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私の道のり②

始まりは牛乳工場

私は大学を卒業後、小さな牛乳工場に務めた。
近くには障害のある方が働いている作業所があった。
工場は単純作業で効率が求められる。作業速度が早く無い私は、仕事が遅いと言われ続け、「仕事はやはり得意なことで勝負しなければならない。これができるという自己肯定感を武器に仕事をするべきなんだな」と、考えた。
作業所に出入りするようになったのは、大学で養護学校の教員に興味を持っていたからか、よく覚えていないが、毎日私がバスで通る道のりを歩いて通う親子がいた。息子さんは今思うと知的を伴う自閉の方だった。
「うちの子、単純作業なら得意なのよ。工場でキャップをひたすらつける作業だけならできるかもしれないわね」

私の苦手とする単純作業を得意とする人がいる

障害の有無にかかわらず、人は適材適所で働けば力を発揮できるのではないか。
私のやりたかった農業の六次産業化の事業で誰もが働ける場所を作れないだろうか。

社会人1年目にして、将来のいや、人生の夢を決めた私である。

農福連携が今ほど叫ばれてなかった時代である(畑をやっている福祉施設はかなりあったようだが)

私がやりたいのは、障害の有無に関わらず自分の力を発揮できる場所であって、人に合わせた作業や仕事、会社を作りたかったのだ。自分の好きな農業分野で。

続く



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