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【韓国の旅】1:韓国にとっての独立

西大門独立公園を歩いて

正直、私は西大門独立公園に行くことは憚れる。日本人としてなぜか、そこにいくことに、抵抗感を感じるのである。

今回は意を決して、西大門独立公園に赴く。それは独立門を見ておきたかったからだ。

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独立門は1897年に韓国が列強諸国から自主独立の国であることを内外に示すためにつくられた。

本来中国の使臣を迎えるための迎恩門があったのであるが、それを取り壊して、そこにこの独立門を立てた。

韓国発の西洋式建物で、フランスの凱旋門をモデルとしたという。

見た感想はかなり圧巻される思いであった。横断歩道を渡るまえに、その姿は目の間に現れる。

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まさに、韓国が世界に向けて独立国であることを訴えるようだ。その門をくぐることで、何か新しい世界が待っているかのように思えた。その新しい世界とは、

平和で、侵略のない、そして、人々が国や民族を超えて調和する世界。

朝鮮の近代は、自主独立を目指し、夢をみながらも、それがかなえられなかった、無念の期間でもある。

それでも、この独立門が、当時の人々の自主、独立への固い精神は、奪われないとする精神力みたいなものを象徴しているかのようだ。

そこをくぐり、まっすぐ行くと、3・1独立運動のときの

独立宣言文が掲げられていた。

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私は前文を読むことはしなかったが、漢字とハングルの混じった文である。

しかし、これも日本に対して読み上げられたというよりは

33人の宗教指導者が、世界にアピールするために、読み上げられたものである。

今は自らの意見や主張を自由に発言できる。こんな時代に生まれたことがどれほどありがたいか。

しかし、ほんとに自由になるとは何か。

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もしかしたら、自分で自分の自由を奪っていないか。言いたいことや表現したいことを躊躇していまう、心。

ほんとの独立とは自らの規制や自ら縛っている否定的な思いからの自由かもしれない。

ひとりの人間として独りになる。独立どは、まさに、自らに問いかけ、

あなたはほんとに、独りの人間ですか、

と問うところから始まるかもししれない。

私は西大門独立公園に来てよかったと、安堵した。


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