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Revenant Doll 第17話

第2部

10 WIN──WINを目指して。そして信光の告白


 七月が終わると夏休みも半分終わったように気が重くなるのは、誰しも覚えがあるだろう。宿題を早く終わらせるべきなのは頭では分かっていても、実行に移すのは容易ではない。八月は、夏休みが始まった解放感の絶頂を過ぎて、二学期までの猶予期間が一日ずつ減っていくのを数える月でもある。
 だから八月に入ると、子供たちの顔色に影が差す。ましてや今年の俺のように、宿題とは別の心配ごとを抱えているのであればなおさらだ。

 百年以上前の津川俊助殺害事件が、嬉野小の校舎解体工事を阻んでいる現象と関係があると断定できる証拠は何もない。あえてこの二つの事件の関係性を念頭に置くのであれば、次回調査は津川が失踪した日、すなわち殺害が行われたとみられる八月五日に合わせる必要がある。
 そう考えていた矢先に、桐谷警部補から電話が入った。次回の調査に同行したいと彼は申し出た。

「刑事が一緒だと気が重いかもだが、俺としてもできることは便宜を図るよ。送った資料は読んだ?」
「読みました。かなり広く調査されてるんですね」
「何、所詮は本業の片手間だよ。アマチュアの民俗学者気取りってやつだがまあ、参考になれば。で、どうだろう。俺が一緒だと邪魔かな」
「とんでもありません。気にしないでください」

 正直なところ、誰にも気遣いせずに単独で調査したい気持ちはあったが、貴重な参考資料を提供された手前、断れる雰囲気ではなかった。彼もその点は計算済みだっただろう。

「むしろ僕の方から桐谷さんと相談したいことがあります」
「そうかい。こうやって電話で話してたらきりがないから、出発前に一度会っておこうか」
「ええ、ぜひ」

 二日後の夕方、当直勤務明けだという桐谷刑事と関内かんない駅の喫茶店で会った。八月五日と六日には休暇を申請して認められたと彼は得意そうに言った。

「要するに『盆休みの前借り』だよ。ところで今日は、執事さんはご一緒じゃないね」
「分かりますか?」
「これでも一応陰陽師だからね。いいのかそれで」

 この日桐谷警部補と一対一で会いたいと言う俺に、エドは当然ながら難色を示した。話し合いの内容をいっさい包み隠さないという約束でどうにか彼の了解を得たのだが、俺が家を出る際にまで「当家の秘事を口にする必要はございませんので」と念押しされたのはいささか閉口した。

「彼が同席すると桐谷さんも話しづらいと思ったんです」
「正直言うとそうだね。まあ俺としても、ここで万事決めようとは思ってないよ」

 エドの同席を避けたのは別に桐谷刑事の都合を慮ったわけではなく、俺の個人的事情による。とりあえずは何の話を始めようか、当たり障りのないところでと思っていると、桐谷警部補が「ところで」と微笑を浮かべながら単刀直入に本題に入ってきた。

「本件に関して……つまり津川殺しと昨今の怪現象が同根だという前提で言うわけだが、俺と君とでは目的にズレがある。今日のメインテーマはこれだよな?」
「いやまあ、ええ、確かに」
「工事の再開に向けて異変を終わらせるのが君の役目だが、俺は津川殺しの容疑者を特定するのが目的だ。この点は違うにしても、お互いにWIN──WINの結果を目指して協力し合えると思うんだが、どうだろう」
「それは俺も異存はありません」

 いくらか逡巡が残っていたが、この際だと思って振り切った。

「ただ、生前の津川さんがどんな恨みを買っていたにせよ、実際に犯罪者だったわけじゃありません。もし解体工事を妨げているのが津川さんの霊だとするなら、最悪の場合、むごい殺され方をした被害者の霊を俺は滅することになるわけです。生きている者の都合で悪霊を滅ぼすのが座光寺の家業ですから。悪い言い方をするならこれは『霊的殺人』です。刑事さんから見てどうですか。刑法犯にならないからといって、津川さんの霊を殺す俺を許せますか?」
「許すも許さないもない。君の判断に介入する権利は俺にはないよ」

 独り善がりな煩悶はあっさりスルーされた。まあ当然だ。彼は法律の番人、警察官なのだから。

「それに、まだ津川が工事を邪魔してると決まったわけじゃない。ただし彼が殺された事件については、当時何が起きてたかを解明すべきだと俺は考えてる。結局、俺と君の目的は無関係じゃないだろうって言ってるんだ」
「でも生前の津川さんに罪がないのに、ひどい殺され方をしたことが理由で今は罪があるっていうのは、何かおかしくありませんか? 小学校が残るか廃校になるかなんてはっきり言ってどうでもいい話ですよ。殺人事件の重さに比べたら」

 俺の頭の中では「殺人」の二文字がぼやけ、二重になり、遂には細胞分裂のように分離して、それぞれが勝手に踊り始めていた。どちらも漢字の「殺人」だが、少し色が違う。たぶん手触りも違う。

 桐谷警部補は少し考え込むように唇を噛んで俯いてから、意を決したように「ぶっちゃけたことを言うとだな」と口を開いた。

「俺は津川に直接話を聞きたいわけよ。殺人事件のホトケの一次証言ってのは刑事にとって究極のファンタジー、夢そのものなのは分かるよな?」
「そんなことだろうと思ってました」

 高校生男子の生意気な口吻に色をなすでもなく、刑事は「なら話が早い」と言って本格的に遠慮のリミッターを解除してきた。

「津川を呼び出すことができれば、俺に代わって君から聴取してもらいたいんだ。俺の能力じゃ無理だが、君ならできるだろう」
「できなくはないですが、津川さんを呼び出すわけですか?」

 警部補が「それは俺がやる」と言ったので、思わず彼の顔を二度見してしまった。まだ校舎内をすべて探索したわけではないが、今のところ霊の影も形も見当たらない。それなのに彼は自信ありげだった。

「死者の霊を呼び出す招霊の儀式をやる。桐谷家に古くから伝わっている技法だが、実際に試したことはない。まあ、やってみる意味はあるだろう。もちろん津川が降りてくる保証はないが、誰であるにせよ事件の関係者なら、何らかの情報が得られる可能性はある。君だって無理に滅霊したいわけじゃないだろう」
「確か、陰陽師が降霊をするのは禁忌タブーじゃなかったでしょうか」
「そんなことはないよ。ひょっとして『呼び込み』のことを言ってるの?」

 「呼び込み」とは陰陽師や滅霊師の間の符丁で、悪霊をわざと召喚した上で除霊の依頼を受けるという、いわゆるマッチポンプ営業だ。昔から悪質な陰陽師の常套手段だった。

「そもそも解体工事の件は、津川が関与してるなら霊障ってことになるから、ゼロの状態で呼び込むわけじゃない。とにかく工事の妨げになっている原因を明らかにして、それを取り除くことができれば君の任務も終わる。事件の方も全容解明へ一歩前進する。万事丸く収まるじゃないか」

 熱っぽく語る刑事の表情に、俺は何か薄気味の悪いものを感じていた。結局、次の嬉野小探索は彼と共に行うことになりそうだが、彼の話し振りの端々には、何か特別な事情に動かされているような印象を受ける。
 嬉野小と現地教育委員会、そして聖往学園理事会が俺に期待しているのは、あくまでも今起きている異変を終わらせることだ。それを成し遂げさえすれば、中断している旧校舎解体工事を再開できる。百年前に起きた殺人事件の真相解明など彼らの関心の範囲外だ。むしろ隠れていた真実をことさら暴き出すことは、俺の役目の妨げになるのではないか。

 このことに桐谷刑事が気づいていないとは思えない。百も承知の上で、世間知らずの高校生を丸め込もうと躍起になっているのかもしれない。
 だが、このまま校舎の探索が終わるまで霊を検知できず、そして怪現象が終わらないのであれば、俺は役立たずということになる。彼の手を借りるのは悪手にも思えるが、少なくとも一歩前進はできる。
 「お客」が手に負えないほど狂暴化しているのでなければ、学校敷地から追い払う程度で済むかもしれない。いや、この場合は何が何でも「除霊」の範囲にとどめなければいけない。そして八月下旬という期限にこだわるなら悠長に構えてもいられない。
 いつの間にか俺は、結果を出したいと思うようになっていた。水際の言うように、高校生ふぜいが国の予算への概算要求期限に気を揉むのはうぬぼれもいいところだろう。しかし夏休みが八月末に終わるのも大人の事情と言えばそれまでだ。
 どちらにしても、これは一つの賭けだった。

「さっきも言いましたが、滅霊はしたくありません。相手が津川さんであろうとなかろうと」
「それは君の判断に任せるよ。俺がどうこう言えることじゃない」
「失礼な言い方になりますけど、いいですか?」

 刑事は無言で頷き、先を促した。

「桐谷さんとの共同作業で事態がこじれた場合、その結果として俺が強硬手段に訴えざるを得なくなる可能性もあります。でもそういうことはしたくないんです」

 桐谷警部補は腕組みをして天を仰いだ。初めて招霊を試みることの危うさは自覚しているのだろう。藪をつついて出てきた蛇を、目の前の高校生に処分させるのも後ろめたいに違いない。だが長年の執念が諦めを許さないのだ。

「じゃあ、こうしよう。当日に現地で協調するか、別行動を取るかは君の判断に任せる。俺は俺で自分のやるべきことをやる。それが君の任務にマイナス要因になるなら、こちらとしても可能な限り配慮する。それでどうだろう」

 俺は少し考えて「それで結構です」と答えた。どのみち彼は最初から招霊を行うつもりだったろう。お互いが意思疎通しながらWIN──WINの結果を目指せるなら、確かにその方がベターではある。

「確認だが、津川俊助は死亡して日本国民の資格を喪失してるから、法によって守られる権利はない。そして彼の霊に不利益になるようなどんな行為があろうとも、霊が公式に未確認である限り、その行為に対する法規制も存在しない。警察官として一応明言しておく」

 あくまでも法律が警察官の守備範囲であることをおごそかに宣言すると、桐谷警部補は立ち上がって右手を差し出した。俺はその手を握り返し、「誰にも不利益なことなんかしませんよ」と告げた。

 父の跡を継いで滅霊師になるのは断るつもりだ。俺はこのタイミングでそれを打ち明けた。刑事は一瞬目を丸くして見せた程度で、大して驚いた様子もなかった。

「お父さんには相談したのか。あの執事さんだって承知しないだろう」
「誰が反対しようと関係ないです。俺が跡を継がないとなれば滅霊師は断絶でしょう。でも、俺の考えは決まってますから」
「大変だな。結論を急ぐ話じゃない気もするし、よく考えた方がいいんじゃないか?」
「もう十分考えました。これ以上考えたら」

 気が変になってしまう。そこまで言わなくても察してもらえるだろう。刑事は「そうか」と軽くため息をついた。

「それじゃ、さっきの提案については前向きに考えてくれ。こっちはその前提で準備しておく」

 疑問点があったら何でも聞いてほしい──。彼はそうも言った。こうして協調行動をするか否かにかかわらず、当日は午後九時に嬉野小学校正門前で合流する約束をして、その日の話し合いは終わった。猶予はあと二日しかない。

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