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「自分を認める」について

「自分を認める」とは何ぞや

以前、優しさや思いやりを持って人と接することができるようにはどうしたらいいのかなー、という漠然とした悩みを抱えていた時期があり、人に相談したら「まず自分を認めるところからじゃない?」とアドバイスをいただきました。

自己啓発系のブログや本を読んでいるとよく見かける「自分を認める」という言葉ですが、これってどういうことなのかな?と疑問でした。

「ダメな自分を愛そう、受け入れよう!」「あるがままの自分を好きになろう!」って聞くと、なんだか簡単そうで、気持ちも上向きになり自己肯定感も上がりそうな気がするんですけど、具体的に何をどうすればいいのか全然分かりませんでした。

それで安易にネットで検索してみたら、当時の検索結果の上位に出てきたのがこちら、ぱぷりこさんのブログでした。

初めて読んだ時は大変衝撃を受けました。文面は辛辣ですが、核心を突いていると私は思います。

「自分を認める」のはラクじゃない

こちらの記事で書かれているように、「自分を認める」というのは、実際にはかなりの痛みを伴う作業なんですよね。自分の欠点や弱さに対してふんわりと受容するのではなく、目を逸らすことなく直視し、誰かに何とかしてもらうのではなく、自分自身が現実として受け止めなければならない。

主婦っぽい例えですけど、台所のシンクにたまっている汚れた食器みたいなもんかなと思います。面倒くさがって放置してたら山のように積み上がってしまい、食べカスがこびりついていたり、油でギトギトしていたりする。おまけに異臭もする。正直言って視界に入るだけで億劫になるけど、自分で何とかしないことにはどうにもならないので、汚いシンクの前に立って、汚い食器たちをひとつずつ片付けていくような、そんな作業なのかな…と。

「自分を認める」私の場合

こちらの記事を読んでから、私にとっての「自分を認める」は何なのかが具体的になってきました。私の場合「自分を認める」とは、「凡庸で、何者でもない自分を受け入れる」ことでした。

昔からお勉強だけは周りの人より少しだけできたので、小さな頃はそうでもなかったと思うんですけど、いつしか調子に乗ってしまっていたんですよね。自分は特別な人間で、優秀で、光り輝く個性を持っている。選民意識のような、私はみんなとは違うんだぜ!というプライドばかりが高くなり、周囲を見下すようになってしまっていました。

天狗の鼻はもちろん、ある時点でポッキリ折れました。大学や職場で、自分よりも何十倍も何百倍も優秀な人たちに囲まれて、それまで順調だったはずのアレコレが全く上手くいかなくなりました。それでも、心のどこかでは「本当の私はこんなもんじゃない」「今は環境のせいで、自分の実力を発揮できていないだけだ」なんて思っていました。

環境などの外的要因はもちろん重要な要素ですけど、その外的要因の中で上手く行かない自分、理想の姿ではない自分も「本当の自分」だとは捉えられていなかったんです。成績が思うように伸びない。仕事でミスを繰り返す。上司から叱られる。そんな自分を「 こんなの本当の私じゃない」…っていやいや、それが本当の私の姿ですってば。紛れもない自分自身です。無能な自分を、自分としてきちんと自分で認識する。それが私にとっての「自分を認める」ことでした。それが分かって、初めてスタートラインに立てた気がします。

もちろん、分かったからと言ってすぐに人生かガラリと変わったワケではありません。むしろ、今でも自分の醜い部分から目を逸らしている時はあります。

ただ、当時と比べると今はだいぶ自分が生きやすくなったように感じます。冒頭で述べた「人への優しさや思いやり」についても、以前は自分を特別視していたゆえに周囲の優しさや思いやりに鈍感だったのが、「こんなダメダメな私にも優しくしてもらえるなんて、なんてありがたいんだ…」と受け止められるようになった気がします。

だけど自分でそう思っているだけで、周りからみたら全然まだまだだと思いますし、「優しくて思いやりのある人」とは見られていないと思います。ついうっかりしていると昔のような尊大な自分が出てくるので、これからも素直さや謙虚な気持ちでいることを心掛けていきたいです。

あの時、このブログに出会っていなければ。心に刺さるような鋭い文章で、自分の弱さを指摘されていなければ。今の私にはなれなかったかもしれません。

私にとっての名著

そして、記事の最後に「ガタガタ言わずにまずこれ読んで♡」と紹介されていた本が、ヴィクトール・F・フランクルの『夜と霧』でした。

ナチスドイツのアウシュビッツ収容所を経験した心理学者が、収容所の人々について書いている著書です。極限状態の中で人々は何に絶望し、崩壊していくのか、また何に希望を見出し生きようとしたのか…決して悲惨な体験記ではなく、あくまで人々の心の動きや行動について、淡々とそしてリアルに書かれています。

現代を生きる私たちがアウシュビッツのような状況に置かれることはなくとも、辛い状況に置かれた時に、人としてどうやって自分と向き合い、どう生きるかを考えさせられます。

言わずとしれた名著ですが、私にとっても心の底から出会ってよかったと思える本なので、別の記事でまた改めて書きたいと思います。