そのひとの背中 「#レディオイーディ ーある時節の終わりー (黎明期最終回【VOL.9】」に寄せて
15分弱があっという間で、
心の底から癒されて、
ああ、この朗読されている文章はあのときFacebookに載っていたやつだな、とか、
この声は栞さんだろうか、
とか、
あ、この声はきっと、私が3月にイーディに行ったときにいた、外国の方ではないか?
とか思っていて、
瞳の裏側が涙でくすぐられる感じと一緒に動画を見ていた
見るつもりではなかったけれど、今日見れてよかったなと思った
私は最近、自分がしたいことが分からなくなったり、できなかったり、せっかくできた時間をどうでもいいことに割いたりしていて、
なんだか、自分のことを嫌いになりかかっていた。
だから、見たかったけど、今日見ようとは思ってなかったんだ。
だって、こんなかっこわるくて、noteも更新してなくて(誰が覚えてくれてるんだ?とか考えたり)、大学の授業とバイトと携帯のゲーム以外特に毎日することのない私が、
動画見ても、
もっと自分のこと嫌いになって落ちてしまうんじゃないかと思ったんだ。
何にもする気が起きない自分を、やらなくてはいけないことしかやっていない自分を、
私が1番嫌いだったから。
でも、Instagramのタイムラインに桃果子さんの友人の方の動画を見た感想が流れてきて、
そこに、
「桃果子さんの詩や小説に触れると感情的になって、周りからあなたらしくないと言われたけれど、そうじゃなくて、彼女の作品に触れると心の奥底の本当の自分が出てくるんだ」、
と書いてあった。
それを読んで、ぐっときて、
でもそう思ったことを心にしまって、こまごまとしたことをしていたけれど、やっぱりどうしても動画のことが気にかかってしまって、
見ることにしたんだ。
見たら、
自分のことなんてどうでもよくなった。
かっこわるい自分に固定された視点はどこかに飛んでいった。
映像が美しく、内容も美しかったから。
そして、
動画を見ながら自然と、
4月にみた、桃果子さんの背中を思い出していた。
―――――――
「桃果子さんの腕の中には、抱えきれないぐらいいっぱい大切なものがありますね」
たしか、そんなようなことを私は言ったはずで、
桃果子さんは夜空を見上げながら、そんな私に返事をしてくれた。
その背中を見たとき、
大切なものを時に傷つきながらも守ってきた力強さと、大切なものが傷ついてしまったときの悲しさに鈍感でいられない鋭さを感じて、
言葉で表現できない切なさが胸に迫ってきたんだった。
――――――—
動画に、
桃果子さんの「東京Oasis」という未刊行小説の話が出てきていた。
一瞬ちらりと映った原稿を見て、
この人が自分と同じ時代に生きてくれている限り、
その文章が世界に放たれる限り、
いつか本を出してくれると信じられる限り、
私は生きていられる。
そう思った、
10代のころの自分が、今のわたしとダブった。
その原稿の存在だけで、
世界は変わる、
15のわたしは22のわたしに繋がっている。
それと、
このシーン、大好きです。
2021.8.20
ミキ
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