリーになく、マイコが急に僕の側から消えてしまったような寂しさを感じ、そしてその寂しさを相談する相手こそ過去はマイコだったと、つまりマイコと恋人になったことは、1番の恋愛相談の相手を失ってしまった事と同義だったと、今更ながらに僕は気づいた。そして僕はまた1人負の思考のスパイラルに入っていった。

「オレはマイコの事を本当に好きなんだろうか?」

「リナを見かける度にまだ胸が痛むのは、まだリナの事が好きなんじゃないのか?」

「だとしたらオレのマイコに対する気持ちはなんなんだ?」

「もっとマイコといたい。でも新生活に慣れようとしているマイコの負担にはなりたくない。」

そんな逡巡を繰り返しながら大学3年の上期はあっという間に終わりそうだった。

 そんな僕に追い打ちをかけるような事件が起きた。ゴールデンウイーク明けの頃、父親が突然ぶっ倒れたのだ。原因は脳腫瘍。父親が57歳の年だった。朝に頭痛を訴え、そのまま救急車で運ばれ、開頭手術。なんとか命は取り留めたものの、後遺症が残るかも、と言われた。介護職をしていた父は当然働く事が出来なくなる事が考えられ、母親が落ち着くのを待って姉と僕と母親とで家族会議がなされた。4つ上の姉はもう社会に出ていて薬剤師をしていたので経済的に既に独立していた。問題は僕だった。学費は貯金と保険であと1年分はなんとかなるらしい。ただケータイ代と家賃について親の脛をかじっていたため、それはもう期待出来なかった。今更奨学金を貰う事ができるような成績でもなく、実家から通うか、自分で働いて生活費を捻出するかの2択になった。ただ実家から通えばドアtoドアで2時間強だ。それも現実的ではなく、働かざるを得なくなった。

 僕はこうして週2回の百貨店のクレジットカード勧誘と、新しく始めた平日4日夜だけの洋風居酒屋の調理接客のアルバイトをしながら、週15コマくらいの授業を全てこなす必要に迫られた。これをこなせば月に13万稼げて、家賃で6.5万、ケータイ0.5万、そして残り6万でその他を賄う事が出来て、順調に卒業も出来る計算だった。

 新しいバイトを始めるに当たりさすがにマイコにも親父とお金の事を伝える必要があった。マイコはうちに住めば?と言ってくれたが、僕のプライドが邪魔したのと、あとマイコも事実まだ新生活が大変そうだったし、笹塚の家賃の半分と八王子の1ヶ月の家賃との差が余り無く、家賃を折半しても意味がなさそうな事に気づき、一旦断った。しかし実際に生活してみると実態はかなり困窮した。水道光熱費を払い、家賃を払い、ケータイ代を払って残るのは月に3、4万くらい。マイコの家に通う交通費とデート代で残りは全部飛んだ。結局マイコとのすれ違いが増え、お互いのストレスが溜まりケンカが増え、週末泊まりに行ってもお互いに疲れて眠るだけ、みたいな日が増えた。

 ある7月の休みの日、露骨に節約している僕を見て、しびれを切らしたマイコが提案をして来た。
「カズキ、やっぱり一緒に住もう。家賃はいらないよ。私達このままじゃダメになるよ。一緒にいる時間も増えるし、生活も楽になる。どうしてイヤなの?」
「ありがとう。イヤなわけじゃないんだ。問題が結構あるんだよ。この部屋解約すると親にはバレると思う。親の名義で親の口座から家賃払い続けてるから。もしマイコと住むなら親にはその説明がいると思う。そして親は、卒業前の同棲にOK出すとは思えないし、せめてマイコの親のOKは貰えって言うと思うんだよ。」
「なるほど…それはちょっとハードルが高そうかも」
「でしょ?」
「んー、それなら凄く家賃の安い家を借りて、そこに引っ越して、でも笹塚にで一緒に住んじゃえばいいじゃない?」
「マイコそんなこと簡単に言うけどさぁ…でもそれなんかいけちゃいそうだね…マイコかしこいなあー!」
こうして僕とマイコの悪巧み計画は始まり、一緒に部屋を探す過程や引越しの準備、一緒に住む幸せを想像することは、なんだか久しぶりの2人のワクワクするイベントだった。

 8月の盆休みに引越しを済ませ、住所上、僕は大学のある駅から徒歩35分の4畳半風呂なしボロアパート3.6万に住んでいる事になり、実態は笹塚のマイコの部屋に転がり込む形になった。初期費用はマイコに内緒で自分の親に借りた。これで充実の同棲生活のスタートではあるが、マイコの家も少し広めの1Kで、2人で住むには本当に狭かったので、4畳半は物置として機能させた。結局マイコの部屋の家賃を半分払っても僕の生活はさらに困窮する事になるので、家賃は払わなくていいことになった。その代わり家事を僕が頑張る事になり、ここにヒモとしての生活サイクルが確立する事になった。

 僕は平日は朝マイコより15分早く起きて朝ごはんを作った。マイコを起こし、マイコが身支度を整えている間に朝食を完成させ、マイコを笹塚駅まで送り、家に帰って洗濯をして、軽く掃除をして大学に行き、授業をこなして、夜のバイトに週4回行く生活になった。休日はカードの案内のバイトがなければデートをして、カードのバイトがあればマイコが僕のごはんを作ってくれた。家賃を払っていない後ろめたさがあって、逆にマイコには優しくなれた。色んなイライラを『住ませて貰っているんだから』で乗り越える事が出来た。そんなマイコとの擬似新婚生活には幸せがあった。ヒモも悪くないじゃないか、主夫も悪くないじゃないか、と僕は思い始め、大学やバイト先でも『ヒモやってま〜す』と自虐ネタにしていた。ただ居酒屋バイトの日はクローズまで入ると家に着くのが深夜1時を過ぎる。マイコも寝ている事が多く、実質マイコとの時間が大幅に増えた感覚はなかった。

 そんな同棲生活が定着してきたころ、僕はカードの案内のバイトを辞めようと思い始めた。笹塚からカード案内バイトの職場の八王子か町田はとても遠くて、交通費に足が出ていた。下期から始まる就職活動の時間確保を考えると何かを諦めなければならない状況だった。最大の懸念はやはり収入面だ。月額で3.5万くらい減る。この問題だけはどうやっても解決の目処が立たず、最終的にマイコとの時間を取るか、収入を取るかの2択に帰結してしまう。僕は素直にマイコに相談することにした。
「マイコ、就活考えるとまたあんまり会えなくなるかも。」
「そうだよね。カズキ土日どっちかしか今時間無いもんね。」
「うん、カードのバイトも減らすか辞めるかが必要だと思う。」
「そうか…。お金大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃない。たぶんまたド貧乏生活になる。お金をかけて遊びに行くのとか難しくなるかもしれない。ごめん…。」
「うん、しょうがないよ。あたしが出せる部分は出すよ。お姉さんなんだぞ!」
「ありがとう。甘えないようにするけど、甘えるかもしれない。」
「甘えなさい。私は社会人、あんたは学生だから。将来倍にして返すように!」
 結局僕はマイコに甘えることになり、折半していた水道光熱費をマイコ持ち、食費などの生活費を二人の財布を作り、今まで折半だったものを僕が2万、マイコが4万負担する事になり、足りなかった時はマイコが出す事になった。僕の立場から大きな事は言えないが、マイコは結構ダメ男養成能力が高かった。お金は出して、自由にさせて、褒めるけれども、怒らない的なスタンスがあった。

 カードのバイトは『土日に入れなくなる』と伝えた所、辞めさせられるわけではないが、平日のシフトも入れずらくなり、その1ヶ月後くらいで辞めた。晴れて収入を捨て、時間を確保した。僕は一層家事に精を出すようになり、居酒屋バイトの経験もあって、料理の腕が上がって行った。作り置き出来るメニューを増やし、大学へは弁当持参で行くようにして月々の食費はかなり抑える事が出来た。

 マイコのアドバイスもあって、就活は順調に進んだ。すごく身近に同じ営業職で内定を貰った実績者のマイコがいた事は、僕の就活にとても良い影響があった。大学3年の2月には内定を貰っていて、単位取得も順調だった。僕とマイコの関係も安定していて、一緒に住むことで僕の得た精神的な安らぎは大きかった。

 翌年4月、僕は大学4年生になり、マイコは社会人2年目になった。マイコの12月の初ボーナス以降、僕らの生活は少し余裕が出てきた。僕はまっつん、こうちゃん、しゅんすけ、ミキモトと出会い、八王子ヒモ連合のメンバーになった。授業も減ったのでバイトも増やせそうと思えば増やせたのに、僕はそれをしなかった。マイコに経済的に甘え続け、日中は卒論を書いて、空いた時間はバイトではなくヒモ連のメンバーとつるむ時間に使い、夜の居酒屋バイトは続けた。マイコにはあまりヒモ連の事は話さなかった。なんとなくヒモのくせにチャラチャラしている事に後ろめたいものを感じていた。

 9月、こうちゃんが海外に行って、ヒモ連は活動力が落ちた。まっつんは相変わらずマイペースでみんなと絡んでいたが、その他では僕としゅんすけがしゅんすけが所属していたテニスサークルの部室で遊ぶくらいで、僕とミキモトは絡むことなく、みんなで遊びに行くことが減った。こうちゃんが翌年3月15日に帰国することがわかり、どこか1泊で温泉に行こう、という事になった。あの企画は本当に楽しくて、それはそれで後日また書こうと思う。

 マイコとの関係の変化が表れ始めたのは僕が社会人になってからだ。中堅の不動産販売会社の営業で採用された僕は、希望通り新宿に配属された。労働環境は限りなくブラックに近いグレー企業で、拘束時間が長く、土日のサービス出社も結構あった。でも1つ上の風俗狂いの先輩と、企業経営者を親に持つヤリチンのチーム長と、キャバクラ狂い店長に囲まれて、大変だけど楽しい日々を送った。半年ほど仕事を覚えるまで苦労はしたが、僕は会社を好きになり、仕事が面白くなり、僕はマイコを疎かにし始めた。社会人になった時点で八王子の家は引き払い、笹塚に家を借りた、と親には嘘をついた。1度母親が部屋を見に来たい、と言ったのでその時にマイコを母親に初めて紹介した。マイコは母親に気に入られたようで、同棲している事は何も言われなかった。父親は相変わらず入院しっぱなしだった。僕は社会人になってからめっきり家事をマイコに任せ始め、今まで養ってもらっていたのだから引き続きやるべきだよなぁ、と思いながらも仕事を言い訳にマイコに渡すお金を折半に戻して、家事から逃げる術を身につけた。そして僕はまたマイコとの関係に悩み始めた。

「このままマイコと長くいて結婚するのだろうか。」

「お互い社会人になった今、節約のために一緒に住む必要はないのではないか。」

「もう少し自分の時間が欲しい。宅建の勉強もしたい。」

そんな悩みを職場で相談するとみんな、
「お互い社会人になると別れる人が多いよー。」
そんなコメントが大概の意見だった。マイコとの関係も3年を目の前にして倦怠期を迎えていた。

 マイコは露骨に結婚したがる訳ではなかったが、
「私たちってなんか老夫婦みたいね。」
「そうだな。マイコばあちゃんっぽいしね。」
「オイ―!!(強めの蹴り)」
みたいな会話はしょっちゅうしていた。しかし
マイコの職場の同期が結婚した事を期に割と具体的な話をするようになった。
「ねぇ、私たちって結婚するの?」
「うーん、するんじゃない?どしたの急に。」
「え、何その投げやりな感じ?」
「いや、『結婚しよう!』って言ったらプロポーズになっちゃうじゃない?プロポーズはちゃんとしかるべき時にしかるべき場所でだな…。」
「ちゃんと考えてくれてるってことでいいのかな?」
「そりゃそーよ。でもお金たまるまではね…。」
「私は別に地味婚でいーよ。」
「お、おう。」
この会話は23歳社会人1年目の僕には酷だった。僕は早くも結婚に対して、自分の自由が閉ざされていく感覚を持ってしまった。

 マイコは社会人4年目26歳、僕は社会人2年目24歳、僕らは同棲生活を解消する事にした。僕は横浜支店に異動になり、実家に戻る事にした。2人でもっと広い部屋に引っ越す案も考えたが、結婚までの資金を貯めるために、1度僕が実家に引っ込む案を提案した。倦怠期を解消するのも僕の隠れた目的だった。その時は僕の中で『ちょっとマイコと距離を置きたい』という気持ちが強くなっていた。『少し離れる事でマイコの大切さにまた気付けるのではないか』と考えていた。でもそれは浅はかだった。物理的な距離が心の距離になることは、こうちゃんとレイコさんとの件で見ていたのに、自分にはなぜかそれが当てはまらないと思い込んでいた。

 そしてマイコは思い出のつまった笹塚の部屋を引き払い、門前仲町のマンションに引っ越した。僕らのホームタウンは新宿からの京王線沿線だったけれど、マイコの引っ越しで、横浜駅になったり、東京駅回りへと会う場所が変わっていった。この頃からマイコは何か思い込んでいるような表情をするようになった。一緒に暮らしていた頃ならもっと早く気付けたように思うが、週に1回~2回デートして、夜は電話で話して、という関係性の中で僕はあまりマイコの変化を察知できなくなっていた。単純にマイコへの興味が薄れていたのだと思う。でも誰か他に好きな人がいるわけでも無かったし、マイコを傷つけたいわけでもなかったし、感謝もしていたし、結婚については依然として不透明だったけれど、会えばそこには安らぎがあり、そのマイコを手放すなんて考えはあまりなくて、むしろ少し離れた事でちょうど良い距離感になった、と考えていた。

 マイコとのデートで『世界の中心で愛を叫ぶ』を有楽町の映画館で見た帰り、マイコは神妙な顔で
「ちょっと話せる所に行きたい。」
と言った。僕は直観的に『あ、こりゃなんかあるぞ』と思った。就活時に良く通った『東京国際フォーラム』が近くにある事を思い出し、あの施設なら人のいないベンチがありそうな気がして、マイコの手を引いて連れていった。予想通りベンチがあり、夕飯時の時間だったのもあり人も全くいなかった。ベンチに座り、どうした?と聞くと、
「ごめん。浮気した。」
と言われた。マイコが浮気?浮気されたショックではなく、単純な別れ話では無かった点に驚いた。
「は?まじかよ?え?どーゆーこと?」
「会社の先輩と2人で飲みに行った。最近カズキとあんまりうまくいってなかったから色々相談した。帰り道で告白されたけど、断った。」
「は?別にそれ浮気じゃねーじゃん。」
「断ったけど『絶対諦めないから』『彼氏と別れるのずっと待つから』『オレの方が幸せに出来る』って言われた。私、それに対しては断れなかった。ドキドキした。だから浮気。」
「それいつの話?」
「2ヶ月くらい前。」
「そうかそれで最近ちょっと暗かったのか…ごめん、気づいてやれなかった。」
「んーん、カズキは悪くない。」
「マイコは別れたいの?」
「わからない。でも私は誰かから恋される事を実は知らないんじゃないか、誰かから一方的に惚れられる事が女の幸せなんじゃないか、って思うようになった。今でもカズキの事も大切だし、今でもカズキと別れたいって思ってるわけじゃない。でも私、カズキに惚れてるわけじゃないと思う。ずっと気づいてたけど、カズキも私にたぶん惚れてるわけじゃないと思う。それはなんとなくわかる。それでもカズキとなら幸せになれそうって思ってたし、そういう恋人同士だっていいと思ってた。でも私、誰かに思いっきり恋したい、誰かに思いっきり恋をされたい、っていう欲が、先輩に告白されて出て来てしまった。だからこのまま付き合い続けるのは、カズキに申し訳なくてツライ。ホントはカズキと付き合いながら、自分の気持ち整理したかったけど、なんだかそれがズルい気がして…。」
最後の方は言葉にならず、マイコは泣きはじめた。僕の頭の中にはリナにフラれた時の事がフラッシュバックした。マイコの今の感情は、僕がマイコと距離を置こうとした時の自分の感情に似ていると思った。僕は色んな事を考えたけれど、マイコの頭を抱いてさすってやることくらいしかできなかった。あの鎌倉高校前の海の反対の出来事が、今僕たちに起きている。今度は僕がマイコを救ってやる番だと思った。
「オレはマイコのしたいようにしようと思う。距離を置いたのはオレからだったし、人の心は縛れない事はリナの時に痛いほどわかっている。マイコがどうしたいか、考えて答えを出してくれ。オレは今のまま付き合っててもいいと思ってるよ。気持ちの整理をつけながらでもいいと思ってるよ。マイコが言うようにオレたちは燃えるような恋愛はしていないけれど、織物みたいに大切な日々を重ねてきたつもりだよ。マイコの事は本当に大切に思ってる。でもオレも結婚に踏ん切りがまだつかないのは事実だし、いつになったらその覚悟が出来るのかもわからない。こんな状態だから、オレはマイコのしたいようにするよ。よく考えて連絡をちょうだい?」

 この回答が良かったのかどうか、今でも自信がない。ホントはオレから別れてあげるべきだったような気もするし、マイコによく考えさせてから結論を出して良かったのかもしれない。それでもこの『よく考えてから』という回答は実質的に『気持ちを整理する期間』になるのだ、となんとなくわかっていた。

 マイコからの返答はその2日後の日曜日の夜に電話で来た。
「やっぱり一回離れよう?でも友達でいたい。こんなのってあり?」
「いいんじゃない?マイコのしたいようにするって言ったろ?」
「『行かないでくれ!オレと結婚してくれ!』とかないの?」
「言ったら別れないでくれるのかよ?」
「うーん…どうだろ?」
「それ見ろ」
「ツライ?」
「ツライよ。こうなると思ってたけど、やっぱツライな。」
先に泣いたのはなぜか僕の方だった。なんとなく覚悟していたし、展開も予想していたけれど、泣けた。でも何が悲しいのかよくわからなかった。敢えて言うなら喪失感が大きかったのだと思う。マイコとの緩いけど、平和で、暖かかった日々が、急に眩しく輝いた後、焼失してしまったかのように感じられた。
「カズキ…ごめんね。」
マイコも泣いていた。
「幸せにしてやれなくて、ごめんな。」
「カズキが30の時に私もフリーだったら結婚してあげるよ。」
「よろしくおねがいします。」
「たまには連絡してもいいでしょ?」
「うん。」
「彼女出来たら教えてよね。」
「うん、マイコも。」
二人とも泣いていて、なかなか声にならなかった。
でも今度こそ僕の方から終わらせてあげなければいけない。
「なんか電話切れないね。」
「うん。」
「キリがないから、オレの時計で10時になったら切ろう。」
「うん。」
「あと30秒。10秒からカウントダウンするね。」
「うん。」


「10」


「9」


「8」


「7」


「6」


「5」


「4」


「3」


「2」


「1」

「カズキありがとうね。」
「ありがとうマイコ。」

「・・・・・」

僕は泣き崩れた。本当にツライ時に相談に乗ってくれていたマイコはもう、友達でも、恋人でも、無くなっていた。

 一つの恋愛が今、終わった。それは最後まで『恋』と呼べない恋愛だったのかもしれない。僕は今でもあれは『親愛』という気持ちだったのだと思う。だけれどもそれは『恋』と何の価値も変わらない、とてもとても尊い物であったはず。僕はそう信じていて、今でも時々あの懐かしい、平和で美しい日々を思い出す。

 今回は一人のヒモとそれを養った女の子が、3年間の幸せな日々を過ごし、そしてまた別々の道を歩み始めたお話でした。

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