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占い、というジャンルへの、少し複雑な思い。

生活に追われているうちに、いろいろな方にフォローしていただきありがとうございます。
占い師の先生にもフォローしていただいたみたいで、本当にありがとうございます。

私占いって嫌いなわけじゃなくて、じつは結構有名な占い師の先生方と、
ひょんなことから知り合ったりしてましてね。

信じるか信じないかって言われたら、きっと実力は
その方によるのであって、
依頼者の背景や未来を鑑定する能力っていうのは、
きっと、持ってる方は持ってるんだろうなと思うんですね。
善悪とか、すごいかすごくないかとかそういう問題は別として

占えるスキルがを持ってる人がいる、ということは信じられます。

ただね、じゃあ透視した未来を、本人に教えることが本当に良いサービスなのか。

それは、いわゆるカンニングのほう助とは違うのかどうか。


だって、たいていの人は未来がわからなくて悩んだり間違ったりしてるわけで

それを、代金を払って当ててもらって人生を良い方に向かわせることは可能なんだろうけど

自分で考えて自分で選択して自分で生きるという
苦楽の過程を
部分的に放棄しちゃってる状態だと思うの。

だから心ある先生は、全部教えることはせず
うまーく、良い人生修業が送れるよう(必要な修羅場はくぐるように)誘導したりするんだろうけど、
人間どうしたって
インスタントな結果を提供してくれる占い師の方
注目するしなびくよね?

「〇〇先生のいうとおりにしたら数日後には投資で成功した」
「占ってもらったとおりにしたら、好きな人が振り向いてくれた。年内に結婚します」

そりゃあよかったし、むしろちょっと羨ましいけれどもね、
やっぱり人生を部分的に、
スピリチュアルに乗っ取られるのはどうかと思うわけ。

だから、ヒントだけうまーく与える先生が好き。
せっかくその人が握ってる人生の舵を、
横からひょいと代理で操縦するんではなくて。

だけどね、最近子どもたちの自殺までが増えてきて
本当にこれ末期的だと思うので、
そういうギリギリのところで、
「もう少し希望もって生きてみようかな」と
本人に思わせるような占いがもしあるなら、それは偉業だと思うんだ。

「占ってもらおう!」っていうのは、
ある種依存的な姿でもあるけれども、
とりあえず何とか良い方に向かいたい、そして
生きようとしているってことだもんね。
何に対しても希望を失って、
死のうとしている状態よりは、ずっとずっといいんだよ。

だから私は、占いを全面否定はしません。

ただ、私個人には必要ないです。
たとえそれが、今日明日命にかかわる問題であろうとも。
これが、一旦死ぬ覚悟した人間のたった一つの強みです。
死ぬときゃあ寿命が来たから、死ぬんでしょう。

……でもちょっと気になるのがね、

2年前用事があって東京の赤羽付近に行ったんですけれども、
なんか、夜少し暗い、ビジネスホテルがたくさんあるあたりの通り歩いてたら、
占い師のおじさんに、ほんとにドラマみたいに声かけられたんですよね。

しかもその人、コロナ禍だっちゅうのに路上でノーマスクで
他の人の鑑定中のツワモノだったんだけど笑
そのお客さんほっぽらかして急に立ち上がって、

「あっ、おねえさんちょっとちょっと!ちょっと大事なことだから聞いて」


急いでたのと、おっかなかったので
小走りスルーしちゃったけど、
今思えばアレなんだったんだろ(怖)

死相かい???

まあ確かに、その後大病やらかしてるからなあ。

ヒィーーーーーーーーーーーッッ

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