talkin’ about Ayako Wakao 3
魔風継承/京マチ子
若尾文子は1956年、「赤線地帯」 に続いて、東京の花街を舞台にした作品に出演しています。
淡島千景と山本富士子がライバル芸者の意地の張合いを演じる。若尾は淡島の置屋のお酌・お千世の役で、三年前の 「祇󠄀園囃子」 に戻ったかの容姿ですが、溝口監督の作品で階段を上がった若尾には、役不足となったのは否めません。
先輩女優淡島と、(ミス日本初代グランプリの栄冠の後、大映に迎えられた) 山本の間に可憐な花を添えるという按配。(入社は1年早いが、山本は2歳上。芸能社会ってこのへんが微妙なんですな)。大映ニューフェースとして経験を積んできた若尾ですが、初めからスター厚遇の山本富士子に割り込まれた!?
監督は 「ビルマの竪琴/1956」で名を成し、70年代後半に金田一耕助シリーズで人気を博した御仁ですが、、、(巷では高評価の映画を多く撮っていらしゃるが) 残念ながら御作に心を打つもんを感じてこなかった我っちです。特に 「細雪 (1983)」の独りよがりな美意識ファーストの画作りからは、人間味が伝わらない。ビッグネームの豪華女優陣を並べても、、、なんだかな~ (あくまで個人の感想です)。
What ! can't I know it !?
谷崎潤一郎の「細雪」は何度か映像化されていますが、
1950年阿部豊監督作品で、(原作どおりではないけれど) 四女の妙子 (高峰秀子) が 実家を出て、一人手荷物を提げて松林を歩き去る、バックショットのシーンには泣けまし嘆!
*高峰秀子はこの役を大谷崎から褒められたそうです。
魔風
*魔王が選びし女に吹きつけ、魔力を与える風。それをまとった時、男を堕落から破滅へ導く“宿命の女”となる。(あくまで私的な妄想的解釈です)
Black Magic Woman (by Fleetwood Mac)
(1969/song by Peter Green)
(youtube)
お富士さんには退場していただき、いよいよ戦後映画界の日本版 “ファム ファタル” の先駆け、京マチ子 (1924~2019) 姐さんや。
戦前から大阪松竹少女歌劇団のスターとして舞台で活躍。若尾より10歳ほど上ですな。本格的な映画出演は戦後から。文化的にも破茶滅茶混乱した時代に、踊りで鍛えられた肉体と妖艶さを秘めた双眸に、男は惹きつけられずにはいられない。
「羅生門」がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。
その3年後には、「雨月物語」が同銀獅子賞、さらに同年「地獄門」がカンヌでグランプリを獲るなど、主役級で出演した作品が世界的評価を得て、京マチ子はグランプリ女優と呼ばれたなし。1950年代のMLB大谷翔平みたいなもんやろな。
そんな大作を含めて50年代は年4〜8本も主演級で出てるって、いやはやなんとも!
吉村監督は巷では大家と云われていましたな。代表作と言われるものはいくつか観てますけど、我っちにはどうも饒舌冗長に感じます。確かに戦前からのキャリアは長いがの。
What! can't I know it?
戦争で何もかも失った女・朱美(京マチ子) が舞踊の家元に泣きの弟子入り。やがて女の野望はふくらみ、あらゆる術策を使って師匠を追い落とし、舞踊界で成り上がる。自己中の強欲を貫いていく女・朱実はエネルギー全開であります。
このバイタリティに充ちた生きざまは、戦争という理不尽に全てを奪われ、捨てばちながら開き直った日本人を、ある意味体現しているだろう。
若尾文子はその内弟子の一人(比佐子)として登場。はじめのうちは静かに控えているが、後半では朱美の夫と関係をもつ展開に。最後は朱美の突然の死により、いつのまにか膨らんでいた野心を表わす。
「わたしが立派に跡を継いで参ります」と。
魔女的魅惑で輝いていたスター女優の看板が、若尾に引き継がれたかのようでもある。そしてそれは「祇󠄀園囃子」の少女が「赤線地帯」を通って変容していった線上にある。若尾が1960年代、多くの作品で ”宿命の女” となることを象徴しているかのようじゃが、我っちはずいぶん退屈しましたな。類型あって典型なしが如くは、こりゃ演出の問題!? 俳優が可哀相やろ。
さて、
この頃は日が落ちると、やたら目が疲れまするがゆえ、
I'll close my eyes remnbering the films of Ayako Wakao.
I'll Close My Eyes (1960)
(tp./Blue Mitchell/music/B.Reid )
(youtube)
「今宵はここまでに致しとうござりまする」
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