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シャドウセルフ

夢の中で私はひとり、海外旅行に来ていた。
どこの国なのかはわからないけど、日差しが強くて岩肌が多い場所だった。
何日も滞在するうちに周辺のことが少しわかるようになっているらしく、たまたま会った日本人夫婦にスタジアムへの道を教えてあげるくらいになっていた。

顔見知りも何人か出来て、その中にやたら親近感を覚える黒人系の女の子がいた。その子は子供だったような気もするし、18歳くらいだった気もする。
私の年齢も同じくらい若かった気もするし、今と同じ大人だった気もする。
とにかくその子と仲良くなって大好きになっていたのだけど、何かの地図を広げながら話してる途中で目が覚めた。

突然現実に引き戻されて、起きた時に少し悲しかった。
忘れないように夢の中で聞いたはずの彼女の名前も、もうわからない。

起きてから色々なことを片付けて、ふと朝から痛かった左の腰が気になり始めたのでクリアリング瞑想法をやってみようと思い立った。
左の腰に何か感情が詰まっているのかな?と思って始めたのだけど、気になるエネルギーは右のおでこ辺りにあった。

そのエネルギーは茶色っぽくて、食器洗いスポンジくらいのサイズ。
かなり古びたゴワゴワの毛布みたいな質感。がさっとしている。
そんなニュアンスのスポンジボブみたいな子が、そこでニコニコしていた。
その子に名前を尋ねようとした瞬間、夢で会った黒人の女の子の名前を思い出した。

このスポンジボブみたいな子と、夢で会った女の子は同じ存在かもしれない、と気づく。
私は夢占い鑑定もやっているのだけど、夢に出てくる他者は自分として解釈をするため、あの女の子は私自身でもあるのだ。
そしてスポンジボブの子は私の未消化の感情の一部であり、その質感を観察すればするほど、夢の女の子のアフロっぽい髪の毛とそっくりなのである。
もう会えないと思っていた夢の中のお友達が、まさか内側にいる自分の一部だったとは驚いたけど嬉しかった。

「そこで何をしてくれていたの?」と尋ねると、
『色々引き寄せて喜んでもらいたかったし、ご褒美が欲しかったの』と言う。

その子が喜びそうなご褒美をプレゼントするイメージをすると、茶色っぽさがパステルカラーに変わっていき、夢で会った人間の女の子になった。

「それで、本当は何をしたかったの?」と聞くと、
『踊ったり歌ったりしたかった』と言う。

彼女が自由に歌ったり踊ったりできるようにイメージしてあげると少しお姉さんに成長して、60年代のアメリカっぽい花柄のブラウスを着て、古いコーヒーショップみたいなところでバイトを始めた。
そうか、そういうことがしたかったのか、と思い、

「これが叶ったら、今度は本当は何をしたかったの?」と聞くと、
彼女はそこからまた少し大人に変わり、紺の薄いニットで田舎の小学校の先生のような、落ち着いた雰囲気になった。

「それで、本当は何がしたかったの?」とまた尋ねると、
さらに背が伸びてスリムになり、タイトな白いロングドレスを纏い、
『美しく年齢を重ねたかった』と言う。

彼女はさらに白髪になり、美しい老人になって微笑んだ。
「それで、本当は何がしたかったの?」と尋ねると、
今度はまた幼い、夢に出てきた女の子に戻ってこう言ったのだ。

『歳を取っても、取らなくても、どっちでもよくなりたかったの!』
『大人でもいいし、子供のままでもいいし、どっちでもいいのが良かったの』

気がつくと私は夜の海にいた。
彼女は真っ黒く光る夜の海になっていて、空には満天の星空があった。

『どっちでもいいし、もはや姿は何でもいいの〜!』

海となった彼女が喋る度に波が押し寄せては水しぶきが上がり、空で光っているのが星なのか水しぶきなのかわからなくなっていた。
彼女はもはや海であり星空であり、世界だった。

『私は夜担当。あなたは昼担当だから、寂しくなったらいつでも思い出して』

そうして瞑想は終わった。 

その時のイメージ画


数日前に、ケルトのメイボンの火祭りをした。
ケルトでは一年を8つに分割して捉え、その度に儀式や祝祭がある。
有名なところではハロウィンの起源となったサウィン祭で、これは実はケルトの新年にあたる。
春頃に魔術友達と「今年は全部の祝祭をしよう」ということになり、いつも3人で集まってやっている、何回目かの火祭りだった。

メイボンは秋分なので、昼と夜が同じ長さになる。
太陽が天秤座入りすることからも「全体のバランスや調整」がテーマとなっている。
私たちはユーカリの葉にこれまで達成したことへの感謝を書き、これから叶えたいことも書いて焚き火に入れた。

ユーカリの葉の形の炎

これからの願いよりも、これまで達成したことに感謝を送る時の方が遥かに心地良く、豊かさを感じた。
やっぱり感謝を味わう時、私たちは本当に受け取っているのだと思う。

メイボンではさらに自分の中にいるシャドウセルフに光を当てる。
シャドウセルフとは、普段自覚していない自分の闇の側面である。

この世界はどうしたって光と闇が両面あってひとつなのだ。
自分のバランスを調整するためには、光の心地良さを楽しむだけじゃなく闇の声も無視してはいけない。
おそらく秋分の日前後は眠くて仕方なかったり、なぜだか体や心が重かった人もいると思う。それは普段元気なあなたの影に隠れているシャドウセルフが何かを主張しているのかもしれない。
闇は闇であっていいのだ。闇のまま受け止めるだけでいい。

瞑想の中で夜の海に溶けた女の子は「私は夜担当だ」と言っていた。
それはまさにシャドウセルフなのだと思う。
彼女は大人でも子供でもいい状態が良くて、もはや姿も関係なく居たい、と言った。それは私が心の奥で思っていた気持ちと同じものだった。
そして私はなぜだか寂しかったのだと思う。

私は寂しい時、いつもひとりで居ようとする。
寂しいのに、いや、寂しいからこそ、ひとりで居たいというか、自分と居たいのだ。
そんな時に姿を現してくれた“夜担当“のもうひとりの私、シャドウセルフ。
私は彼女に会えて寂しくなくなった。

シャドウセルフって、そういうことなんだと思った。
闇の自分に意識を向けるからこそ、何かが埋まるのだ。
メイボン・秋分の日のバランス調整って、そういうことだったのだと。

『寂しくなったらいつでも思い出して』
『あなたが光の道を歩いているその影に』
『私はいつも共にあるから』


昔キッズイベントのフライヤーで描いたものだけど、黒人の女の子が夢の女の子にそっくりで驚いた!
髪の毛の部分はおでこにあったエネルギーのスポンジボブちゃんに似てる

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