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20年来のトラウマと向き合う

こんにちは。前回投稿したプチ小説(もどき)に対して思いのほか皆さまから温かいコメントやスキを頂いて、調子に乗ると同時に「次の投稿であんまりスキが付かなかったらどうしよう…」などと、要らん心配をしております。

「心配」にちなんで、というか無理やりこじつけての今回の記事です。

30ウン年生きているとまあ人生それなりに色々な事に出くわすワケで、中にはトラウマになるような出来事もあったりして。…とはいえ普段は頭カラッポで生きているので、ひとつひとつは大した事柄ではありません。

そのトラウマの一つが、「ピアノのレッスン」です。

ピアノは今でも趣味で弾くくらい大好きなのですが、残念ながら私のピアノの腕前はツェルニー30番に毛が生えた程度です。…これ、前にも書いた気がする。
というのも、私はピアノのレッスンが続かなかったのですね。いわゆる脱落組です。
3歳頃から母の意向でヤマハ音楽教室に通わされ、「なぁーにちゃん」というヒヨコの巨大な着ぐるみや若くて綺麗な先生達と戯れながら、時々リトミック教室でリズムに合わせてくるくる踊ったりしていた頃はまだ楽しかったのですが、小学校にあがって引越しと同時に個人宅のピアノ教室に移ってからが問題でした。

優しい先生だったのでレッスン自体は苦ではなかったのですが、自宅での「お母さん先生」によるスパルタ指導がとにかく嫌でした。
うちの母はエレクトーンのグレードを保有していたこともありピアノもほどほどに弾けたので、私の弾き間違いに対しては怒鳴られたり手を叩かれたりと、容赦がありませんでした。小学校低学年の頃は母がレッスンに付き添う日が度々ありましたが、その日は朝から一日中ブルーでした。

ピアノの先生、出身音大の専攻が声楽だったためかレッスンの中には「歌の時間」があってたまにテープに歌を録音する時もあったのですが、家で母に怒られたのを思い出して歌えず、先生の伴奏に私の「ぐすんぐすん」という泣き声しか録れてなかったり。

しばらくすると私もちょっと悪知恵が付いて、家で練習する時は母が買い物に出ている間にこっそり弾いたり、別の部屋にいる隙を狙って音が出ないようにしてヘッドホンを付けて弾いたりしてました。
まあ結局どれもバレて「ちゃんと音出して練習しなさい」と怒られましたが。

イヤイヤながらもピアノを弾くこと自体は好きだったので騙し騙し何とかレッスンは続いていたのですが、教本『ブルグミュラー25の練習曲』の中の『心配(気がかり)』という曲がどうしてもノーミスで弾けず、母から散々怒られました。
『心配』というタイトルよろしく曲調も暗くて当時は好きではなく、練習もなかなか進まず…

そのうちに母が妹の出産のために入院したのをいいことに私はレッスンをサボるようになり、父や祖母を巻き込んでピアノ行きたくないとあーだこーだ訴え、私のピアノレッスンは小6で終了しました。

今にして思えば、「母に怒られるのが嫌だったから」「中学受験に専念したかったから」「曲がつまらなかったから」…言い訳はいくらでもできますが、結局原因は私の実力が足りなかったことや、継続力や集中力の無さとか、自分自身によるものだったと思います。
しかし中学に上がってからもピアノを弾くことそのものは好きだったので、レッスンは受けずに家で好き勝手弾いたりしていて、その後再び興味を取り戻しレッスンを再開することになるのですが…、それはまた別記事のネタに取っておこうと思います。

で、話は戻りますがこの『心配』という曲は私のピアノ史が途切れた曲、私のいわばトラウマ曲のようなもので、それ以来弾くこともなく心の奥に封印しておりました。

しかし、あれから約20年が経った今。
職を失い専業主婦となった今、時間だけはあるのでちょこちょこピアノを弾いているのですが、ふと、この『心配』を弾いてみようかな…と思い立ち。
ちなみにこんな曲です。

楽譜は実家に置いてきたので手元になく、記憶だけを頼りに弾いてみたら、意外にもしっかりはっきり覚えていました。(もちろん動画のようなテンポでは弾けません)
しかも、何だか当時に比べてものすごくラク〜に弾けるぞ。あの時のあの苦労は一体なんだったんだ…、と思うくらいに。

そして、あの頃はただただ言われた通りに、楽譜の指示も先生の言うことも半分分からず、ひたすらミスしないように…怒られないように…と思って弾いていたけれど、
左手と右手それぞれの休符をしっかり取れるか、伴奏となる左手の和音を均一に鳴らせるか、メロディーとなる右手がスラーで弾けるか、中間部はちょっと感じを変えて演奏できるか…とか、子どものための練習曲の中の短い一曲に、勉強になる要素がたくさん詰まっていることに気付く。

当時これがしっかり分かっていたら、もっとピアノ上手くなっていたのかなぁ…なんてちょっと残念に思いつつ、それに気付けなかったのが多分当時の私の限界だったのでしょうし、大人になって好きな曲をあれこれ弾くようになった今だからこそ、改めて気付けたことなのかもしれません。

それから、母に言われて嫌々ながら通っていたピアノのレッスン、バイエルもハノンもブルグミュラーも何だか単調な気がしてあまり好きじゃなかったけれど、こういう基礎練習って実はとても大切だったんだなぁ…と感じます。
小学生当時はバッハのインヴェンションやツェルニーにすらたどり着けなかったけれど、それでも、ほんの少しでも素地があるということが今のピアノ好きな私に繋がり、趣味として楽しめている。
そう思うと、ピアノに触れる機会を作ってくれた母にはやはり感謝です。

長らくトラウマ曲として封印してきたけれど、約20年の時を経て向き合ってみると、習っていた当時とは違った風に感じられ、改めてピアノが好きになりました。
譜面を覚えていたのも、曲のタイトル通り心のどこかで『気がかり』として引っかかっていたから…なのかも。