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メンバー紹介VOL.18 -変化を楽しみながら生きる- 佐藤 尚之さん

こんにちは。ファンベースカンパニーの古怒田美希(こぬたん、こぬ)です。

ファンベースカンパニーの中の人を紹介するシリーズも、第18弾になりました。今回は、私古怒田がコミュニケーションのプロでありながら人に対する温かさと謙虚な姿勢を崩されない、さとなお(佐藤 尚之)さんに出来る限り迫っていきたいと思います!

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佐藤 尚之さん
●1961年生まれ
●1985年電通入社。コミュニケーションディレクター/クリエイティブディレクターとして数々のコミュニケーション開発に従事し、2011年に独立。2019年5月にファンベースカンパニーを設立
●著書に「ファンベース」「ファンベースな人たち」「明日の広告」「明日のコミュニケーション」など。さとなお名義で「うまひゃひゃさぬきうどん」「沖縄やぎ地獄」「極楽おいしい二泊三日」「人生ピロピロ」など。
●ニックネーム さとなお
●趣味 以前は圧倒的に「食べること」だったけど、食物アレルギーになってからそれを失って、いまはアート、読書、音楽、ジム。

古怒田(以下、古)本日のインタビュー宜しくお願い致します。

さとなお(以下、さ)古怒田さんがファンベースカンパニーに出向してきたのも何かの御縁ですね。宜しくお願いします。

古)初めにファンベースカンパニーが設立されるきっかけについて聞いていきたいと思います。2018年に当時、さとなおさんの本「ファンベース」を読んだ池田寛人さん(野村證券から出向し現取締役)からメールが来たんですよね。どう思いましたか?

さ)野村證券から突然メールが来て怖かったなぁ。売り込みをされて買わなくてもいい株を買わされるのではないかと思った(笑)。

古)野村に対しての印象があまりよくなかったんですね。そこからどうして会ってみようと思ったのですか?

さ)最初は「ファン株主についてファンベースの考え方で一緒にやれないか」的なお話だったのですが、当時はファンベースの考え方についてたくさんの方々に知ってもらいたいと思っていたので、何でもしよう誰でも会おうと思っていた時期だったんですね。だからファンベースに興味を持ってくれた池田さんにも会うことにしました。ちょっと怖かったけど(笑)。

古)実際に池田さんに会ってどうでしたか。

さ)池田さんの他に2人の野村の方と会ったんだけど、穏やかでとても良い人たちだなぁという印象がありました。意外でしたね。ただ、ファンベースを金儲けの道具として使って欲しくないとも思ってたんですね。
でも、お話しているうちに、真剣にファンベースに取組みたいという気持ちが伝わってきました。そのうえ野村の役員の方も「ファンベース」の本を読んで考え方に賛同して下さっているのを知って「おぉ!」となり、だんだんと「いっそ一緒に会社を作れないか」って話に発展していったんです。

古)そうなんですね! 池田さんの1通のメールから今のファンベースカンパニーがあると思うと、池田さんに感謝ですね!!野村と一緒にやっていくことに広告業界の方々から反応はありましたか?

さ)とにかく驚かれましたね(笑)。広告のディレクターが金融の会社と組むとかっていう前例も発想もほぼないと思う。「いったい何を始めんの?」ってよく聞かれました。
ただ、違う業界だからこそなんだと思うけど、野村の方たち、とにかく広告やマーケティングに対して先入観がない分、従来の考え方に引っ張られず、理解もとても速かったんですね。そして役員クラスの方たちも「これからのマーケティングはどう考えてもファンベースなんじゃないか」って言ってくれていた。だから迷わず進めました。光栄だったし、なんか一緒にゼロから体験を作っていけると感じました。

古)体験というと、私は阪神大震災で被災された時のさとなおさんの言葉が印象的に残ってます。

ボクは阪神大震災をこの身を持って体験した。
そして初めてわかったことがある。
被災者の想い、である。
北海道南西沖地震(みなさん奥尻島を覚えてますか?)や雲仙普賢岳噴火に苦しんだ現地の人々の思いを、阪神大震災を体験してやっと理解したのだ。わかったふりをしてニュース映像とか見ていたが、結局何もわかっていなかったのだ。
すまん!ごめん!こういうことだったのね、と心の中で謝ったが、もう遅い。
あの人たちの辛さや苦しみや不安や悲しみが、阪神大震災後やっとわかった。
想像力はある方だと思っていたが、これほどいろいろ辛いとは思わなかった。

(過去のブログ『さなメモ』より一部抜粋)

さ)体験しないで頭で考えているだけではわからないことってたくさんありますよね。被災前も頭ではわかっていたんです。ものすごく大変なんだろうなって。でも実際に体験すると全然違った。当たり前のことだけど、体験が一番強いんです。年齢を重ねて若い人に勝てることのひとつは、人が喜んだり悲しんだりするのを体験した総量が多いこと。それは圧倒的アドバンテージなんだけど、そういうことを一緒にゼロから若いあなたたちと体験していけるのは実に楽しいし幸せだと思っています。

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(ファンベースカンパニー創業年の夏に、合宿をした時の集合写真。みんな楽しそう!)

古)新しい考え方が次々と出てきたり、人の幸せがめくるめく変わっていく世の中だと思いますが、さとなおさんはどんどん変化し続けているように見えます。どうして変わることを恐れないのでしょうか。

さ)ルキノ・ヴィスコンティの映画『山猫』の中に「変わらないために変わる」というセリフがあるんですね。自分の中で本当に大切にしていることを変えないためには、やり方を時代の流れに合わせてどんどん変えていく必要がある。変えていかないと本質が変わってしまう、みたいなこと。
たとえば歌舞伎って伝統的なもの・歴史的なものと思われている部分があるけれど、実は常に最先端にトライし続けている過激なアート。最先端にトライし続けているからこそ本質が守られる。それが「変わらないために変わる」ということ。
コミュニケーションの本質は「伝えたい相手に伝えて笑顔になってもらうこと」だとボクは思っているけど、そのやり方は時代によって目まぐるしく変わっていくわけです。SNSにしてもAIにしてもライバーにしてもそう。どんどん変わる。それを恐れてひとつところに留まっていると「笑顔にすること」自体が不可能になる。だから、時代に合わせてどんどん変わることが必要だと思っています。

古)志はありつつ、時代にうまく流されていくということでしょうか。そういう意味では、さとなおさんは、坂本龍馬を想起させますね!

さ)いや、中学時代からの憧れの人ではあるけれど、僕にあんな愛嬌はないので無理だなぁ(笑)。でも、坂本龍馬って志があって一本道を走ったという風に見えてるかもしれないけれど、実際は自分の考えをころころ変える変節漢的なところがある。それがすごく大事だと思うんですよね。それに改革に着手したけれど、途中から政治は西郷や大久保に任せて海援隊に注力した。自分の居場所と貢献できる場所が分かっている。坂本龍馬は、自意識に固執することなく、時代を俯瞰して滑らかに立ち回れた希有な人だと思う。

古)時代はめまぐるしく変わりますものね。12年前にSNSの時代が来るとは誰も思わなかったですよね。

さ)そうだよね。だから僕は未来予測はしないと決めています。未来予測をした時点で、その考えに囚われて思考停止しがちになる。ヤマを張って失敗する例をたくさん見てもいるからね。

古)社長の津田さんも先日WEBセミナーで、コロナ以降のことは分からない、予測はしないと話していましたね。

さ)そう、僕と同じ考えだった。津田社長もどういう方向に時代が動いてもいいように、常にカカトをあげている状態だよね。あ、カカトを上げるというのは、たとえば野球で守っていて、ボールが右に来ても左に来てもすぐ動けるようにつま先立ちで構えている状態のこと。彼がそういうスタンスであることを、とても心強く思ったなぁ。

古)ありがとうございます!最後にファンベースカンパニーで実現したいことを教えて下さい。

さ)まず、ファンベースに共感して集まってくれた人たちのことがすごい好きですね。好きだなぁ。集まってくれたからというよりは、「ファンを大切にしよう」というアプローチに共感してくれて、たった一回の人生まで賭けてくれている。それが何よりうれしいなぁ。
だから、まずは身近なそういう人たち、つまりあなたたちが幸せになることをちゃんとしたいと思っています。ファンベースカンパニーの人たちが幸せになると、それが少数だとしても必ず周りにいい影響を与えると思っているし。みんなが健やかに笑顔でいられるよう、最大限のサポートをしていきたいですね。
それが、今後5年から10年の自分の生き甲斐だし、身を粉にして働いていきたい部分です。僕はバックアップに回って、僕よりみんなが、より健やかになり、より世の中に出ていくことに微力ながら力を尽くしたいと思っています。

——さとなおさんのお話を聞いて、ファンベースカンパニーがとっても温かく思いやりのあるメンバーで構成されている理由が分かった気がします。この会社の一員になれたことを誇りに思うのと同時に、私自身も謙虚に柔軟であり続けたいと思いました。私も身近な大切な人たちから笑顔にできるように頑張っていきたいと思います。

◆ファンベースカンパニーの「中の人」たちの記事は、こちらのマガジンで読めます!
次回もお楽しみに!


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