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“寂しい”という感情は、弱さではなく、明日を生きる強さ~自分を否定せず、寄り添ってみない?~

皆さん、こんばんは!えりです。
 
本日も、ご覧いただきありがとうございます🍀 
 
投稿に、興味を持っていただけることが、私にとっては、とても嬉しいことです。皆さんからいただいたスキや、コメントも、しっかりと届いておりますよ~!
 
時間の許す限り、お返事させていただけたらと思いますので、どうぞお気軽にコメントお寄せくださいね👐 
 
今回のテーマにも通じますが、私は、こうしたお互いに無理のない“ゆる~い繋がり”に支えられて、今を生きることができています。
 
“ゆる~い繋がり”なので、そこには、ルールは存在しません。
 
皆さんも、「絶対、こうしなきゃ!」と思うと、一気に腰が重くなり、先延ばししてしまいそうになった経験、ございませんか?
 
仕事上の付き合いでは勿論、家族や、友人、恋人など、親密な関係となれば、尚更、そうしたストレスは強くなっていくものです。
 
私自身も、これまでの職場でお世話になった方々や、学生時代の恩師、友人など、関係が深くなればなるほど、良い状態を維持していくうえでのプレッシャーに、押しつぶされそうな思いを抱えてきました。
 
そんななか、少しでも、負担を軽くしたい!という切実な願いから、“私にとって、心地よい人との距離感”、この感覚を掴むため、日常の中で、小さな実験を始めることにしたのです。
 
その中身はというと、リアクションの回数を減らすこと、つまり、“気の乗らないときは、一旦、小休止を挟み、稼働させない”こと。
 
このスタイルを、人付き合いにおけるマイルールとして、導入してみました。
 
その結果、人と関わることに対し、抵抗感が徐々に消えていき、以前よりも、コミュニケーションを楽しめるようになりました。
 
そして、一番大きかったのは、「人と無理に付き合わなくてもいいんだ。」と、思えたことです。
 
人と関わることへのストレスが強かった頃の私は、メールの返信ですら、まるで、大きな大きなノルマのようなものに感じていました。
 
特に、お誘いのメールに至っては、開いたことを後悔するくらいでした。
 
本来は、そのように、自分のことを気にかけてもらえることは、とてもありがたいことですよね。
 
ですが、当時の私にとっては、そんな好意でさえ、心の重りになってしまっていたのです。
 
遂には、大切な人たちとの繋がりを、自ら切るという選択を考えるレベルまで、追い詰めらていました。
 
そうした日々の中、ふと、言葉では言い表せないほどの深い深い孤独感に襲われたのです。それは、まるで、「ブラックホールのような巨大な暗闇に飲み込まれていく。」そんな感覚です。
 
そのとき、気づいたのです。
 
「私は、誰かと繋がっていたい。」のだと。
 
そして、「勇気を出して、差し伸べられている手を掴んでみよう。」と。
 
「今ある関係性は、決して永続的なものではない。」
 
「だからこそ、この奇跡のような偶然を大切にしたい。」
 
そう、心から素直に思える瞬間が訪れました。
 
そこからは、“自分のことを大切に思ってくれる人たちを、心から大切にするために、一番に、自分自身を丁寧に扱う”という約束を、自身と交わしました。
 
具体的に、どうしたかというと、例えば、連絡をとる頻度を減らしたこと。
 
更にいうと、レスポンスの回数を減らしたり、内容を薄くしてみました。
 
すると、以前よりも、不思議と、気軽に連絡できるようになり、知人との仲が深まるという意外な展開が待っていました。
 
「気乗りがしないときは、無理に返事をしない。スタンプだけで返す。そして、後日、余裕があれば、簡単に返事をする。それも難しい場合は、割り切って、流す。」
 
というように、敢えて、テキトーに付き合うほうが、相手も楽なのだということに気づかされました。
 
同時に、「人のことを、もっと信用じてもいいんだ。」と、そう思えました。
 
皆さんも、もし、信頼関係のある相手から、返事がないときがあったとしても、「今日は、しんどいのかな?そういうときもあるよね。既読はついてるから、読んではくれてるんだな。」というように、相手を許せるのではないでしょうか?
 
それならば、相手も、同じだと思います。あなたのことを、きっと受け入れてくれるはずです。
 
ですので、もし、人付き合いに対し、不安やストレスを抱えがちな方は、まず、ご自分の素直な感情を自覚し、否定せず、そのまま受け入れてあげてください。
 
そして、寄り添ってみましょう。
 
「人と会うの疲れるよね。今日は、もう誰とも関わりたくないよね。一日、お疲れさま。よく頑張ったよ。」
 
というように、ご自分に対し、ぜひ、優しい言葉をかけてあげてほしいです。
 
こうして、ご自分へ課してしまった義務を、少しずつ下ろしていくことで、まず一番に、あなた自身が楽になってください。
 
そうやって、心にゆとりが生まれると、自然と、周囲に目が向くはずです。
 
そこで、初めて、他人に優しくなれるのだと思います。
 
人間関係において、“自分の気持ちを優先するということは、決して、ワガママではなく、相手のことを大切にするという結果に、繋がっていくんだよ”というイメージを、ぜひ心の片隅に置いてみてください。
 
そして、辛いときは、ポジティブなイメージを思い出しながら、勇気を出して、人と繋がってみると良いかもしれませんね。
 
さて、今回は、前置きが、だいぶ長~くなってしまいました💦 
皆さん、お付き合いいただきありがとうございます。
 
それでは、ここから、本日のメインテーマに入っていきましょう!
 


“寂しい”と思う自分を恥じないで。隣の誰かも、同じ空を見ているかもしれないよ。

突然ですが、皆さんは、ふとした瞬間に、孤独を感じたことはありますか?
 
私は、幼少期から、この感情に遭遇する場面が、割と多い方でした。
 
特に、それは、集団の中にいるとき、周りとの違和感として、現れることが多々ありました。
 
友人たちと遊ぶのは、勿論、嬉しく楽しいことです。
 
でも、その一方で、常に、心にぽっかりと大きな穴が空いているかのような空虚感が付きまといました。
 
“自分の居場所がどこにもない”そんな感覚です。
 
そして、大人になった今でも、そんな虚しさを感じることはあります。年を重ねるうちに、ある程度、割り切れるようになった部分もありますが、それでも、行き場のない感情はしこりのように残ったまま、くすぶり続けています。
 
しかし、就労移行支援を利用する中で、徐々に、その感情に対する自分の捉え方に、変化が現れ始めました。
 
それまでの私は、辛いとき、こんなことを考えては、悶々としていました。
 
「こんな些細なことで悩んでいるのは、きっと自分だけ…。自分は、どこかがおかしいのかな?皆が当たり前にできていることが、どうして私にはできないのだろう?私は欠陥のある人間なの?」
 
このような感じです。
 
常に、頭の中は、“悲劇のヒロイン”状態でした。
 
「こんなに辛いのは私だけ。この先も、ずっと不幸のままだ。誰かここから連れ出して。」
 
そして、白馬の王子様のように、誰かが、現状から、自分を救い出してくれるのを期待して、ただ待つだけ。
 
自分で、現状を変えようとはしていませんでした。それに、抜け出す術も分からない。そんな状態でした。
 
次第に、心身が疲弊していき、助けを求めたいけど、声の上げ方も分かりません。
 
SOSを出さなければ、当然、助けは来ませんよね。
 
そうなると、状況は変わらず、混沌としたままです。
 
自分の将来に、全く希望が持てず、ただ途方に暮れる日々が続きました。
 
そして、遂には、溜まりにたまったイライラを爆発させるのです。
 
それは、まるで、沸々とたぎるマグマのように、ドス黒い感情を、周囲にぶつけてしまうのです。
 
もう、一度、こうなってしまうと、溢れ出してしまった、心の奥底に棲みつく悪魔を止めることはできません。
 
炎が燃え尽きるまで、ひたすら相手に投げ続けてしまいます。
 
「どうして、誰も分かってくれないの?誰か、私の存在を丸ごと受け入れて。」
 
こうして、誰かにすがるように、叫び続けていました。
 
こうなると、完全に、関わらないほうが良い“危険な人”ですよね。
 
こんな調子ですから、当然、周りからは、人がどんどん離れていきました。
 
その度に、傷つき、哀しみと寂しさから、依存できる相手を求めて、さまよい続けるのでした。
 
「どうか、私を見捨てないで…。」
 
心の中は、常に、不安と恐怖で埋め尽くされていました。
 
そして、新しく見つけた救世主も、また、一人二人と、自分のもとから、去っていきました。
 
こんなことを繰り返すうちに、哀しみは、次第に、他人に対する憎しみにも近い怒りへと、変わっていくのでした。
 
それは、目を背けたくなるほどの醜い感情です。
 
ずぶずぶと、底なしの深い深い沼に入っていくかのように、負のループから抜け出せなくなっていました。
 
人を傷つけ、自分のもとから去っていくたびに、自分も、傷つき、こんな関わり方しかできない自分が、情けなくて仕方ない、そんな気持ちでした。
 
とにかく、自分のことが、誰よりも、大嫌いでした。
 
「自分は、この世に存在してはいけない人間なんだ。」そう、本気で思っていました。
 
そんな底なし沼に、どっぷりと浸ってしまっていた私ではありますが、今、少しずつ、這い出ようとしています。
 
現在、私は、社会復帰を目指し、就労移行支援事業所で、訓練を受けています。
 
ここからは、そんな日々の中での、とある出来事について、少しお話しさせてください。
 
この日は、まだ、冬の寒さが残る穏やかな陽気の一日でした。
 
私は、事業所のカリキュラムの一つ、ウォーキングに参加していました。
 
このカリキュラムは、対人訓練の一環として、行われている理由(わけ)なのですが、私は、このカリキュラムが、どうも苦手で、毎回、参加を億劫に感じていました。
 
ですが、「このまま殻にこもっていては、何も変わらないよね。」と、意を決して、近くを歩いていた利用者さんに、声をかけてみました。
 
声をかけた利用者さんは、年は、私より5、6歳ほど下かな?というくらいの女性で、物静かな雰囲気の方です。
 
なんとなくの直感ですが、「人と一緒にいると、疲れちゃうのかな?」といった、私と同じような空気感を感じて、不思議と、安心して、声をかけることができました。
 
この日の目的地へ向かう道中で、最初に声をかけたときは、警戒心からか、あまり反応が返ってきませんでした。
 
ですので、「やっぱり、ダメか…。」と、早くも心が折れそうになってしまいました。
 
そのまま、目的地まで、モクモクと歩き、「今日も、ダメだったなぁ…。」と、肩を落としながら、帰途につきました。
 
「帰りも、まあ、独りかなぁ。いつものことだし、まあこんなものだろう。」と、半ば諦めて歩き出したところで、先程の女性と、ふら~っと、目が合いました。
 
勇気を出して、もう一度、その女性に、声をかけてみました。
 
すると、今度は、こちらの挨拶に応じてくださり、そこから、軽い会話が始まりました。
 
始めは、「ここに来て、どれくらいになるのか?」とか、「苦手なカリキュラムの話」など、当たり障りのない会話が、しばらく続きました。
 
そうこうしているうちに、お互いの緊張もほぐれ、話題は、自然と、「ここに至るまでの経緯」や「これまでの職歴」へと、移っていきました。
 
そのなかで、その女性が打ち明けてくれたのは、「仕事中に、お客さんと、ある日突然、話せなくなった。」という経験でした。
 
その方は、美容系の専門学校に通い、資格も取得し、大きなお店で働いていたようです。
 
美容系の仕事に就くことは、幼い頃からの夢で、学校に入った当初は、希望に満ちていたようですが、実習を重ねるうちに、違和感を感じ始めたとのこと。
 
でも、「お金もかけてしまったし、せっかくここまで頑張ってきたのだから。」と、そのまま資格を取得し、美容の世界に進んだのだとか。
 
しかし、就職後、抱えていたモヤモヤは、益々膨れ上がり、「回転率だけを重視したような過酷な労働環境に、心身のバランスを崩してしまった。」というお話でした。
 
私は、このお話に、心が、酷く痛み、とても、他人事だとは思えませんでした。
 
実は、私にも、似たような経験があります。
 
私は、数年前、某大手テレビ局の地方局で、働いていた時期があります。
 
仕事内容は、放送部のAD兼、事務などの雑務を任されていました。
 
雇用形態は、派遣社員。
 
特に、責任の重いポジションでもなく、職場環境は、これまでの現場とは比べ物にならないくらいホワイトで、唯一のストレスは、高圧的でクセのある直属の上司、ただ一人くらい。
 
一緒に働かせていただいたアナウンサーの方々、プロデューサーの方々、技術さん、皆いい人ばかりで、「今回は、続けられるかも?」と、一筋の光が差し込むのを感じていました。
 
そんな平穏な日々の終わりは、ある日、突然、やってきました。
 
ADとして、関わらせていただいていた番組の収録中に、突然、声が出なくなったのです。
 
当然、ADが、伝達をしないと、プロデューサー陣は、困るので、語気も強めに、注意されてしまいました。
 
それも、仕方がありません。ADがきちんと周囲との連携が取れないと、番組は回りませんから。
 
そこから、収録の現場に行くのが怖くなり、それまで、何とかできていた事務等、雑務のお仕事も手につかなくなり、苦手な上司への恐怖心が膨れ上がっていきました。
 
次第に、上司に、話しかけることすらできなくなり、他の方のことまで、怖くなっていきました。
 
そして、遂には、会社に行けなくなりました。
 
こんなふうに、「どこに行っても、突然、苦しくなり、糸が切れたように、身体が動かなくなってしまう。」
 
そんな自分は、「どこかが、おかしいんじゃないか?」「甘えているんだ。」「皆、辛い思いをしながらも頑張っているのに、どうして、私は頑張れないのだろう。」と、私は、これまで、自分をずっと責め続けてきました。
 
しかし、今回、私と同じような経験をされた方のお話を聞けたことで、自責感や、孤独感が、少しだけ和らいだように感じます。
 
ですので、皆さんも、「こんなふうに感じるのは、自分だけ?」「こんなことで悩む自分はおかしいの?」と、辛い気持ちになったとき、孤独感で押しつぶされそうなときは、ぜひ、窓の外を見てみませんか?
 
そして、勇気を出して、世界に触れてみませんか?
 
案外、あなたの隣にも、“同じようなフィーリングをもった方”がいるかもしれませんよ。
 
ということで、本日のお話も、この辺りで、お開きといたしましょう🌼  

今回も、長文になってしまいましたが、最後まで、お読みくださった皆さん、本当にありがとうございます✨
 
この頃は、「春よ~来い。」と言いたくなるほど、肌寒い日が続きますね。
 
皆さん、どうか温かいお湯に浸かって、心身ともに、温めてくださいね。
 
それでは、また、次回、お会いしましょう~👋 
 
 
 

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