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半身で働く (三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)

三宅香帆さんの『なぜ働いているほ本が読めなくなるのか』を読んだ。売れ行きを見れば世の大人がいかに同じ悩みを抱えているかが分かる。

読んでみると、労働と読書の歴史を詳細に研究し、読書の立場と労働の関係について述べられている。想像していたより、労働についての関心が強く、働き方についての言及が多い。なるほどと思える記述が多々あった。

筆者は本書で最後に「半身で働く」ことを提唱する。
仕事での自己実現を知らぬ間に目指してしまう現代の私達。戦後日本では全身全霊で働くことが美徳とされてきた。
「今月は何時間残業した」と自虐的に会話が弾むことは私にもある。読者の皆さんにも少なからずあるのではないだろうか。

筆者はドイツの哲学者チョンソル・ハンの「疲労社会」やアメリカの学者ジョナサン・マレシックの言葉を引用し、我々は知らぬ間に自ら全力で働くことを強いていると言う。

全力で働くことはかっこよく、それは楽なことなのである。私はこれを読んで働くことに全身全霊を注ぐことは一種の逃げであり、楽な道を選んでいるのだと感じた。私自身は仕事と自分のやりたい事の分野が重なっており、全力で働くことが自分の目標を実現することなのだと思っていた。しかし、最近はどことなく停滞感を感じ、残業時間も多く仕事に疑問を抱くことが多かった。年齢的にも残りの人生の方向性が定まる時期である。

筆者は最後に「半身で働く」ことを提唱する。「半身」とは「さまざまな文脈に身を委ねる」ことであるという。さまざまな文脈とは、仕事や家事や趣味などの仕事以外の体験、経験、時間のことを指している。読書も仕事とは別の「文脈」である。皆が「半身」で働けば、より働きやすく、充実した生活を送ることができるはず、という筆者の切実な思いを感じた。

読み終えて、先週の仕事は気持ちだけ「半身」で過ごしてみた。仕事上の責任は重く、他者を支えるうえでいい加減な仕事はできない。
それでも「半身」で働けば良いと思うだけで、少し気分が良くなったと思う。人に任せる、仕事で燃え尽きることが美徳ではない、やるべきことやれるだけ、焦らずともよい。そんな感覚を持つことができた

読書だけでなく、働くことに悩む人にもぜひ読んでほしいと思う。

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