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子どもにミッションを与えてイヤイヤと付き合う

先日めでたく息子が3歳になった。恐らくだけど、一般的な3歳児と比べるとここまでずいぶん手がかからない子だったと思う。

病気らしい病気もほとんどしない、食べ物の好き嫌いもない、人見知りせず誰にもニコニコ近づく(防犯上まずいが)、イヤイヤ期らしいものもほぼない。

生まれた時に少し小さかったので、成長は少し遅いところもあるけれど、毎日保育園でも「全量+おかわり」と連絡帳に書かれているくらいにはご飯を食べているのでちょっとずつ追い付いてくれればと思っている。

そんな彼にも自我が芽生え始め、あれしたい、これは嫌だ、ということをずいぶんと口に出すようになった。曰く、お風呂に入りたくない(テレビが見たい)。曰く、保育園に行きたくない(おもちゃで遊んでいたい)。

これまでは「〇〇したかったんだよね」と共感してみたり、「これだけやったら保育園行くよ」と約束して切り替えようとしてみたり、どこかで見たような情報を試してみたものの、あまり良い効果はなかった。

そこで最近編み出したのが「息子にミッションを与える」というものだ。例えばお風呂に入るときに氷に浸けると色が変わるおもちゃがあるのだが「キッチンから氷をもらってくる」というものや、保育園に行くときに「自転車のU字ロックやワイヤーを所定の場所に置く」というもので、彼が普段やりたがらないことに対して何か1つミッションを与えておく。

そして、案の定「お風呂入らない」と言われたら「じゃあお父さんが氷もらって来るね」、「保育園行きたくない」と言われたら「自転車のロック外してこようかなー(チラッチラッ」とすると「僕がやる!」とすっ飛んでくるようになった。

他にもポストを開けて中の郵便物を取る、絵本を本棚にしまう、晩御飯の準備で混ぜる工程をやってもらう、お掃除ロボットが終わった後にこたつ布団を元に戻す…等々、日々彼に任されるミッションは増え続けている。

家族でも、近所でも、親戚でも、とにかく年上ばかりでずっと末っ子扱いだった僕は、早く周りの子供に追いつきたくて、子供扱いされたくなくて、ずっと背伸びをしていたように思う。

ミッションを与えられるということは、責任と裁量を持たせてもらうことで、それは周囲がその人を認めることだと思う。氷をもらうのも、自転車のロックを置くのも、息子なりの責任感で「僕がやる!」と言っているのだとすれば成長に涙がこぼれそうになる。

これからどんなミッションを与えることができるだろうか、その先どうやって自分でゴールを見定め、目標設定ができるようになるだろうか、忙殺される毎日の中で、そんなことを思った。

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