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Revenant Doll 第16話

第2部

9 海から帰った者たちと、ファミレスにて

 
「焼けたな」
「人をバーベキューみたいに言うなよ」
 
 ビーチでの一泊二日はよほどの好天に恵まれたのだろう。肌に真夏の痕跡をくっきり印した財部豪介は、愛用のマウンテンバイクを駆って颯爽とファミレス前に現れた。江上さつきら女子三人と男子二人も間もなく来る予定だった。
 
「まるで赤鬼だ。ヒリヒリするだろ」
「確かにな。お前も来ればよかったのに。しっかし暑いな。……あ、来た」
 
 降り注ぐ真昼の陽光の下、江上ら女子は全員が連れ立ってきた。横一線に並んで近づいてくる私服の高二女子三人に続いて、残りの男二人がそのはるか後方に見える。財部と同じクラスの高橋翔太と坂井洋介。財部によると、今回の成果を期待されている顔触れらしい。
 報酬を受けて悪霊を滅ぼす座光寺家の生業なりわいのことは、この財部と、あとは生徒会長の水際佳恵以外に知っている生徒はいない。幼い頃から俺は固く口留めされてきたし、財部も決して口を滑らせたりしないので、こうやって多数でつるむ時でも気を許せた。店内ではごく自然に財部と江上と俺、他の四人という配置で二つのテーブルに分かれ、各自ランチを注文した。
 目の前で仲睦まじい二人を眺めるのは心地良かった。あきれた様子で「見てらんねえなお前ら!」などと冷やかすのも、同席者としての礼儀の範疇なのだ。生徒会長とのいささかスキャンダラスな秘密を抱える身であればこそ、「公認の仲」の二人というのは目に眩しく、微かな嫉妬を催しさえもする。
 江上さつきとは、中等部の二年と三年で同じクラスだった。当時に比べると全身がバランスよく豊満になり、今はオムライスを綺麗に平らげてチョコレートケーキに取り掛かっている。彼女の顔もTシャツの袖から伸びた二の腕も、いい色に焼けていた。
 
「座光寺君覚えてる? 西高に行った高林美優」
「あー、いたね」
「その子とこの前電車で偶然会って、座光寺君の話が出て盛り上がった」
「どう盛り上がったの」
「昔から何かギラギラした感じがあったって」
「よく分かんねー。俺ギラギラしてっかな」
 
 江上の隣で、財部が手を叩いて笑っている。何がそんなに可笑しいのか。
 
「前触れもなく急にエッジが鋭くなる感じは、確かにある」
「それをギラギラとは言わないだろ」
「ごめん、『キラキラ』だったかもしれない」
 
 「キラキラ」と「ギラギラ」はだいぶ違うどころか、正反対じゃないのか。
 中等部三年で同じクラスだった高林美優の容姿は辛うじて脳裏に浮かぶが、これといって会話を交わした記憶もない。にもかかわらず、江上と会った彼女は他の誰よりも俺を話題にしたようだ。どれだけ俺は迂闊な人生を送っているのだろう。
 そんな物思いに耽っていた時、江上が「エッジっていえばさあ、生徒会長の水際さん」と俺に向かって言いだしたので、小さく心臓が跳ねた。
 
「髪切ったでしょう? 見た?」
「ああ、切ったね。それが?」
「まさに『エッジ』だよね、あの、めっちゃストレートな毛先の感じ。触ったら手が切れそう。それだけじゃなくて全体的に近寄りがたさっていうか、女王のオーラが倍増しになってるって思わない? 歩いてる時も背筋をこう、ピンと伸ばして顔を上げて、とても声を掛けられる雰囲気じゃないの。何があったんだろうね」
 
 いずれこういう場面が訪れると予想し、かねてからシミュレーションは怠らなかった。「そういえば先月だっけ? 学校休んでたよな」とさりげなく財部に話を振ると、「ああ、そうそう。ただの夏風邪だって」とかなり適当な風説を流した。俺を怪しむ気配は感じられなかった。
 江上さつきはよくしゃべるし、よく笑う。ふくよかなルックスだけではなく、陽性で大らかな性格も財部は気に入っているらしい。そんな彼女の背中まで伸びた髪を指でいじりながら、「お前は切らなくていいよ」と、別に俺の前で言わなくてもいいようなことを口にし、互いの視線を交錯させる。衆目の前で唐突にプライベートなシーンを挿入し、周囲のやっかみを誘う例のあれだ。
 江上が「切りたくなったら切る」と俯いたタイミングで、財部は夫婦漫才を切り上げ「ジュース取ってくる」と言って立ち上がった。テーブル席には俺と江上が残った。
 
「座光寺君って小食だね」
「そうか?」
 
 目の前の空いた皿に視線が落ちた。注文したハムサンドは綺麗に平らげているが、なぜ江上はそう思うのか。
 
「味も薄い系が好み? 豪介はカツカレー大盛りだよ。淡泊っていうか」
「何だよそれ。淡泊なのかギラギラなのかどっちだよ」
 
 言われてみれば、以前ほど切実な食欲はなくなった気がしないでもないが、夏バテのせいだと思えばどうということはない。無作法な音を立ててアイスコーヒーの残りをストローで吸い上げている俺の目の前で、江上が頭越しに遠くを見て「私?」と言うように自分の顔を指差している。ドリンクバーの方を振り向くと、財部がこちらを手招きしていた。
 「信光!」という声が聞こえ、江上が浮かしかけた腰を戻すのと入れ違いに、俺は立ち上がった。呼ばれているのは俺だ。
 ドリンクバーまで足を運ぶと、財部はテーブル席に背を向けて俺の肩を叩いた。
 
「どうしたんだお前」
「何が」
「山に行ったのか?」
 
 一瞬、自分を包む空気が急に冷えたのかと思った。「ああ、行った」と答えるまでに、不覚にも十分に怪しいが生じてしまった。
 
「普通じゃないよ。顔色といいしゃべり方といい。俺たちが海に行く前とは別人みたいだ」
「そうか。すまない」
「謝ることじゃねえよ。ひょっとしてあれか? また生徒会長から無理難題持ち掛けられてんのか?」
「分かった分かった!」
 
 深呼吸をして、財部の背中を軽く叩いた。振り返ると、江上がコーヒーフロートのグラスを両手で持って上目遣いの視線を向けている。その眼差しには微かな不安が感じられた。
 
「ここじゃ話もできないから後で電話する。それでいいだろ?」
「それでいいよ。しかしどうもうまくねえな」
 
 財部の表情が曇っている。江上との仲睦まじさは芝居だったかと思うほどだ。隣のテーブルに固まった四人は、俺たち三人のことはお構いなしという様子で盛り上がっている。この場で解散しても彼らは何も問題なさそうに見えた。「俺、帰るわ」と告げると、財部も「そうするか」と応じた。
 
 その晩十時過ぎに俺は財部の携帯に電話し、水際佳恵との間で起きたことのすべてを打ち明けた。
 生徒会長と深い関係になっていることに、財部には特段驚いた様子はなかった。あるいは想定の範囲内だったのかもしれない。彼女との関係の上で調査を引き受けていることが何を意味するのかも理解したようだった。
 要するに、俺にとっては気兼ねなく友人の助力を求められるような「筋のいい話」ではないのだ。だから彼が「大体のことは分かった」と言うのを聞いて、いくらかは安堵した。
 
「一応念のためだが、俺にできることがあるなら遠慮なく言ってくれ」
「すまん。恩に着るよ」
「無理なことは無理で通せばいいんだ。彼女(水際)だって無茶は言わないだろうよ」
「俺も最初からそのつもりでいる。心配しなくていい」
 
 財部は含み笑い交じりに「本当か?」と言い、じゃあおやすみと告げて電話を切った。
 

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