努力の仕方

努力が報われるとは限らない


仕事でも趣味でも、やるなら上達したい。その為に努力する。
とても大切なことです。
ですが、ただやみくもに勉強する・練習するだけでは遠回りになってしまいます。
これは経験者ゆえの考えです。

私は麻雀を始める前、趣味として楽器をやっていました。
週1の教室に通い、出された課題を毎日練習して次の教室までに仕上げる。
その繰り返しを5年程続けました。
こう聞くと、努力を続けたのだから上達しただろうと思いませんか??
私もそう信じて頑張っていました。

…現実は違いました。一定のレベル以上に上達しなかったのです。
楽器の特性上、早弾きも求められるのですが5年経っても出来ませんでした。
楽譜を覚えられず、譜面が無いと演奏できないままだったのです。
そんな中、自分よりも後に始めた人の方が確実に上達していく姿を見て、自分の限界を感じてやめてしまいました。

楽器の演奏は楽しくリズム感も身に付いたので、学んだことには後悔はありません。
なかなか上達しない私を見捨てず、最後まで熱心に教えてくれた音楽講師にも大変感謝しています。

後悔するとすれば「もっとイイ努力の仕方があったのでは?」ということ。
そして次に何かを始める時には、努力の仕方を変えようと強く思ったのでした。

見えない努力 vs 見える努力


楽器をやめてからの新しい趣味、麻雀。
もともと家族麻雀をしていたので、大まかなルールは把握していました。
楽しんではいましたが特に強い訳でもなく、たまに勝てれば満足といった状況。
点数計算も人任せで、同じようなミスを繰り返す…
もちろん上達なんてしませんでした。

そんな私が、再び麻雀と向き合った今。
「今度こそは、上達するぞ!!」と意気込み、本を読んだり、麻雀ゲームをひたすら打ったり…と再びやみくもに努力を始めました。

…同じ過ちを繰り返すとは、まさにこのこと。再び、麻雀も上達できない壁にぶつかりました。そこで思ったのが、
見えない努力をしている自分に満足していないか?
ということです。見えないとは、人様から見えないということ。
そういった努力こそが美徳だと思い込んでいました。

これは楽器の練習でも同じでした。
黙々と個人練習をすることで満足していたのです。
発表会やバンドを組んで演奏する等、人の目に見える努力をしなかったのです。

人前で披露するとなれば、恥ずかしくない演奏をしなければなりません。
楽譜を覚える必要にも迫られるのです。
ミスなく演奏しなければというプレッシャーもかかります。
それをストレスだと感じる場合は、無理はしなくてもいいと思います。

極めたい!人よりうまくなりたい!

そう強く思うのであれば、ある程度のストレスがある方がモチベーションも上がってきます。度胸も付いてきます。

私にとっての麻雀は後者でした。
「強くなりたい。詳しくなりたい。成績を残したい!」
これは「人に認められたい・自信を持ちたい」という気持ちの表れだとも思います。【麻雀を通して、自己表現をしたい】
という気持ちが芽生え、見える努力を取り入れることにしました。 

人目にさらされる場へ身を投じる


自分が麻雀を打つ姿を他人に見られる。まだまだ自信が無い中、人に打ち筋を見られるのは恥ずかしい上に緊張しますよね。
そんな場に身を投じることにしました。
どんな場かというと…

  • 週1、健康麻雀教室で打つ

  • 月1、麻雀大会に出場する

というものです。
健康麻雀教室は後ろから観戦する人もいます。見られている意識があると適当な打ち方はできません。
気持ちが引き締まります。人に見られるだけで、気持ちの持ち方は変わるものなんですよね。

麻雀大会への出場は、実はまだ出来ていません。ですが、既にエントリー済みの大会は3つ。
どれも共通して、初心者向けの大会で点数計算に自信が無くても大丈夫というもの。
まずは点数計算抜きで、手作りに集中して大会に臨みます。
ここまでやってきた見えない努力で、どこまで打てるのかを知れる場でもあると思います。
そして、見える努力をすることで今の自分に不足しているものが見えてくるのでは…と期待して。

成長の記録として、麻雀大会の結果もnoteに記載していきます。
頑張ってきます!!




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