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メンバー紹介VOL.16  「社長」というより「座長」でありたい! 津田 匡保さん

こんにちは!
ファンベースカンパニーのみずしー(水島)です!
ファンベースカンパニーってどんな人たちがいるの?ってことで弊社の「中の人」を紹介していくこのシリーズ。

第16弾は、『アジアの黒ダイヤ』… 『石油王』… 『だんみつ』…
クセ強めのニックネームを持つわが社の大黒柱 津田社長にお話しを聞いていきたいと思います!

津田さん写真1

津田 匡保(つだ まさやす)さん
●1978年生まれ
●趣味:サーフィン、マンガ、推し活(オーディション番組を観て生まれて初めてボーイズグループにハマる。「BE: FIRST」にハマり中。※社内メンバーにも「BE: FIRST」を激推ししてます。私も沼りました。笑)
●前職:ネスレ日本株式会社 
●ニックネーム:だーつー(一番マシなニックネームを採用しました。笑)

みず)津田さん、今日はよろしくおねがいします!っていうか、改めてろくなニックネームないですね!笑 クセしかない…。笑

津田)せやねん。もっと他にもあるんやけど、ここではとてもじゃないけど言えんわ。

みず)(言えないニックネームって…)
え…えーっと、では早速色んな話を聞いていきたいと思っているんですが、実は津田さんとは、もうかれこれ10年程の付き合いになるんですよね。前職でも津田さんのもとで一緒に働かせてもらって、今またファンベースカンパニーでわいわい一緒に働けているなんて…なんだか感慨深いです。

津田)そうやなぁ。みずしーが前々職の会社にいた頃から知ってるもんな。みずしーが前職を離れてからしばらくしてまた縁あってご一緒しているけど、10年てあっという間だね。

みず)とうとうこの方にインタビューする日が来たか、って感じです。笑 色々聞かせてください! 
津田さんは、前職のネスレ日本でブランドマーケティングからネスカフェ アンバサダーの立ち上げなど様々なお仕事を経験されてきていますよね。そして今はファンベースカンパニーの社長へ。
なんか文字にするとすごいキャリアなんですけど、これってキャリアプランを描いて着々と狙って歩まれてきたんですか?

津田)ド頭からすごい質問きたな。笑
いやいや、全然。なんなら僕の小さい頃の夢は「お医者さん」やったし。
ウチは江戸時代からずっと医者の家系だったので、小さい頃気づいたら医者を目指してたんですよね。
周りが野球やサッカー選手を目指している横で、僕は「シュバイツァー」に憧れてたんですよ。笑 将来は医者になってアフリカなどの医療設備が十分でない場所に行って誰かを助けている、そんな人間になりたいと思っていました。
…でもまぁ、医者の道は色々あって挫折してしまったんやけどね。笑

津田さん写真3-1

(シュバイツァー博士に憧れる少し前の匡保坊や。…か、かわいい。)

津田さん写真3-5

(津田さんとお父様。お父さん、クセ強&でっかくない??)

みず)えっ…津田さんにも挫折とかあるんですね!

津田)そんなん、いくらでもあるわ!笑
高校生の頃に阪神淡路大震災の被害にあってね。自分が被災者になった時に、改めて「命の尊さ」とそこに直結する「食」の大切さを痛感して。色々あって自分は医者にはなれなかったんですが、じゃあ就職して何しようかなと考えていた時に震災の原体験がネスレ日本への道につながる起点になりましたね。

みず)そうですよね…。まさに人生観が変わってしまうほどの経験だったと思います。
「避難所でボランティアの方からいただいたコーヒーが温かくて優しくて忘れられない」って、前に仰っていましたよね。

津田)うん、本当に心まで温かくしてくれた一杯でした。
ネスレ日本に入社してからは、あの頃の経験や感じたことを大切に、色々奮闘してましたね。

みず)なるほどー。私はやっぱり津田さんといえばネスカフェ アンバサダー!って感じです。笑
いつもアンバサダーさんに会いに行ったり、色々と楽しそうな企画を練ってたりしていましたよね。
さとなおさんと出会ったのもその頃ですか?

津田)そうそう。ちょうどさとなおさんが「ファンベース」の概念を練り上げてはる頃にお会いして。ネスカフェ アンバサダーで僕がアンバサダーさんたちとやっている活動に興味を持ってくださったんで、嬉しくてキャンプイベントにご招待したんですよ。
そしたら現場を見て本にも書いてくれたけど「これがファンベースだと思った。まさに企業とファンのあるべき姿だと感じた。」と言ってくれて。あぁ、自分が好きでただただアンバサダーさんに楽しんで欲しくてやってきたことは「ファンベース」の考え方に基づいていたのか、と。
純粋に嬉しかったし、「ファンベース」に対する理解や関心が一気に高まりましたね。

津田さん写真4

(ネスレ時代 ネスカフェ アンバサーのイベント時。目がキラキラしてます。)

みず)まだ「ファンベース」の概念を知らずして、体現していたってことですよね!たしかに私もファンベースの本を読んだときに「ネスカフェ アンバサダーで大切にしていたことに近いものを感じるな」と思いました。そこからファンベースカンパニーに移っていったのは心境の変化みたいなものがあったんですか?

津田)まあファンベースカンパニーとの出会いは偶然なんやけどね。ちょうど40代に差し掛かる節目のタイミングっていうこともあったんやけど、自分の人生を少し俯瞰してみてみたんですよね。そしたら、これまでがむしゃらに走ってきた20-30代って、よくよく考えるとものすごい良い環境や良い人との出会いに恵まれて、自分の得意な事とか好きな事ばかりやらせてもらっていたんですよ。別に自分の力でもなんでもなくて、周りの人たちの助けとか運があったからやってこれたものばかりで。
それに気づいたときに、「まだこれで終わっちゃだめだ」って。40代は、自分がやってこなかった事とか苦手な事にも挑戦して、いろいろやり切った人生にしたいと思ったんよね。

だから、これまでのような大きな企業の大きな流れの中ではなくて、一度その「列車」を降りて、自分の足で歩いてみようと決心しました。きっと暗い茨の道やけどね。笑 その時に自分の行く先を照らしてくれるのは「ファンベース」以外に考えられなかった。「ファンベース」という明かりを道しるべに、新しい一歩を踏み出すことにしたんです。何をするかは具体的に決めてなかったけど、いろんなところでファンベースをやりたいってね、ただそれだけ。

津田さん写真5

(趣味で森林の勉強をしながら、大地と一つになっている津田氏。…仙人のよう。)


みず)なるほど。今のキャリアは、もともと描いていたというわけではなく、むしろ直感に近いというか。まさに津田さんの人生にとっての「新しい挑戦」だったんですね。

津田)そうやね。今でもまだ挑戦中、ぜんぜん道半ばだと思っていますけどね。

みず)ファンベースカンパニーが今年で3年目になり、社長になって約1年半が経ちました。(2021年10月現在)津田さんにとってファンベースカンパニーはどんな存在になってますか?

津田)僕にとってファンベースカンパニーは、「大事な居場所」ですね。
私事ですが、社長に就任してまもなく母親の病気(癌)が発覚して、目の前が真っ暗になりました。世の中はコロナ禍で先行きも見えず、母の介護や看病もあり、発覚後半年で母も亡くなってしまって精神的に本当にしんどかった。父親と立て続けだったからね、本当に寂しかった。今思えば…とてもじゃないけど仕事なんてできる精神状態じゃなかったと思います。
そんな時に、さとなおさんはじめ、ファンベースカンパニーのメンバーが必死に支えてくれたんです。
温かい言葉や励ましをくれて、本当に救われました。一緒にプロジェクトをしている企業の方々からも励ましていただいたりして涙が出ましたね。
みんなに出会えて良かったなぁって、改めて強く感じることが出来ました。

みず)あの頃は、辛い状況でしょうに会社の事も必死に対応してくださってて…私たちも微力ながらに精一杯できることを考えて、力になりたいと思っていました…。

津田)ありがとう。僕にとってここが「大事な居場所」であるように、みんなにとってもそうであってほしいと思っています。肩書は「社長」だけど、気持ち的には「座長」でありたい。笑
僕が全部決める僕の会社ではなくて「みんなの会社」「みんなの居場所」なので、この会社自体をみんなで考えて創っていきたいなって。

みず)いいですね~ファンベース一座!笑 みんなで創っていく感じもウチにぴったりですね。

津田)みんなが笑顔になれる方法をみんなで考えて、実践していく。すでにそんな会社になってきつつあるよね。軸に「ファンベース」っていう共通の価値観があるから、自由でもブレない強さみたいなのも感じるし。
ゆくゆくは、会社という枠にとらわれずにメンバーそれぞれの好きなこととかやりたいことを追求して、そこで得た知識や経験を持ち寄って共に高め合えるようなつながりにしていきたいなと思ってます。
それぞれの好きなフィールドで「ファンベース」を実践したら、もっともっと世の中に笑顔が増えると思うし、つながりながらお互いの人生を応援し合える。そんなかけがえのない「大事な居場所」をみんなで創っていきたいなって思っています。

―――インタビューの中で、「社長になってみて、一層にみんなの幸せを考えるようになった。僕の一番の喜びは、ファンベースを好きな仲間が何年経っても笑顔で過ごしていること。そのための一助を担えるのなら、それはとても嬉しいことなんだよね。」と笑顔で話してくれた津田さん。
思えば「なんか困ってることないか?」「大丈夫か?」と周りを気にかけ、相談に乗っている姿をこれまで何度も目にしてきました。
「誰かを助けられる人になりたい」とお医者さんを目指していたあの頃と想いは変わらず、津田さんのまっすぐな愛と深い信念を感じることが出来ました。
わたしたちの「大事な居場所」。これからもみんなと一緒に楽しみながら創っていきたいなと感じたインタビューでした。

◆ファンベースカンパニーの「中の人」たちは、こちらのマガジンで読めます!
次回もお楽しみに!


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