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深掘り文楽①頭巾・出遣い

国立文楽劇場では、夏休み文楽公演がはじまりましたね。
文楽の人形といえば、一体の人形を3人で操る「三人遣い」が特徴です。三人で操ることで、まるで人間のような、繊細な動きができます。

この三人は分業で、人形の顔「首(かしら)」と右手を操る「主遣(おもづか)い」と、人形の左手を操る「左遣い」、を操る「足遣い」に分かれます。

この文楽は、他の人形劇とちがうのは、人形遣い、とくに、主遣いが顔を出して、しかも紋付袴の正装で操っているところ。これは文楽オリジナルの演出です。

初めてみた時はびっくりしました。人形の横に、顔!
はじめは人形遣いが気になって、、、なんて経験あるんじゃないでしょうか。そのうち、なんともなくなりました。。。

文楽では、なぜ顔出しで、人形を操るのでしょうか。
その理由がわかれば、見方が変わるかも!?

もともとは全員が幕内

まずは、江戸時代の人形浄瑠璃の様子をのぞいてみましょう。画面向かって左が人形遣いです。

[蒔絵師源三郎] [ほか画]『[人倫訓蒙図彙] 7巻』[7],平楽寺 [ほか2名],元禄3 [1690]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2592445


この頃はひとり遣いで、手摺り(てすり)とよばれる、人形劇の地面に当たる部分も、背が高いですね。人形を持ち上げて使う形で、動きが制限されています。人形遣いは、手摺りの中にいて、顔を見せることはしていません。
画面右をみると、浄瑠璃太夫、三味線も幕内にいて、どうやら、人形だけを見せる、他の人形劇と同じパターンだったようです。

出遣いのはじまりは

では、人形遣いが観客の前に姿をあらわす、出遣(でづか)いは、いつ始まったのでしょうか。

ここで、百科事典「出遣い」の項目をみてみましょう。

元禄7 (1694) 年,辰松八郎兵衛が,竹本座の『本海道虎石 (とらがいし) 』で,綟子 (もじ) 手すりを使って,一人遣い人形を遣う姿を見せ,宝永2 (1705) 年,豊竹座『金屋金五郎後日雛形』の道行では,藤井小三郎が綟子手すりを取去った平舞台で全身出遣いを始めた。竹本座でも,『用明天皇職人鑑』で辰松八郎兵衛が同形式の出遣いを行なった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「出遣い」

辰松八郎兵衛と藤井小三郎は、当時の人形遣いの二大巨頭。ふたりともが、女方人形遣いの名人といわれた人です。
文楽の名作『曾根崎心中』の初演で、お初を遣ったのがこの辰松八郎兵衛で、そのときも出遣いで演じたと記録が残っています。

曾根崎心中の作品についてはこちらを↓

今でも、いつも出遣いとはかぎらない!

一人遣いの時代にすでにあった出遣いですが、その目的は、名人が遣う人形の技を見せるところにあったのでしょう。
現在、文楽では、人形遣いのキャリア、主役脇役に関係なく、出遣いが主流となっていますが、いつも出遣いとなっているわけではありません。出遣いにも決まりがあります。

さきほど、出遣いは、人形を遣う技を見せる目的があると申し上げました。ですから、逆を言えば、人形遣いの見せ場でない場面は、出遣いではありません。
物語の設定・発端にあたる場面では、芸を見せるよりは、観客に物語のいきさつをしっかり分かってもらう方が大切です。ですから、「端場(はば)」と呼ばれる、物語の発端にあたる場面では、人形遣いは頭巾をかぶっています

よくきかれる質問なのですが、端場の頭巾をかぶっている人=若手ではありません。端場だからといって、ベテランが、若手にその人形を遣わせる、といったようなことは基本ありません。場面で、配役が違う場合、チラシ、パンフレットにその旨が書かれています。
頭巾=雑用する黒衣=修行中の若手、と思い込んでしまいますが、じつは人間国宝でも頭巾をかぶります!

重要無形文化財保持者(人間国宝)・吉田簑助師の著書のタイトルに「頭巾かぶって五十年」とあるぐらいです。
人形遣いの方の著書は、日常のエピソードに混じって、昔の師匠方からの教えがたくさん書かれています。ぜひ一読ください。
全国の図書館の蔵書状況はこちらから↓

頭巾=若手という思考は、見方を変えれば、頭巾の効果がきちんと出ていることを意味していると思います。あの人形の遣い手は誰だ?とか、この芸を見逃さない!といった、お芝居を楽しむ二次的要素を排除して、ストーリーに没頭できるのが、この頭巾の効果だと考えます。

ちなみに、端場では、物語をすすめる役割の、太夫、三味線弾きも、御簾の中での演奏となり、ストーリー重視の演出がされています。

人形出遣いにて、相勤め申す。東西、東西

さて、物語がすすんできて、人形遣いの見せ場となると、出遣いとなります。

お芝居によっては、太夫、三味線弾きが御簾内から、床(ゆか)と呼ばれる、舞台の上手(右側)の演奏場に出てきても、人形は頭巾のままの場合があります。それは、まだ、人形遣いにとっての見せ場はまだ、というサイン。

出遣いになるタイミングでは、必ず案内があります。
場面が変わる度に、口上と呼ばれる紹介があります。頭巾をかぶった人形遣いが舞台の端にあらわれて、場面の名前(◯◯の段)、太夫、三味線弾きの紹介をします。
三味線弾きの紹介が終わると、さいごにこんなセリフをいいます。

人形出遣いにて、相勤め申す。東西、東西ー

早口でいうので、はじめてだと、聞き取れないことが多いですが笑
前の場面が頭巾をかぶっている場合はこの案内がされます。

夏休み文楽公演で上演されている「夏祭浪花鑑」は、
住吉鳥居前の段 が物語の設定・発端にあたり、人形遣いは頭巾をかぶるのが、通例です。

いきなり出遣い!?ずっと頭巾!?多様な演出

現在では幕があいて、いきなり出遣いということもよくあります。
上演時間の制約で、本来の設定場面を上演しない場合、通例の出遣いの場面からの上演となります。
我々からすると、いきなり出遣い!と思うかもしれませんが、メインからの上演であるがゆえに、出遣いとなっている訳です。
出遣いの場面でも、いわばエキストラ的な、その他大勢の役どころの一人遣いの人形「つめ人形」頭巾をかぶったまま遣われます。芸を見せる、主要ポストではないことが、出遣いとの比較でわかるようになっています。

また、こども向け作品「舌切り雀」などは、物語に集中しやすくするために、作品中を通して、頭巾をかぶる場合もあります。

頭巾・出遣いも、人形浄瑠璃・文楽の重要な演出のひとつですね。

夏休み文楽公演↓

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