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メンバー紹介VOL.12 ファンベースカンパニーのお父さん的存在 安藤淳さん

こんにちは!
ファンベースカンパニーのサトカナです。

一緒に働いている仲間が入社を決めたきっかけや、大切にしている想いだったりをインタビューしていく企画。

今回はファンベースカンパニーの優しいお父さんみたいな存在、「ヒロキ」こと安藤淳さん!「ヒロキ」の由来は、俳優の松方弘樹さんに似ているからだそうです~。あまりに「ヒロキ」が定着しすぎていて、私は本名を思い出せない時があります(ごめんなさい笑)

これでもかってくらい柔和な空気につつまれているヒロキさんですが、昔はグイグイのイケイケの、theマスコミ関係者だったらしい!
そんなヒロキさんが、幼少期から「ファンべース」に出会い、ファンベースカンパニーのお父さんになるまでと、これからの目標などを聞きました!

安藤淳さん(1973年蟹座生まれ)
※ファンベースカンパニー華の昭和48世代3人衆の1人
○2019年10月入社
○前職:日本映画放送株式会社
○ニックネーム:ヒロキ

サトカナ)お疲れ様です~!プランナー同士だと同じプロジェクトになることが少ないので、なんだかちゃんとお話しするのお久しぶりですね。

ヒロキ)コロナが長引いて、対面はここ1年半ほとんどないし、朝会とかだけだもんね。

サトカナ)そうですよね。最近あんまり一緒にプロジェクトをすることがないのですが、実は私たち同じ誕生日!しかももうすぐ年男(48)・年女(36)の丑年うまれなんですよね。(※ちなみにさとなおさんも丑年)
誕生日占いも干支占いも同じ運勢の運命共同体みたいな感じです。(笑)
でも全然似ていると思ったことがないので、生まれ育ちから今日はいろいろ聞いてみたいと思っているのですが、幼少期はどんな少年だったんですか?

ヒロキ)神童(笑)

サトカナ)あ、それ私も、なんて(笑)前向きな蟹座出ました。

ヒロキ)茨城県の笠間という静かな山あいの町で周りには焼き物の窯元がたくさん、父が焼き物、母が油絵をやってる、今思うと特殊な環境で育ったんだよね。入った小学校は1学年7人っていうとても小さな学校で、勉強もスポーツも何でもできたから、ビッグになると思ってたんだけれど。

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【生まれたての頃のヒロキさん(かわいい!)】

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【小学校6年生の頃のヒロキさん@つくば万博】

ヒロキ)そのうち、自分が神童ではないことを悟り(笑)大河ドラマとか日本の歴史がすごく好きだったから、大学卒業したら歴史の先生になって母校の部活の顧問をしたいなと思うようになって。

サトカナ)あれ、初めから会社勤めでしたよね?

ヒロキ)あ(笑)大学の授業きっかけで、ウォン・カーウァイとかホウ・シャオシェンとか映画を見まくるようになって。自分の「好き(=映画)」を伝えていく仕事もいいなと思って、先生にはならずに雑誌の編集プロダクションに入ったんだ。今じゃ考えられないけど、雑誌がめちゃくちゃ売れてた時代。寝るとき以外は仕事してて、根性で生きていた感じ。でも映画の世界がすごく楽しくて。当時は『アルマゲドン』とか『マトリックス』とかがヒットしていた時代で来日するスターも多くて。取材で、香港スターのレスリー・チャンとかアンディ・ラウに会えた時は緊張しすぎて記憶がない(笑)

サトカナ)クリエイティブな世界が目の前にあって、ヒロキさんの芸術心がくすぐられまくっていたんでしょうね。だから寝なくてもやっていけたのかも・・・!

ヒロキ)そのレスリー・チャン主演の『ブエノスアイレス』に出てくるアルゼンチンタンゴが、すっごくかっこよくて。うらぶれたストリート雰囲気、バンドネオンの音だったりが。あまりにはまりすぎて、アルゼンチンタンゴも始めちゃったんだよね(笑)

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【アルゼンチンタンゴをおどるヒロキさん】

サトカナ)え!?ドはまり(笑)失礼ながら・・・シルエットも雰囲気も全然違いますね(笑)

ヒロキ)今のぽっちゃりシルエットからは考えらないけど当時は、めちゃめちゃ痩せていたんだよね。雑誌の仕事はとても好きだったんだけれど、「伝える」よりもっと映画に直接「関わりたい」と思って、フィルム現像のIMAGICAに転職、そのあと前職の日本映画放送に転職したんだよね。

サトカナ)映画やクリエイティブな業界でキャリアを積んでいったんですね!

ヒロキ)前の会社では時代劇専門チャンネルと日本映画専門チャンネルの宣伝と事業開発をずっと担当していて。毎日観てくれているチャンネルのファン(視聴者)が一番なんだけど、有料放送だから新規獲得も考えなきゃいけないし、動画配信の台頭で加入世帯の伸びも鈍化してきた頃で。そのもやもやしたものをスッキリさせられないかなと思って飛び込んだのが「さとなおラボ」だったんだよね。

ヒロキ4

【さとなおラボ3期生(黄色い棒を持つのがヒロキさん)】

サトカナ)当時(2014年)、「さとなおラボ」に入ってどうでしたか?

ヒロキ)いや~40歳超えても人の価値観って変わるんだなって(笑)。本当に人生のターニングポイントになったなと思った。それまでは、面白い映画や刺激的な映画人を見つけたり、その作品に携わることが最大の興味関心事だったけど、さとなおラボに通ってからは、伝えてる相手(視聴者)が「どういう風に感じてるかな?」「笑顔になってくれたかな?」とか、そっちに興味が移っていって。コンテンツに限らず「伝えたい相手をもっと笑顔にするには?」どうしたらいいんだろって考えることが多くなったタイミングで、ファンベースカンパニーが立ち上がるのを聞いて、手を上げたんだよね。

サトカナ)さとなおさん、一人の男の人生変えていますね!40代半ばの転職って今ではそんなに珍しくはないと思うんですけれど、でも勇気はいりましたよね?

ヒロキ)2004年から15年働いた会社だったから、チャンネルにもすごく愛着があったし、大好きな仲間もいたからね。。。でも、「ファンベース」って共通言語のもとで働けるのは楽しそうだし、40後半でチャレンジできるなんて、ワクワクしかなかった。実際、1年半働いてみて、立ち止まって悩む日もあるけれど、この仕事をできることを、すごくHAPPYに思ってる。

サトカナ)「好きなこと」ばかりを聞くので、ファンベースって気持ちがいいっていうのはありますよね!これからやっていきたいことってありますか?

ヒロキ)さとかなの「ラグビー」や「タオル」もそうだけど、ファンベースカンパニーのメンバーはみんなそれぞれ好きなことを持っているから、その好きも伸ばせていける会社になっていったらいいなって。
僕も社会人落語やアートが好きで関わっているんだけど、直接会うことが難しかったこの1年は思うようにいかないことが多かった。もうすこしコロナが落ち着いたら、高座にも上がってしゃべりたいし、アート・コミュニケータとして子どもたちの中にアートを育んでいくような活動もしていきたいなと思っているんだ。また、そんな日常が一日も早く戻ってくると、いいね。

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【落語仲間とヒロキさん(中央)】

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ファンベースカンパニーのメンバーは、ヒロキさんが怒ったところ見たことがないと思うんですが、それは厳しい製作現場で鍛えられた精神と、芸術の世界から受けた心のゆとりのようなものがあって、あの柔和な空気感が生まれるのかなと思いました。

なんでも好きなことができる会社になったらいいな、とファンベースカンパニーみんな思っているので、在籍しながらでも、何ならお仕事でも芸術には関われそうな気がしてきましたよ!
いまたった23人の会社なのに、多岐にわたる業務をかなり自前でやっている会社がファンベースカンパニーなので、なんかできる気がしてきました(笑)
実際、ヒロキさんの映像の撮影や編集の知識、相当生かされていますよね~!
芸術系案件がきたら、ぜひ幻の?同じ誕生日タッグ組みましょう~!

◆ファンベースカンパニーの「中の人」たちは、こちらのマガジンで読めます!
次回は6/22付近に公開予定です!お楽しみに!



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