見出し画像

ヤベーヤツ

家を建ててもうすぐ4年。

結婚して子供を授かり、マイホームを買うことが正解だと思っていた。むしろ、それ以外の正解を探してもいない。

正解って、正解以外が全て不正解みたいに聞こえる嫌な言葉だな。

正解以外も結構正解なはずなのに。

ラーメン食べてもハンバーグ食べても正解。

警察官になっても教師になっても正解。

一戸建てでもマンションでも正解。

ローン組んでも賃貸でも正解。

1+1は2でも田んぼの田でも正解。

徳川家康がやったことは江戸幕府を開いたことでもお茶を飲んだことでも正解。

太郎くんが時速60キロで2時間走った時に進んだ距離は、120キロでも正解だけど、途中で休んだりペースダウンしたりして100キロでも正解。「太郎くんが走ったのは車とかバイクだよね?」って言う質問するのも正解。

全部正解なら正解かどうかなんてどうでも良くなってくる。

その辺にゴミ捨てても正解。

だってそのゴミが原因で何が起こる?

例えばタバコの吸い殻だったら体積的に世の中になんの影響もない。煙が嫌い?副流煙?すぐに空に消えるさ。自分の家の前に吸い殻落ちてたら不愉快?不愉快なら拾えばいいじゃん。

…という文章を考えてることは愉快ではない。どちらかと言えば「俺は何を書いてるんだろう?」と軽いストレスすら感じる。でもそれだけ。

だったらコレは正解ではないかもしれないが、不正解と呼ぶには浅い。正解でも不正解でもなく、【軽くストレスを感じる文章を書いた】という事実のみ。

感情や痛みはある。でも不正解ではない。感情や痛みがあるという事実のみ。

この文章を隠し気味に投稿してるのは「何となく見つかりにくい感じにしたい」から。見られたくないなら投稿しなきゃいい。見せる見せない、どっちが正解とかじゃない。

ただこの文章がひっそりとどこかにあって、いつか死ぬまでに誰かの目に触れるのか実験したい。触れた人がどう思うのか。思ったことを伝えてくれるのか。

死ぬまで誰にも見つからない場合、この文章はWeb上で存在するだけで、細菌に分解されて土に帰るわけでもなく、無の存在である。

こんだけ書いたのに無になるのも面白い。

そもそも中身がないからすでに無だ。

無は正解でも不正解でもないと言うかと思いきや、無は正解だと言いたい。

だって無よ。無いんだよ。軽いじゃん。安いじゃん。身軽じゃん。何も無いんだよ。有難いの逆だよ。

無易い。なしやすい。

無易う。なしやすう。

人に何かしてもらったら有難うと言う。

人に何かしたら無易うと言う。


意味はないけど、正解だよね?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?