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私の今年の3月を抱きしめて

私の今年の3月は、

もううんざりなんだからちょっと変わろうぜという思考と、


いや感じきることが重要なんよという感覚的なものが縦横無尽に入り乱れていた。無事死亡。喉風邪も引いていたしね。その上での揺れもどちらかと言うと感情ベースだった。

私はどこまでいっても感覚優先で、そこの要を知っていればどうにかなるのだろうと予測する。

タフにはなれないという不安はこういう喜怒哀楽、そこからのグラデーション全てにおいて衝撃を感じると全く動けなくなるからであって、今日はこの行動をしたいなと思っていてもそれが全くできなくなってしまうことが枷の1つと思う。いやそこは枷ではないか。「めっちゃしんどい」と泣けるだけの感情の揺れは確かに感じているのだし。

身体的にも精神的にも感覚としても思考としても、様々めくりめいた3月を生き延びただけで、いいんだ。ちゃんと息を吸えて、ちゃんと感情を感じていて、生かされていると思えたこと。

分裂した自分のそれぞれをちゃんと見ることも、ある意味重要か。
面倒なのだが、4月も生きるのだ。

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