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誰も望まない望んだ結果
集団思考の例として「アイリーンのパラドックス」というものがあるらしい。
これは集団で議論をする際にそれぞれが全く望んでいないにも関わらず、
議論を進めることで結果的に望んでいない選択をしてしまうことである。
アビリーンのパラドックス:Abilene paradox
ジェリー・B・ハーヴェイ(Jerry B. Harvey), “The Abilene Paradox: The Management of Agreement” (1) より抜粋翻訳
アメリカ、テキサス州コールマンの7月の午後は特に暑く、気温は摂氏40度にも上っていました。
家族は、ファンのあるバックポーチで、冷たいレモネードを飲みながら、ドミノを楽しんでいました。
父:「夕ご飯でも食べに、アビリーンにドライブに行こうか?」
息子(娘の夫):「え?アビリーンに行くの?片道85キロもあるのに?この砂嵐と暑さの中で?エアコンのない1958年ビュイックで?」
娘:「いいアイデアね。私は行きたいわ。ジェリー、あなたどう?」
息子:「いいんじゃない。もしお義母さんが行きたいならね」
母:「もちろん行きたいわ。暫く行ってないしね」
こうして家族4人で車に乗り込み、アビリーンに向かいました。
暑さは過酷でした。約4時間往復170キロドライブした後、皆疲れ果て、長い間静かにファンの前に座っていました。
。。。
息子「素晴らしい旅だったね」
誰も話しませんでした。とうとうお母さんがイライラしながらこう言いました。
母:「実は、あまり楽しくなかったわ。ここにいた方がよかった。 あなた達全員が行きたいって言うから仕方なく一緒に行っただけよ。」
息子: 「あなた達全員ってどういう意味?僕をグループに入れないでよ。僕は、皆が行きたいっていうから付いて行っただけじゃないか。」
娘:「ちょっと私まで犯人扱いしないでよ!あなたとパパとママが行きたかったから行ったんじゃない」
父:「おいおい、待てよ。そもそも俺はアビリーンになんか行きたくなかったよ。暫く行ってなかったから、皆が行きたいかと思って、気を遣って聞いてみただけだぞ。正直、ここでアイスを食べながらドミノを続けていたかったのに。」
皆は黙って腰を下ろしました。。。
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この相手や場の「望み」を勝手に想像し自身の「望み」を抑えた結果、全体としての幸福が得られない。そんな皮肉な話だが、多かれ少なかれ皆職場等で経験があるのではないだろうか。
ここで問題なのは「自身の感情と異なる事を言っている」事であり、
「自身の感情と異なる事を言わざる得ない環境」とも言えるだろう。
即ち個人単位でみれば「自身の感情にできる限り寄り添う言動を行う」事が大事あり、全体でみれば「個人の感情が言いやすい環境、関係値を作る」事が大事そうである。
また、この「気をつかう行為」も匿名性のアンケート形式にする事で排除できる場合もあるだろう。
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まぁ、でも私は皆が望もうが望むまいが、10年後この家族が「あんな事もあったよね」と笑い話に出来るのであれば、なによりも良い結果だと思いますけどね。
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