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いつもマイノリティその4

勉強を教えることは楽しい。

しっかり授業の準備をする→生徒の目が輝く授業ができる→生徒の成績が上がる→講師としての信頼度が増す→自信がつく→たまに金八先生のように「人として」の話までできるようになる→更によい授業をしようと頑張る

とはいえ結婚についても同時進行で進めていた私は、結婚生活と仕事を両立させるため、大手フランチャイズの学習教室を開設することを決めた。
個別学習のため、授業をすることはなくなるが、子どもたちのより近くで学習指導ができるのならそれでよいと思った。

開設前に指導者としての研修や勉強が必要だが、これに関しては全く苦にならなかった。
むしろとても楽しかった。
幼児から高校生までの国語、算数数学、英語の指導になるため、その指導範囲は膨大だが、まだ20代後半だった私はその壁に挑戦できることが嬉しかった。

開設後は順調に生徒数が増えていった。 
しかし、生徒が増えれば先生の数も増やさないといけない。
会社に支払うロイヤリティの割合も高い。
フランチャイズの学習教室を開く場合、自宅で開くことができればそれなりの収入が入ってくるが、私はマンションの一室を借りていたので、それに期待することはできなかった。
それでも一人一人の子どもたちの成長を身近で見られること、保護者の方々とも身内のように仲良くなれることなどやり甲斐はとても大きく仕事も楽しかった。

結局私は人件費にお金をかけ過ぎたため、家庭教師とコールセンターのオペレーターの仕事を掛け持ちした。
家庭と仕事の両立どころではない。本末転倒である。
そうして10年近くの時が過ぎた。
生徒数は過去最高人数に達していた。
もうその時は教室経営だけで充分収入も得られていた。
そんなある日、他の教室を経営する友人から久しぶりに連絡をもらった。
「小学校の副校長をやっている私の知り合いがね、小学校の教員免許を持っている人はいないかって聞いてきたの。いるけどこの地域のエースだから教えないって言ったら、お願いだから連絡先を教えてくれって泣きつかれて」

友人からの連絡の後、すぐにその彼女から連絡があった。
その内容は「産休代替教員を探している。ぜひやってほしい。急なのでそちらの条件は最大限考慮する」というものだった。
彼女は私の状況をわかった上であえて依頼してきたのだ。

私は自分自身で決めていたことがあった。
何かを辞めることがあるのなら、それは最高の状態の時に辞めようと。
生徒は過去最高人数。
小学生の時から長く私の教室に通い、大学生になって先生としてアルバイトをしてくれるほど成長してくれた子が存在する今がその時なのではないかと思った。

夫に相談すると、「小学校の先生はもともとやりたかった仕事なんだから、ぜひやってみなよ」と嬉しそうに言う。
教室の経営は、先生として一緒に長く働いて下さっていた、とても信頼できる方にお願いすることにした。
そして私の新たな人生がスタートした。
(次回につづく)


イタリアの一人歩きです。
シエナという中世の街並み自体が世界遺産となっている街を歩きました。
フィレンツェより落ち着いた大人の街という感じがしました。
シエナの駅から出ると駅前にショッピングモールがあります。
そちらのトイレは無料で利用できます。
そのショッピングモールのエレベーターと動く歩道に乗って進んで行き、終点の後、左方向に歩いて行くと城壁の門が現れます。
中世の人々に思いを馳せて。

城壁の門をくぐって中世の街へ
シエナ大聖堂 ロマネスク様式とゴシック様式の融合
カンポ広場 マンジャの塔
シエナ伝統料理 ピチ チーズとペッパー
太麺でモチモチしています
OSTERIA IL VINAIO
中世の雰囲気が漂っています

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