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古代の独占禁止法

では何故、古代の東南アジアでは
女性が権力を握ったのだろうか?
おそらくそれは稲作に起因する。

東南アジアの国々では
農業は女性の仕事だった。
男性は漁や交易をに従事する。
女性は漁や交易には携われないし
男性も農業には携われない。

国や地域、民族によっては
今でも農業は女性しか
従事することが出来ず
男性は田畑に入ることすら
許されないところもある。

実は現代の日本にも
その名残が受け継がれている。
農耕儀礼における「早乙女」だ。

早乙女とはその年の最初に
田植えする時に
実際に田に入って
田植えをする女性のことだ。

早乙女は女性しかなれない。
この農耕儀礼を済ませてからでないと
男性は田植えをすることが出来ない。

古代稲作は女性の仕事だったのだ。
(祭祀と機織り、養蚕も女性の仕事)
その名残りだろう。

だが現代日本人の感覚からすると
こう思うかもしれない。

 農耕も漁も交易も機織り祭祀も
 やりたい人がやりゃあいいじゃん

あるいはフェミニストからも
「性別による職業制限は撤廃すべき」
と言われる可能性がある

だが私はこの分業制に注目している。
おそらく性別による職業制限は
現代で言う独占禁止法に近いからだ。

例えば農業も漁業も
機織も祭祀も得意で
一手に引き受けることが可能な
大変優秀な人がいるとする。
その優秀な人が全ての分野を
独占してしまうと
他の人は生業を奪われ
生活していけなくなってしまう。

少数の超人的天才は冨み栄え
生き延びるこちができるが
他の大多数の人々は貧苦に喘ぎ
最悪の場合は死んでしまう。

古代の人たちは
そのような社会は望まなかった。

集団安全保障という考え方があるが
農耕社会というのは集団生活保障だ。
農耕は狩猟と違い1人では出来ない。
(機械化が進む以前はそうだった。)

人は1人では生きていけない。
狩猟民だって交易が必要だ。
(例えば岩塩がない地域では
交易で塩を入手する必要がある)

山奥でひとり
自給自足の生活をしていても
木の実や植物、動物、魚など
他の生物に依存しないと
生きていけないのが人間だ。

戦後だってしばらくは
稲刈りや田植えは
村人総出の行事だった。
農村の小学校や中学校には
田植えや稲刈りの時期には
田植え休みや稲刈り休みがあった。

ところで
古代社会は、特に東南アジアや
南太平洋の島々は分治制が強い。

分治制にはもちろん
権力の独占、独裁制を防ぐ意味がある。
実は日本の神話からも
古代の分治制が読み取れる

 アマテラス(農耕、機織り、養蚕、祭祀)
 ツクヨミ(軍事、国防)
 スサノオ(漁、交易、海運)

現代日本の

 立法(国会)
 行政(内閣)
 司法(裁判所)

という三権分立ではないが、
古代日本にも

 農耕/機織/祭祀 (女性)
 軍事/国防    (男性)
 漁/交易/海運  (男性)

という三権分治があったのだ。

ちなみに沖ノ島や沖ノ島の祭祀が
女人禁制なのは、海の民、
つまり漁や交易や海運を担う
男性の祭祀だからだ。

山の神の祭祀が女人禁制なのも
山の民すなわちマタギや
木こりなど男性の儀式だからだ。

山や海は男性の領域、
女性は稲作や養蚕、機織り、祭祀など
平野を領域にしていた。

東南アジアの社会や
東南アジアがルーツの
中国の少数民族の間では
今でも女性がよく働いているが
これはかつて農業が
女性の領域だったためだろう。

現在でも沖縄では

 女は神人(かみんちゅ)
 男は海人(うみんちゅ)

と言って祭祀は女性が行う。
神官(祝女。ノロと呼ばれる)も女性のみ。

*ユタ(民間の巫女、シャーマン)には
 若干男性も存在するが、
 本来は女性がなるべきとされる。

東北のイタコも
視覚障害の女性しかなれなかった。

人智を超えた
目に見えない世界とつながる仕事は
女性だけが行うことができたのである。

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