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85色の日々、85通りの青春

先日実家へ帰った際に元自室の断捨離をしていたのですが、懐かしいものが掘り出し物のごとくザクザクと出てきまして。
その中に、高校時代の卒業文集を発見しました。

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そういえば、こんなものあったっけ。というか、書いたことすら忘れてた。思わず今の自宅へ持ち帰ってきました。人に語れる今がないので、過去を振り返りがちです。

仲の良かった友人の分だけでも読もうかなとパラパラめくり始めて、気が付いたらほぼ学年全員、83人分を読み終えてしまいました。未提出の子も数人いたみたいだから、学年の人数は卒業当時85人くらいだったのかな。
こういうものを改めてじっくり読むなんて、きっと時間がある時にしかできない。

高校卒業当時となるとほぼ全員が18歳に達しており、その頃には基本的な人格というのはまあ大体出来上がってるわけでして、それが文章にもしっかり反映されているものなのですね。
メインテーマにどんな出来事を持ってきて、それについてどんな風に表現するか、語彙や言い回しなど人それぞれ。手書きなので、字もみんなさまざま。

もちろんみんながみんな、100%ありのままの本音で書いているわけではないと思います。今の私は、文章を書いた子の文面から、当時のその子の、ほんのわずかな一部分しか知ることができません。

でも、それを加味して読んでみても、やっぱりそれぞれ個性豊かで色とりどり。
例えば高3の体育祭というひとつのテーマについてひとつの文章を書いている子もいれば、
複数の思い出についてそれぞれバランスよく書いている子、
中学からの6年間を総括して書いている子や、
学年全体のカラーについて書いている子もいる。
形式も、
普通の作文形式で書いている子、
挿絵を入れたり好きな歌の歌詞を引用している子、あいうえお作文の形式で書いている子など、
本当にそれぞれの個性が活きている。
高校卒業から10年以上も経ったさんじゅうウン歳の私がだらだら書いているnoteよりもずっと完成度の高い文章を書いている子もたくさんいました。

ちなみに私自身は、主に学年全体の特徴について、高3の体育祭の思い出を織り交ぜながら書いていたのですが、全体的に中途半端で拙い文章だったので読んでいて恥ずかしくなりました。
あと、私達の学年は事あるごとに先生方から「協調性のない学年」と言われ続けてきたのですが、それについて「自分自身にもその責任はあると反省しています」だとか、「私はあまり積極的に行事に関わることはありませんでした」とか、ネガティブで消極的な性格が露骨に出ていて「最後くらい明るく書いときゃいいのに…」と自分でツッコミを入れてしまいました。
まっ、でもソレが当時のありのままの自分自身なのでしょう。こればっかりは今となってはどうすることもできません。

そんな根暗な学生時代でしたが、それでも「あの頃、何だかんだ言って自分も青春してたんだな」と文章を読みながら感じました。
体育祭や文化祭、修学旅行などの大きなイベントももちろん大切な思い出だけど、部活もないのに放課後友人たちと教室に残って最終下校時間までダラダラ喋り続けたことや、体育の授業の後にみんなが使う制汗スプレーの匂いとか、授業中に先生の目を盗んでこっそりやり取りしていた手紙とか、そういうどうでもいい日々の出来事も私の中では大切な青春の一部です。
もちろん多少なりとも思い出補正がかかっておりますし全部が全部いい思い出というわけではないですが、あの頃の嫌だった出来事やネガティブな気持ちも、現在の私の糧となっているのだな…と今だったら思えます。これがオトナになるということなんでしょうかね。

私以外の同級生たちも、きっとそれぞれの青春があったことでしょう。同じ教室の中で、同じ授業を受けていても、みんなそれぞれの友人がいて、それぞれのかたちで学校に関わり、それぞれの受け止め方があって…85人いれば、85色の日々があって、85通りの青春がある。そんなことに思いを馳せてみました。

当時の友人とは今でも連絡を取り合ったり時々会ったりできていて、ものぐさで友人の少ない私にとっては貴重な存在です。今後もこういう関係は維持していけたらいいな、と思います。