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ザミフォーリア救出日記

我が家の近所にカフェに併設された植物専門店がある。正確に言えば二つは同じフロアにありながら別会社、蔦屋にスタバがあるようなイメージだろうか。 初心者マークのお手軽なものからマニア垂涎の数万円の希少種など、狭いながら幅広い品種が置いてあり、非常に面白く私も何品か買ったことがある。 そのお店が長らく開いていない。今までさして気にしていなかったのだが、ふと先日気になってガラス越しに店の中を覗いてみたら植物たちが萎れてきていることに気づいた。何万円のものたちも枯れ始めている。気になっ

    • 赤い手、緑の手

      世の中には赤い手を持つ人と緑の手を持つ人がいるという。植物をすぐ枯らせてしまう赤い手の持ち主と、どんなに弱った植物も元気にしてしまう緑の手を持ち主。 自慢じゃないが私は植物を枯らすのが天才的に上手い。サボテンまで枯らした。私の手は真っ赤っかに燃えているらしい。 そのくせ植物は大好きだからタチが悪い。枯らしては買い、枯らしては買い…悪いホストにハマったお客さんみたいな感じである。 ある日、紅葉を枯らしたことに嘆き悲しみ、母に心の内を話すと母に告げられた。"あら〜、〇〇(我が弟)

      • あんみつ姫の呪い"着物考"

        着物が好きだ。大好きだ。愛していると言っても過言ではない。 好きなものには環境や知識からくる後天的なものと、DNAに組み込まれているかの如く先天的なものがあるように感じる。私にとって読書や料理、音楽の好みなどは前者で絵を描くことと観るとこ、インテリア、着物は後者だと思われる。自分で思い出せる最初の記憶には既に好きなものとして存在していた。 着物にフォーカスしてみると、これには両親も大変であったかと思う。七五三に正絹の煌びやかな着物を祖父母が与えてしまったことが運の尽きであった

        • 父、"山笑う"

          実家に帰省中の初夏、父の運転する車に乗っていると父がぽつりとつぶやいた。 "山笑うだな。" 山笑う!!言葉を目にしたことはあれど実際にその言葉を日常生活に於いて使う人物がいたとは…しかも私のDNAの半分を担っている他でもない父である。 父は変わり者である。研究者という職がそうしたのか変わり者であるから研究者として我が家の大黒柱として勤めあげたのかはわからないが、何せ変わっている。一見わからない。静かな昭和のおじさんだ。元素記号の羅列が一番美しく、自分がもし死んでも宇宙の質量

          ぬか床忘備録

          ぬか床を育て出して一年が経つ。 ぬか床は以前より育ててみたかったが、ぬか床を腐らせる女性はなんとやら(諸説あり)という今ならセクハラですか?といわれそうな鉄の掟が昔よりあるらしい。私も昭和の女はしくれ、決して腐らせてはならない手間のかかるものというイメージもあいまって手をつけられずにいた。 ある日からよくご飯を食べに行くようになった人がいた。彼は漬物が大好きだった。和食なら漬物は必ず頼む。野菜はなんだっていいらしい。中華に行けばザーサイ、焼肉にはキムチ、洋食ならピクルス…と

          ぬか床忘備録

          桜紀行 2024

          近所の古い団地が壊されて長らくそこはだだっ広い原っぱと化している。また団地が建つのかと想いきや施工の気配は一向にない。 先日、桜ももうすぐ八分咲きといったころ、その原っぱに5本ほど桜の木が残されていることに気づいた。いつも通る道なのに木が残されていることには気づいていなかった。団地がまだあった頃、他にも木は植えられていたはずだ。他の木は全て切り取られて桜だけがそこに春の訪れを告げた。 なぜ桜の木だけが残されたんだろう。理由は定かではないが、なんとなく日本人の桜に対する、執着に

          桜紀行 2024

          筍前線

          筍前線なるものがあると最近知った。 これを三月半ばから必死に追い出すのが私である。 九州産に始まり、産地が北上すると共に南の産地の筍は安価になってくるのをひたすら見続けお得な筍を買い漁る。 そして筍が日本から出回らなくなる直前まで追い続け、最後まとめて茹で上げ冷凍庫に保存し、春の名残を一年かけてちびちびといただく。 そのくらい筍が好きだ。 昨年のことであった。そろそろ筍も終わりに近づいた5月、岡山産であったか5キロの筍が3000円で販売されていた。もう八百屋にも出回らなくな

          また4月がきたよ 同じ日のことを想い出して

          一年前の私に問いたい。 "何が欲しい?" 答えは明確だ。 "欲しいものはない。" 人は満ち足りていると物質的、経験的、感情的にも欲がなくなるらしい。 今が一番幸せ絶賛更新中の私はある意味無敵だった。   そして1年をかけて芋蔓式に多くを失った。部品一つを失った機械が徐々に外れ、綺麗に解体されるように、面白いくらいに。最後に失ったのは五感だ、怒りも悲しみもない代わりに喜びや楽しさも全く感じなくなった。   1年前をふと思い出す。時間だけが過ぎた。しかし1年後の私はどうだろう

          また4月がきたよ 同じ日のことを想い出して