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スピってダサい? 承認欲求とスピリチュアル(3)


 おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。

さて、前回の記事の続きから。


 新卒の頃の俺は、とにかく自分に自信をなくしていた。誰かに認められたくて、なかなかそれが叶わなくてもがいていた俺に、スピリチュアルのプロたちから言われる「君には才能があるよ!」と言う指摘は、心を癒し、甘くくすぐってくれるものがあった。

でも、なぜだか俺は同時に、こうも感じていた。

これ、今の俺がまんま受け取ったら、まずいことになるだろうな、って。

 なぜ、そんな風に考えていたのか?
 なんていうか、俺はあくまで「自分が選んだ社会の中での、社会人としての承認」が欲しい、っていう自覚があったからなんだよね。

俺は、自分の仕事をきちんとこなした上で、それを認めてほしかった。たとえ俺の適性や能力が、選んだ業界に無かったとしても。俺はこの仕事を選んだからには、ここできちんと勝負がしたいし、認められたい。自分が一度そう決めたからには、そこでしか満足はえられないだろうな、って感じていた。

だから仮に、新卒の時点でドロップアウトして、スピリチュアルな業界でやり直して、たとえちょっといい感じになれていたとしても、心から満足はできなかっただろうな、って思うんだ。俺にスピを勧めてくれた人たちみたいに、たとえ副業だったとしても。てか、当時は副業としてやるだけの時間と体力の余裕も無かったしね。

あともう一つの理由は、そもそも俺は、能力としてもカルチャーとしても、スピリチュアルに造詣が深い自分に対して、少々コンプレックスがあった。これは、霊能が欲しい人から見れば、贅沢な悩みに映るかもしれないんだけど。。。そもそも俺、スピな人って見られるの、すっごい抵抗があったんだよね。

今はもう、記事を書いていく上で便宜上というか、わかりやすさとして、「こんちは!スピリチュアルネイティブのタケルです」とか書いたりしてるんだけど、今をもって俺は、どっかで、その…


スピリチュアルカルチャーって、なんかダサい。。。

という思いが、拭いきれずにいる。

これは、もう生まれてこのかた、そういう環境で育ったから、としか言いようがない、ある種の「身近なものほどダサく見える現象」なのかなって、今は思ってるんだけどさ。

と言っても、最近は、この抵抗感を、「能力があること」と「そのカルチャーにいることは別」って分けて考えることで、だいぶ整理できるようになった。俺は体質上、たとえばクリスタルをつけることはもう必要経費で避けられないかなって感じなんだけど、

やっぱさ…その…youtubeとかでもさ、スピ系の動画とかのサムネを見たりしてるとさ…すげえな、って思うんだよね。俺には、顔まで出して「どうもー!俺ってスピリチュアルです!」ってやる勇気は、到底持てない。どんだけそれが使命でも、マネー的に美味しくても。

なんちゅうか、美意識に反する。

ううん、話が膨らみそうだから、俺の美意識とスピカルチャーが相容れない問題はいったん置いとくとして。*完全に俺のコンプレックスの問題なので、彼らへの否定ではないです。これは俺の偏見なので。

まあ、そんなわけで、どんだけ霊能者系の人たちに、「君って才能があるよ!」と言ってもらえたとしても、俺はどっかで、ずっと、「でもそっちには行きたくねえ、なんかだせえ」って思ってた。行ったら、美意識的にも、俺の認められたい場所がそこじゃない、って意味でも、なんか負けだ、って思ってたんだよね。

こんな感じで、「認められたくて仕方ないモード」の俺が、どうしてもスピ的承認を受け入れきれなかった理由は、まだまだある。

続きます。

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