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氏神様

春頃から1日と15日に氏神様にお参りに行っている。
氏神様とは、現代の解釈では『その土地を守る神様』のことだ。
今の家に引っ越してきてからは、一番近くに祀られている神様ということで時々裏山の祠へお参りに行っていたのだが、土地開発により裏山に入れなくなってしまってからは特にお参りをしていなかった。

日本の神様は大昔には人間だった方も多いせいか、とても人間っぽい感性があると聞く。人間だったことがあるから、礼儀に少々うるさいという話である。
例えば伊勢神宮や出雲大社など大きくて有名な神社へお参りに行っても
「そうかそうか、ところでお前はどこの誰だ」
と思われてしまうこともあるらしい。
けれども、日々自分が暮らす土地の氏神様をお参りしていれば、氏神様から大きな神社の神様たちへちゃんと話が通るのだ。

そのためにも氏神様のところへ行き、
「どこどこに住んでる〇〇と申します。いつもありがとうございます」
と、きちんと住所と氏名をお伝えして礼儀正しく参拝していなくてはならない。
それを日々やっていると、大きな神社へ行った時には
「どこどこ町の〇〇なんだって?そこの氏神から聞いてるよ」
ときちんと歓迎してもらえるわけである。

ちなみに1日と15日というのは、旧暦での日付だ。
旧暦カレンダーなど、アプリでも簡単に旧暦を知ることはできる。
ちなみに昨日は6月20日だったけど、旧暦では5月15日だったので昨日もお参りしてきたというわけだ。

冒頭の話に戻って、裏山へ参拝に行けなくなった私は、改めて近くの神社を検索してみた。
引っ越してきた頃に近くの神社はだいたい回ったけど、そうだあの神社って何ていう名前だったっけ。と、ある神社を検索してみると『〇〇王室神社』と書いてあって驚いた。
なぜなら私は内側を王室に見立てた『ロイヤルメソッド』という心理分析開運メソッドを開発したことにより、毎日のように「王室」というワードを口に出すからだ。
え!『王室』の文字が?!と驚き、感動して、すぐにお参りに行った。
もちろんこれは「おおむろ」と読むので「おおしつ」ではないのだが、思わず親近感を覚えてしまった。
嬉しくてお参りに行ったその日は、どうやら一粒万倍日だったと後で知った。
そのおかげか、その日は参拝後に少しミラクルな仕事が入った。

神社参拝はできれば午前中に行きたいと思うからこそ、どうしても行けない日もある。その時は人間には都合があるから仕方ないと思うようにしている。
昨日は午前中がちょうど空いていたため王室神社へパッとお参りに行ってきたのだが、その後何となくGoogleマップで近所の神社を検索したところ、王室神社よりもっと自宅の近くに見覚えのない神社を見つけた。
そこは徒歩数分圏内で一番近いのに、なぜかこれまで全く存在を知らない神社だったのだ。

新たに見つけた神社には夫も一緒に歩いて行くことになった。
Googleマップで見ると、その神社は住宅街の行き止まりにあり、後ろには壮大な山が広がっている。
徒歩数分とはいえ、これまで入ったことのない路地を入っていく。
目星をつけた場所は山道が続くだけで、何だか違いそうだ。
その時、少し離れた場所にいたお年を召した女性二人が話しかけてきた。
「神社があると知って来てみたのですが」
と言うと、
「ああ、なんかあるらしいね。あの辺なのかな?」
と森を指差し、どうやら行ったことはない様子。
地図で見るとすぐ近くなのに、近隣住民でも知らない神社ということに驚いた。
その後夫が何とか探し当ててくれたのだが、どこかの島へ来たのかと錯覚するような立地にあり、無事に(おそらく本当の)氏神様にご挨拶することができた。
今回、氏神様を発見できたことも収穫だったけど、実は先程登場した二人の老女とのご縁こそ氏神様のお力なのかもしれない、と思う。
実はその時、初対面なのに40分くらい話し込んだのである。

一人の老女はとんでもなく変わった素敵なお家に住んでおり、跡継ぎも身寄りもないから
「私に何かあったらあなたこの家を引き継いでくれない?」
なんて言い、具体的な話をしてきたのだ。
「ええ、私でいいんですか?」
と目をキラキラさせる私と老女を見て

「えっ なにこのやりとり。おかしくない?それとも俺がおかしいのか?」
と夫はめちゃくちゃ混乱したらしい。
その話がどうなるかはさておき、近所に新たにお友達ができたのは、やっぱり氏神様のおかげだと思う。
次は参拝の帰りに、手土産を持って老女のお家を訪ねてみようと思っている。
まるで狐につままれたような、嘘のような本当の話である。

夏至の雨上がりのハートの光

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