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バランスの問題?!

自分のサイトで書いているブログで「自信の付け方」シリーズも後半に入り、シリーズ第5回目の「ポジティブ思考」というのをアップしました。

その前の第4回は「感情」をテーマにしていたのですが、回が進むにつれて「あれ?もしかして?」と、今更のように思いつくことがあります。

「自信がない」ときは、自分が「ブレてる」とき

やる・やらない。
好き・嫌い。
できる・できない。
心配・安心。

そんな2つの対立する思いを、行ったり来たり。

だったら「好き!」「やる!」と決めてしまえば良いんじゃない?
…そんな風に思うのです。

でも、決めるのって難しいんですよね。

「好き」なら簡単にわかるんじゃないかと思われそうですが、そうでもないです。

子供の頃からの刷り込みって、怖いんですよ。

「これ好き」と思って、それを言っても、

「そんなのやめときなさい」
「そんなのより、こっちの方がずっといいよ」
「えー、そんなのがいいの?!」


そんなコメントを周りからもらってばかりいると、

自分は「間違ったのばかり選んでる」という認識が生まれます。
一度生まれた自己認識は(何しろ子供の頃からですし)かなり根深くて、なかなか治りません。

それはどんどん広がって「自分は正しい選択ができない=自分は間違ってばかりいる」と、自己否定に走ります。
自己肯定感も何も、あったもんじゃないですよね。

「自信がない」というのは、とても根の深い問題だと思っています。

「自分は自分」と、自分を受け入れて、他人の目を気にしなくなれば、自己肯定感の低さはかなり改善できるはずなのですが、根が深ければ、それさえ簡単ではないです。

受け入れるというのは、それが難しい人間から見れば、それだけで既にポジティブなんです。

根の深い人間の目から見れば、受け入れるというのが、間違いというか、「いや、そこで受け入れてしまっていいんだろうか?間違ったものを受け入れるのは、やっぱり間違いじゃないか?」と疑ってしまって、うまくいきません。

だから「私は私、このままでいいの」と言えるのは、すごく前向きです。

私の場合は、根が深かったので「受け入れる」は無理でした。
さんざん悩んで、しんどくて、最後にとった戦略(?)は、「開き直る」でした。

どんなに気を遣って、周りを配慮しても、どうせアレコレ言われるんなら、最初から自分の思う通りにやっても同じじゃない? 
選んでも間違い、選ばなくても間違いなら、間違いしかないんだし。

…と思ったわけです。

批判、なんなら非難されるのは想定内…というか、もうこれは決定事項だと観念して、自分の思う通りにやってみる、という捨て身な方策です。

それなりに痛みを伴う方法なので、誰にでもおススメするものではないのですが、もし自分なりの「痛み止め」を持ってるなら(趣味、味方になってくれる友人、ペット、などなど)試してみるのもアリかな、と思います。

ドイツ語で、乗馬をしている人たちの格言(?)があります。

「(乗馬の)マイスターは天から降ってこない。でも馬からは落ちる。」
(ドイツ語の「降る」と「落ちる」は同じ動詞)

痛みを伴っても、いつかは2極の間でのバランスの取り方を覚えます。
何回も落ちながら、少しずつ、少しずつ。

ブレることなく、バランスをとって馬の背にしっかり乗って、思うまま自由に走れたら、それはとても素敵ですよね。

「自信を持つ」って、そういう感覚じゃないかな、と思っています。

やる・やらない。
好き・嫌い。
できる・できない。
心配・安心。

そういうのの間で揺れるのは、とても人間的。
それを無くそうとか、捨てようとかは思いません。
でも、「決める」自由は、自分の手から離してはいけない、と思うのです。

自分の人生の「手綱」を離さないと、決める。

それが「自信」なのかな、と思うのです。


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